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「Wisdom Across Time」アトランティス伝説と超古代文明の真実を探る


今回は古代文明でも、「超古代文明」といわれるアトランティスについて書いていきます。最近読んでいる本や、見た動画、文献などの内容も踏まえたうえで私見も交えて書いていきたいと思います。

多くの学者は、プラトンがアトランティスを史実としてではなく、理想的な国家(アテナイ)と堕落した国家(アトランティス)を対比させるための寓話として創作したと考えています。

私はプラトンの本に書かれていることは全て真実で、アトランティスは実際に存在したとして書いていきます。


1.超古代文明とは

「超古代文明」とは、一般的に文字による記録が存在する前(前史時代:紀元前4000年以前)の、人類の歴史の中で非常に古い時代に存在したとされる高度な文明を指します。

この文明は、現代文明よりも技術的または精神的に優れていたと考えられることが多いです。

超古代文明に関する言説の多くは、神話や伝承、または創作文学から派生しており、特に「ムー大陸」や「アトランティス」といった失われた文明が代表的な例として挙げられます。

2.アトランティスとは

アトランティス(古代ギリシア語: Ατλαντίς)は、古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)の著書『ティマイオス』及び『クリティアス』の中で記述された伝説上の広大な大陸、及びそこに繁栄したとされる帝国。プラトンの時代の9000年前に海中に没したと記述されている。 一部の研究者が主張していた空想上の大陸であり、
現在はその存在は科学的に否定されている。

Wikipedia:アトランティスより引用

アトランティスが実際に存在したと考える科学者はほとんどいない。
1985年にタイタニック号の残骸を発見したナショナル ジオグラフィックの常駐探検家で海洋探検家のロバート バラード氏は、「ノーベル賞受賞者の中で、プラトンがアトランティスについて書いたことが真実だと言った人はいない」と指摘する。 それでも、バラード氏は、アトランティスの伝説は「論理的」だと語る。なぜなら、歴史を通じて大洪水や火山の爆発が起きており、その中にはアトランティスの崩壊の物語と似た出来事もあったからだ。

アトランティス伝説 ナショナルジオクラフィックより引用

現在アトランティスは科学的にも否定されてるのに、なぜこれほど長い間、人々の興味を引いているのでしょうか?

また、アトランティスは架空の概念で本当に存在しないのでしょうか?

3.物語の起源:アトランティスはどこから来たのか

アトランティスの物語は、古代ギリシャの哲学者プラトンの著作に歴史上最初に登場したというのは、有名な話かと思います。

それでは、アトランティスはプラトンの創作だったのでしょうか?

アトランティスの物語はプラトンが人から聞いた話、「伝承」であったことがわかっています。

では、アトランティスの伝承は如何にしてプラトンへ伝わったのかを見ていきましょう。

プラトンの『ティマイオス』、『クリティアス』では、登場人物の名前がそのまま本のタイトルにもなっています。

しかし、「クリティアス」という名前については、クリティアス (三十人僭主)やクリティアス2世、3世など、どの人物を指すのか、または複数の人物が混在しているのかについて現在も議論が続いています。

それにしても時代背景を考えると、2000年以上前の家系を記録がある程度残っているとはいえ、年代も含めて正確に辿ることができるのかどうかは疑問です。

私自身の家系ですら何代も遡るのが難しいと感じることを考えると、古代の家系を明確に特定するのはさらに困難ではないでしょうか。

クリティアス (プラトンの曽祖父)より引用
クリティアス Wikipediaより引用
プラトン家の系図 Platon Wikipediaより

一番シンプルでわかりやすいプラトンの家系図を使って物語の起源:アトランティスはどこから来たのかを見ていきたいと思います。

参考:ティマイオスクリティアス

ティマイオスの中でアトランティスの話が初めて紹介されます。

クリティアス:「ではソクラテス、この物語をお聞きください。奇妙ではありますが、確かに真実であり、七賢人の中で最も賢明とされるソロンが証言したものです。彼は私の曽祖父であるドロピデスの親戚であり、親しい友人でもありました。このことは彼自身の詩の多くの箇所で述べられています。そして彼がこの話を私の祖父クリティアスに語り、祖父が記憶し、私たちに繰り返し話してくれたのです。かつてアテナイの街が行った偉大で驚くべき業績がありましたが、それは時の流れと人々の滅亡によって忘れ去られてしまいました。しかし、他のどの業績よりも偉大なものがありました。これを今語ることが、今日のこの女神の祭日を祝うにふさわしい、感謝の証であり、真実で価値ある賛歌となるでしょう。」

