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減点方式のプロパガンダ
誰しも過去の成功経験を捨てられない。それにすがってしまう。それは"国"という単位になっても変わらない。日本が昔から変えられないことはいくつもあると思うけど、自分の中に根付いてしまっていて払拭できないものが『減点方式の教育』だ。
日本にはバブルと呼ばれる黄金期があった。その時代は作れば作るだけ売れるような時代。だからミスなく効率的に作る能力が求められた。上から言われたことを忠実にこなす人材が優秀とされた。と思っている。
なんでこんな歯切れの悪い書き方をするかというと、まだバブル期に自分は生まれていなかったから。そんな奴がバブル景気を語んなって思うかもしれないけど、本題に必要だから許してください。
つまり、『ミスしない人材を育てる』という教育が日本には染みついてしまっていると思うのだ。時代は凄い早さで移り変わっているのに、この考えは変わらない。"過去の成功体験"は時代が変われば"呪縛"だ。
自分はここまでの人生、わりと上手く生きてきたと思う。これといった挫折もしなかった。それはつまり、日本の教育に上手く適応したということと同義である。
そんな自分だからだろうか。『この世の全てには正解がある』という概念が拭えない。
自分は商品開発の仕事をしているのだが、この呪縛に囚われていることを実感する日々を過ごしている。"0"から"1"を生み出すことができないのだ。
"1"を"100"にするより"0"を"1"にするほうが難しいと言われる。"1"を"100"にするというのは言い換えれば"100"を"1"にしている要因を取り除くということだ。つまり"100"という正解を目指すということになる。
でも"0"を"1"にする行為は全く異質なものだ。だって"1"が正解じゃないんだから。『"1"に正解はない』という考えに至ったとき、今まで正解を書けば順調に進んできた自分の人生が呪縛へと姿を変えた。何も思いつかない。
社会は求めている。イノベーションを、ひらめきを、インスピレーションを。"0"を"1"にできる人材を。でも、できない。だって、"0"を"1"にする方法を学んでこなかったのだから。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う
アインシュタインさんよ。18歳なんてとっくに過ぎてしまったよ。自分は日本という狭い世界で常識を作ってしまったから、きっと天才にはなれない。
だから開き直ろうと思う。誰かがもやもやと抱えている"1"を"100"にする、そんな人間になれたらいいなと漠然と思っている。具体的なことはまだ考えていないのだけど。
今の若い世代はどうなんだろうか。減点方式のプロパガンダから抜け出せているんだろうか。"0"を"1"にできる人が増えてくれれば日本の未来は明るいかもしれない。"1"を"100"にするエキスパートが日本には揃っているのだから。
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