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双極性障害とつきあう⑧【経過:前編】

治療を開始した 2024年3月から、
2024年10月現在まで。
約8ヶ月間の経過について綴る。
本日は、前編。

【3月】

受診するまでの約2週間、
安定剤を飲みすぎて記憶がほぼない。
いつも酔っぱらっているようだった。
治療を始めてからは、オーバードーズすることがなくなった。
ほとんどの時間をベッドで過ごし、
過食になったり、全く食べなくなったり、不安定だった。
睡眠はとっていた。過眠気味だった。
人にお金を貸した。(あげた)
「私は結婚したから頭がおかしくなったんだ!」と 夫を攻撃。
常に希死念慮があった。
どうやって死ぬのが最も迷惑をかけずに済むか、毎日考えた。
デパスを飲んで無理矢理眠るしかできなかった。
一方で、「5月には職場に復帰する!」と希望も持っていた。
助産師ができないなら、自分に価値はないと強く感じていた。

【4月】

中旬から急に元気になった。
成育歴をまとめたり、書道をして過ごすなど、少しだけ活動的になる。
家事もできるときはするようになった。
毎日中途覚醒でよく眠れなかった。
身体は元気なわりに頭(心?)は絶望感を抱えていて、ちぐはぐな状態が苦しかった。
アイディアがよく浮かんだ。
ドラマがおもしろく感じられた。
動画を見たり、なにかしら作業をして過ごした。
気分の波が激しくシームレスに行ったり来たりする。
状態を把握するのが難しかった。

月末から雲行きがあやしくなる。

【5月】

希死念慮がどっと押し寄せた。
職場復帰が叶わず絶望したことも要因だったと思う。
少し調子良く過ごせていた分、振り幅が大きくて堪えた。
手の震えや体がぞわぞわする感覚があり気持ち悪かった。
炭酸リチウムが400㎎から600㎎/日に増量した。
遺書を書こうと思った。
夫に対し攻撃的になった。
デパスを多めに飲んでよく記憶を飛ばした。
みぞおちに冷えた溶岩があるような感覚がして苦しかった。
1週間も経つと、今度はハイになった。
人としゃべりたい、外に出たいと思うようになる。
1泊2日で夫と旅行に出掛けた。
旅行から戻るとまた寝込んだ。
そしてまたハイになり出掛ける。
1日の内でも躁と鬱が行ったり来たり。
4月の元気も単なる躁だったと気付き絶望する。
何もできない日々に、無駄に生きているような気がしてしまう。
自立支援の申請をした。

【6月】

急に電池が切れたようだった。
何にも心が動かなくなった。
また希死念慮が襲ってくる。
とうとう、「死にたい」が「死のう」になった。
エンディングノートを書き始めた。
いろいろあって 8月に姉とフェスに行くことになった。
それが終わったら実行しようと決めた。
また数日オーバードーズ。
夫と喧嘩したことをきっかけに、突然引越しを思いつく。
すぐに新居が決まり、準備のためにてきぱきと動くようになった。
月末はまた電池が切れたけど比較的早めに回復。
少し攻撃的になった。
主治医から、躁鬱の振れと生理周期に関係があるのではないかと指摘を受け、低用量ピルの内服を始めた。


今日は、ここまで。
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