Crit. Then listen, Socrates, to a tale which, though strange, is certainly true, having been attested by Solon, who was the wisest of the seven sages. He was a relative and a dear friend of my great-grandfather, Dropides, as he himself says in many passages of his poems; and he told the story to Critias, my grandfather, who remembered and repeated it to us. There were of old, he said, great and marvellous actions of the Athenian city, which have passed into oblivion through lapse of time and the destruction of mankind, and one in particular, greater than all the rest. This we will now rehearse. It will be a fitting monument of our gratitude to you, and a hymn of praise true and worthy of the goddess, on this her day of festival.

クリティアス 「私が老人から聞いた昔話をしましょう。クリティアスが話をした当時、彼は90歳近くで、私は10歳くらいでした。」

Crit. I will tell an old-world story which I heard from an aged man; for Critias, at the time of telling it, was as he said, nearly ninety years of age, and I was about ten.

上の家系図からすると、クリティアス2世が10歳の時に祖父であるクリティアス1世から話を聞いたという風に解釈できると思います。

以下にどのように伝わったか、ティマイオスに書かれている内容をまとめました。

4.ソロンが持ち帰った「古代の知識」

この物語の核となり重要な部分は、七賢人の一人であるソロンがエジプトのナイル川デルタ地帯にあるサイスの都市を訪れた際に神官から聞いたという話です。

ソロンは、古代ギリシャ人が知らなかった太古の歴史や文明について、エジプトの神官たちから学びました。

その中に、アトランティスと呼ばれる失われた大陸に関する伝承が含まれていたのです。

エジプトの神官たちは、過去に繰り返される大規模な自然災害や文明の崩壊を記録し、それらを口承や碑文によって長い年月にわたり保存してきました。

そのため、ギリシャ人には知られていなかった人類についての「最も古い知識」を持っていたとされています。

5.「Wisdom Across Time」の象徴

このアトランティス伝承は、時代や文化を越えて知恵が受け継がれていく「Wisdom Across Time」の象徴そのものです。

古代エジプトの神官からソロンへ、ソロンからクリティアス家へ、そしてプラトンを通じて現代に至るまで、知識や物語が絶え間なく紡がれてきました。

アトランティスの物語そのものが、実在の記録なのか象徴的な寓話なのかは議論の余地があります。

しかし、それが教えてくれる教訓「人類の文明の脆さや自然の力への畏敬」は、いまなお普遍的な価値を持ち続けています。

このように、古代から受け継がれてきた知恵は、私たちに過去を学び未来を築くヒントを与えてくれるのです。

アトランティスの物語は、まさに「Wisdom Across Time」という言葉を体現する素晴らしい一例となっています。

6. アトランティスの位置に関する仮説

アトランティスの位置については多くの仮説が存在しますが、最も有名なのは、アトランティスが大西洋(The Atlantic Ocean)の中央に沈んでいるという説です。

この仮説が広まった理由はいくつかあります。

地図の作成

まず1つ目の理由は、アトランティスが描かれた地図が作成されたことです。

この地図は、ドイツ出身の学者でありイエズス会司祭でもあったアタナシウス・キルヒャーによって、1664年に作成されました。

1664年作成
1667年作成 How the imaginary island of Atlantis was mappedより引用

アトランティスについて最初に語られたのは紀元前の話ですが、なぜアタナシウス・キルヒャーはプラトンの話から2000年近く経った後に地図を作成したのでしょうか?

その理由は、コロンブスがアメリカ大陸に到達した1492年をきっかけに、アトランティスの神話が再び注目を集めたことです。

この時期、人々は新しい土地や冒険、財宝を求め、大航海時代(15世紀半ば~17世紀半ば)の特徴的な精神が生まれました。

未発見の土地への関心が高まり、地図を手に入れようという欲求が強くなったのです。

さらに、キルヒャーは神話と現実を結びつけることに興味を持っていました。

彼は神話的な伝承をもとに、実際の地理的な位置を特定しようと試みました。アトランティスに関する伝承もその一部であり、彼の学問の枠組みの中で位置づけられたのです。

キルヒャーがアトランティスの地図を作成したのは、古代文明の謎を解明し、当時の学問的な関心や冒険心に応えようとしたからだと考えられます。

クリティアスからの伝承

アトランティスが大西洋の中央に沈んでいるという説が広まった2つ目の理由

プラトンの『クリティアス』には、「激しい地震と洪水が発生し、一日と一夜のうちに、あなた方の戦士たちは一斉に地中に沈み、アトランティスの島も同様に海の底に消えてしまいました」と書かれています。これにより、文字通りThe Atlantic oceanに「島」ごと沈んだと解釈され、その説が広まったと考えられます。

there occurred violent earthquakes and floods; in a single day and night of misfortune all your warlike men in a body sank into the earth, and the island of Atlantis in like manner disappeared in the depths of the sea.

アトランティスの大衆化

アトランティスについての議論は、主に伝統的な古典教育を受けた教養人や著述家の間で行われていましたが、1870年にフランスの人気作家ジュール・ヴェルヌがSF小説『海底二万里』で海中に沈んだアトランティスの姿を描き、この概念が欧米の大衆文化に広まりました。

また、近年では、ウォルト・ディズニー生誕100周年を記念して製作されたアニメ映画『アトランティス 失われた帝国』も、アトランティスというテーマを広く知らしめる一例となっています。

アトランティス/失われた帝国

地中海説

大西洋説以外にも、アトランティスの場所に関する有名な説があります。それが「地中海説」です。

過去100年の間、歴史家や考古学者たちは、プラトンのアトランティスがエーゲ海のサントリーニ島の火山噴火に基づいているのではないかと考えてきました。

サントリーニ島にはアクロティリという都市が栄えていましたが、火山噴火で一夜にして滅びました。また、島の地理はプラトンの記述と一致しています。

サントリーニ島がアトランティスの場所だと考える説が最も広く、1969年には地質学者ガラノプロスが、プラトンの記述に誤りがあり、アトランティスの滅亡は9000年前でなく900年前のサントリーニ島の火山噴火と一致すると提案しました。

ただし、プラトンはアトランティスの滅亡理由として火山噴火を挙げていません。

さらに、ミノア文明がアトランティスだとする説もありますが、ミノア文明は一夜で滅びたわけではなく、津波も島の反対側には届かなかったとされています。

7.アトランティスの最も有力な候補地

アトランティスが存在した場所の説は大西洋や地中海以外にもたくさんあります。

アトランティスの位置に関する仮説 Wikipedia

場所の調査と考察 これだと、最有力と考えるところは10段階評価中3になっている(笑)

この中でも最も有力であると考えられる候補地について書いていきたいと思います。

これを書く前に一点、皆様にイメージしていただきたいです。

「伝言ゲーム」

グループ内で、言葉(メッセージ)を人から人へ順番に伝えていくゲームがあります。このゲームでは、伝わるごとに内容が不正確になっていきます。 もし、この伝言ゲームが2000年以上続いたとしたらどうでしょうか? プラトンが『クリティアス』を書いたのは2000年以上前で、ソロンはエジプトの神官からアトランティスの話を聞きました。アトランティスが滅びたのは、紀元前13,000年頃と言われています。 そして、この伝言ゲームの「グループ」は「人類全員」です。 そのため、言葉が伝わる過程で「言語」の違いによる問題も出てくるでしょう。 伝えるごとに不正確さは増していきますが、一番正しいことを言っているのは誰なのでしょうか? 時が経つごとに新たに明らかになることももちろんありますが、その逆もまた然り。 これが本当の意味の「温故知新」です。

では、アトランティスの最も有力な候補地を考えていきましょう。

ヘロドトスの地図について

ヘロドトス(紀元前484年頃 - 紀元前425年頃)は古代ギリシアの歴史家で、歴史学および史学史において非常に重要な人物の一人とされ、「歴史の父」と呼ばれることもあります。

ヘロドトスの作成した地図を見ていきます。

ヘロドトスより引用

Atlas M(アトラス山)の近くにAtlantesという記載があるかと思います。

Atlantesは地名でもありながら、ヘロドトスによって記述された古代北アフリカの民族Atlantes(アトランティス人)も指します。

その右隣にAtarantes (Ἀτάραντες)という町の名前が記載されていますが、歴史上、この町に対する他の言及はありません。

ポンポニウス・メラの地図について

ヘロドトスの地図でAtlantesについて記載がありましたが、その後ポンポニウス・メラによって再び触れられました。彼は紀元後43年頃に著作を残した、最古のローマ地理学者として知られる人物です。

つまり、ヘロドトスの時代から約500年も後になります。

ポンポニウス・メラより引用

この後、3~4世紀ごろになるとソリンマルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラアンミアヌス・マルケリヌスなどの作家や歴史家によってAtlantesは「アトランテイ(Atlantei)」と呼ばれるようになりました。

Solin, Martianus Capella et Ammien Marcellin qui les nomme « Atlantei »

Atlantes (peuple)より引用

古い時代の地図で最も有力な候補地を見てみましたが、プラトンのティマイオスには、アトランティスの位置についてはどう記載されているのでしょうか。

「ギリシャ人が『ヘラクレスの柱』と呼ぶ場所の入り口に、島があった。」

for in front of the mouth which you Greeks call, as you say, 'the pillars of Heracles,' there lay an island Plato, Timaeusより引用

Columnae Herculis(ラテン語)≒Pillars of Hercules(英語)≒ヘラクレスの柱(日本語)

ヘラクレスの柱はジブラルタル海峡の入口にある岬につけられた古代の地名のことです。

そうすると、ジブラルタル海峡の近くにアトランティスがあったと考えるのが自然かと思います。

古代北アフリカの民族をAtlantes(アトランティス人)と呼ぶと書きましたがアトラス山周辺に住む人たちもまたAtlantesと呼ばれました。

Ἄτλας(古代ギリシャ語)≒ Atlas(英語) ≒ Atlantes(ラテン) ≒ Atlantei(3~4世紀ごろの呼称) ≒ Atlantis(現在の呼称)

そして、アトランティスの話はエジプトの神官から七賢者の一人ソロンが聞いた話ですから「エジプト語」というのも混ざってくるわけです。イスラームの征服によってアラブ化されるまでの間は用いられていた言語ですが、エジプト語(特に古代エジプト語)は、「死語」とされています。

以上の言語変遷とプラトンの著書の内容から推測するに上の地図でἌτλαςと書いてある地域がアトランティスのあった最も有力な候補地だと考えられます。

8.アトランティスの首都「サムリオス(Samlios)」

アトランティスの最も有力な候補地について書きましたが、さらに詳しく見ていきたいと思います。

ティマイオス、クリティアスに書かれているアトランティスの特徴

「彼女が住んでいた丘を取り囲み、海と陸の交互の帯を大きいものと小さいものが互いに囲みながら作り出した。陸地は二つ、水は三つで、それぞれが旋盤で回すかのように配置され、中心から全方向に等距離で円周が描かれていた。そのため、誰も島に到達することはできなかった。」

inclosed the hill in which she dwelt all round, making alternate zones of sea and land larger and smaller, encircling one another; there were two of land and three of water, which he turned as with a lathe, each having its circumference equidistant every way from the centre, so that no man could get to the island

  • 島には多くの象がいた。

  • 職人や農民のほかに、神々によって最初に選ばれた戦士階級も存在していた。

  • 土地は世界で最も豊かな土地であった(集められた大軍を養うことができた)

  • 多様性と卓越性、あらゆる種類の食物や如何なる動物に適した環境(牧草地など)

  • この土地では数回の大洪水が発生した(エジプトの神官が話している時代では既に9,000年が経過した)

  • その結果、かつての姿と比べると、残っているのは荒廃した体の骨だけであった。

など他にもいろいろなことが書かれています。

まず、島には多くの象がいたと書かれていますが象の生息域というのは世界でも限られています。

ゾウ Wikipediaより引用

緑がアフリカゾウ、茶色がアジアゾウの生息域です。

北アフリカにはサハラ砂漠があります。

北アフリカも以前は湿潤な気候でしたが、過去数千年にわたり、乾燥した気候へと変わってきました。これにより、植生が減少し、土地が乾燥して砂漠化が進行しました。

気候変動が大きな要因のひとつと考えられているようです。


サハラ砂漠はかつて緑豊かなサバンナだったより引用

9,000年前にはἌτλαςの近くは緑で覆われていて、肥沃な土地であったことがわかっています。

もう一点、タマンラセット川(Tamanrasset_River)についてです。

タマンラセット川は5000年前まで西アフリカを流れていたと考えられている巨大な古代河川です。

この古代河川は現在のアジアのガンジス川・ブラマプトラ川流域に匹敵する規模であったと考えられています。

Tamanrasset_Riverより引用

ここからは完全に個人の意見ですが、この古代河川タマンラセット川はアトラス山、ジブラルタル海峡までつながっていたと考えています。

何故そう考えるかという理由を説明していきます。

まず一つ目はプラトンのティマイオスにある「ギリシャ人が『ヘラクレスの柱』と呼ぶ場所の入り口に、島があった。」

for in front of the mouth which you Greeks call, as you say, 'the pillars of Heracles,' there lay an island

Plato, Timaeusより引用

これはジブラルタル海峡の入り口にアトランティスがあったと捉えることができますが、どうしてもfor in front of the mouthの「mouth」が気になります。謎解きみたいになってしまいますが、なぜ「口」なのだろうと。

プラトンは本の中で言葉の変遷について意識していることが見受けられます。「翻訳したものを再度翻訳する話」や、「ギリシャ人が呼ぶところの〜」などです。

これは、如何にして後世に正しい情報を伝えるのかということを考えたのではないかと思います。

例えば、「mouth」は口ですが、口が急に眼(eye)や鼻(nose)に変わることはありません。

そして、口というのは「入り口」を意味することもあるように、物事の出入りする部分を指すことができます。

この文章には続きがあり「その時代の旅人たちが、そこから他の島々へ、そして島々から大陸全体へ渡ることができた。」と書いてあります。

it was possible for the travellers of that time to cross from it to the other islands, and from the islands to the whole of the continent.

私が考えるのは「ギリシャ人が『ヘラクレスの柱』と呼んだ場所に、アトランティスへの入り口または続く道があったのではないか」ということです。

入り口があれば出口もあると思います。では出口とはどこなのか。

河川の形成に必要な条件
源流: 山や高地にある河川の始まりの場所。地下水や雨水が集まり、川が生まれます。

・渓谷: 山岳地帯では、河川が地形を侵食して渓谷や峡谷を作り出します

・流域: 山の斜面から集まる水が川を通じて低地へと運ばれる範囲。

歴史を通じて、多くの偉大な文明が河川流域で発展しました。これには以下の理由があります。

水の供給: 河川は飲料水や農業灌漑、家畜の水源を提供します。安定した水源があることで、食糧生産が容易になり、人口の増加を支えます。

肥沃な土地: 河川の氾濫によって運ばれる土壌(沖積土)は非常に肥沃で、農業に適しています。例えば、ナイル川流域の古代エジプト文明は、河川が運ぶ肥沃な土壌に依存していました。

交通と交易: 河川は自然な交通ルートとして機能し、人や物資を運ぶための重要な手段でした。これにより、交易や文化交流が活発になり、経済が発展しました。

エネルギー源: 歴史的には、河川の流れを利用して水車を動かすなど、エネルギー源としても活用されました。

多くの古代文明も河川の流域で発展しました。
メソポタミア文明はティグリス川とユーフラテス川、エジプト文明はナイル川、インダス文明はインダス川、中国文明は黄河と長江などです。

