世界が学んだこと (エッセイ)
自国の《独裁》が完了に近づいた《独裁者》は、
➀ 必ず、
➁ 次のステップとして、
弱い国(=大きな犠牲を出さずに制圧できる、と独裁者が考えた国)を侵略する。
これが、今回、世界が学んだことの《本質》だと思います。
・ロシアとウクライナがもともと兄弟国だったからだとか、
・プーチンが旧ソ連の領土を取り戻そうとしているからだとか、
・自国の防衛ラインが侵されそうになっているからだとか、
いろいろな《理由》が説明されている。
どれも、それなりの《理屈》なのでしょう。
当初は、ロシア系住民が虐殺されているから、というロシア側の宣伝を鵜呑みに(かどうか、何か組織的なものなのか)触れ回る人さえいました。
しかし、歴史を振り返ると、自分の国で政敵がほとんどいなくなった国家リーダーは、その国より弱い(と判断した)国が近隣にあれば、《必ず》その国を領土に含めようとしています。
・国内に政敵がいなくなったアドルフ・ヒトラーは、(それぞれ事情や方法は異なりますが)オーストリアを併合し、ドイツ系の多いチェコのズデーテン地方とダンツィヒとポーランド回廊を要求し、ポーランドを分割領有し、さらにフランスに攻め込んだ。
・イラクの独裁者サダム・フセインは(1980年からのイランとの戦争もありますが)、1990年にクウェートに攻め込んだ。クウェートはオスマン帝国時代にはイラクの一部と同じ州だった、という過去の履歴など、一応の理屈はあった。
・その他、ナポレオン1世や、それ以前のいわゆる「専制君主型の国王・皇帝」も同じで、国内で《独裁状態》になると(それなりの理屈はつけますが)、次には国外に目が行く。
ここまで書くと、20世紀に日本が始めた対外戦争についても書かなければフェアではありませんが、少なくともこの場合は、《個人》の独裁ではないようです。
司馬遼太郎さんが書いています:
この記事は、すべての対外戦争を説明しようというものではありません。
あくまでも、個人の独裁政権と対外戦争の関係です。
これらは、地政学的に云々、というような説明がなされますが、本質的には何か人間の、あるいは人間の中でも多くのオスの遺伝子に組み込まれているような気がします。
日本の歴史では、16世紀に秀吉が引き起こした《文禄・慶長の役》が、典型的な《独裁者による対外侵略戦争》でしょう。
《独裁状態》が実現すると、国と国民を《私物化》し、その《私物化》範囲を拡げようとするのは、《本能》なのかもしれない。多くの戦国大名もそうでした。
近隣に盛んにミサイルを飛ばす独裁国家がありますが、近くの国が自国よりはるかに弱い、と判断すれば、過去のいきさつなど理由を設けて直ちに攻めてくるでしょう。
であれば、そのような条件で起こる戦争を平和裏に《未然防止》するためには、《独裁政権》が樹立するのを《未然防止》するしかないように思います。
ただし、ロシアを見てもわかるように、《独裁》は民主的選挙の形を取りながら、徐々に、巧妙に進んできます。
ある基準を設けて、《独裁政権状態》に踏み出したかどうかの《判定》が必要です。
さらに、国際社会として《有効な》仕組みに落とし込むことが重要です。
そしてこれは、私たちひとりひとりが《具体的方策》を考えて《提案》していかなくてはなりません。
これまで、
《こんなことは起こらない》
と性善説的に考えて来た人びとも、《起こりうる危機》についてもういちど考えてみる必要があります。
《考え直す》のは、恥ずかしいことではありません。
必要なことです。
独裁の進行を抑制する仕組みの一助になれば: