生きてるだけで偉いなら
「人は生きてるだけで偉い」よく耳にする言葉だ。この言葉はある意味で真理であり、ある意味で綺麗事だと思う。
人は生きてるだけで偉いってのは確かにその通りだとは思う。少なくとも、現代の日本人の死生観では死=終わりのイメージが強いと思う。生きてれば生きてて良かったって思うことがある。逆に、あのとき死んでおけばって思うことはあまりない。
そうゆう意味では、人は生きるべきなのだ。と一概に言えないとも思っている。だって、私たちは死んだことがないのだから。経験したことのないものを否定するのは良くないとも思う。
それでも生きてて偉いのは、死んだら誰かが悲しむからだ。残された人のことを想えば、死んでいい人なんていない。どんな人だって、死ぬことで誰かを悲しませるし、誰かに迷惑をかけるし、誰かの手を煩わせる。
だから、生きてるだけで偉いのだ。当然、生きてても迷惑をかけるだろうけど、生きてれば誰かの役に立つこともできる。結局、生きるってのは誰かに影響を与える行為なのだ。
それでも、この生きてるだけで偉いという言葉に、そこはかとない胡散臭さがあるのは、誰も生きてて偉いねって褒めてくれないからだ。当然だ。誰もが生きているんだから。みんな当たり前に生きすぎなのだ。
だから、みんな+αを求めてる。綺麗に生きることを、忙しく生きることを、楽しく生きることを求めてる。だから、ただ生きることを否定するのだ。
本当に生きてるだけで偉いなら、ニートとか不登校とかホームレスとかにこんなネガティブなイメージが付くはずがないんだ。これらにネガティブなイメージがあるのは、多分だけど周りの人に迷惑をかけているからなのかと思う。
でも、さっきも言ったけど、人は生きても死んでも迷惑をかけるんだ。それなら、生きようよ。いつか迷惑をかけた分、誰かの役に立とうよ。誰も褒めてくれなくても生きてることは確かに偉いんだ。
それでもつらいときはあると思う。死んだ方がましだと思う時があるかもしれない。それでも、どうせ死ぬならそんな気分で死ぬのは勿体ないよな。もう生きていたくないじゃなく、もうそろそろ死んでやってもいいかなって気分で死のうよ。
この記事を読んでくれた人、あなたが生きているお陰でこの記事は読まれることができました。少なくとも自分は、あなたが生きていて良かったと思ってます、ありがとうございます。
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