これに加え、タマンラセット川の流域についても見ていきましょう。

タマンラセット川流域にはリシャット構造と呼ばれる円形の地質学的特徴があります。

https://actugeologique.fr/2020/02/le-dome-de-richat-oeil-de-lafrique/より引用
google earthより引用

「サハラの目(eye of sahara)」ともよばれ、以前は隕石の衝突によるクレーターだと考えられていました。

ギリシャ語の Nesos

島ではなく、水に囲まれた土地

ギリシャ語の「ネソス」は英語で「島」と訳されます。 ギリシャ語の「ネソス」(νῆσος)は、ギリシャ語では水に囲まれた土地を意味する語源です。

https://www.ministryvoice.com/ja/nesos-in-greekより引用
復元イメージ
https://www.youtube.com/watch?v=ext2k1s61GEより引用

「彼女が住んでいた丘を取り囲み、海と陸の交互の帯を大きいものと小さいものが互いに囲みながら作り出した。陸地は二つ、水は三つで、それぞれが旋盤で回すかのように配置され、中心から全方向に等距離で円周が描かれていた。そのため、誰も島(Nesos)に到達することはできなかった。」

この特殊な地質構造はクリティアスに書かれているアトランティスの概要と見事に一致します。

リシャット構造は直径50キロメートルという壮大な規模を誇り、その圧倒的な存在感から宇宙空間、特に地球軌道上からはひときわ目を引きます。宇宙飛行士たちが最初にその全貌を観測したことは、広く知られています。

その規模は、まさに巨大都市といえ、その要件を十分に満たしています。

約9000年前、アフリカ湿潤期にあたるこの時期、氷河期が終わりを迎え、海面が徐々に上昇していたことが知られています。

また、この時代にはすでに人類は水上交通の技術を有していたことが明らかです。

昼夜を問わず賑わっていた様子がうかがえ、1200隻の船の記載も残っていることから、海洋国家としての繁栄と、貿易が盛んであったことが推測されます。

もしアトランティスが古代河川タマンラセット川流域で栄えたと仮定するのであれば、

リシャット構造こそが、アトランティスの首都「サムリオス(Samlios)」が存在した場所だと考えられます。

9.アトランティス滅亡の要因

アトランティスの滅亡の要因の通説として挙げられるものにはいくつかの種類がありますが、主に3つが大きな要因として挙げられます。

1. 自然災害(地震・津波)

プラトンによると、アトランティスは非常に発展した文明を持ち、強大な国家を形成していたものの、最終的には「神々の怒り」によって滅ぼされたとされています。

その原因として、巨大な地震や津波がアトランティスを襲い、島全体が一晩で海に沈んだと描かれています。この突然の自然災害がアトランティス滅亡の直接的な理由とされています。

2. 道徳的腐敗

アトランティスの滅亡には道徳的な堕落が関わっているとする説もあります。

プラトンは、かつてのアトランティスの人々が非常に高潔で優れた文明を築いていたものの、時間が経つにつれて腐敗し、傲慢になり、神々の怒りを買ったと述べています。

道徳的・精神的な堕落が文明の滅亡を引き起こしたとする解釈です。

3. 技術的・軍事的衰退

アトランティスは非常に強力な軍事力を持っていたとされ、その力で周辺の文明を征服していましたが、最終的には過信や戦争によって自滅したとも言われます。

特に、プラトンの記述にはアトランティスが周囲の国家と戦争を繰り広げた結果、滅亡したという説があります。

それでは、アトランティス滅亡の要因について考えていきたいと思います。

プラトンの『クリティアス』には、「激しい地震と洪水が発生し、一日と一夜のうちに、あなた方の戦士たちは一斉に地中に沈み、アトランティスの島も同様に海の底に消えてしまいました」と書かれています。

there occurred violent earthquakes and floods; in a single day and night of misfortune all your warlike men in a body sank into the earth, and the island of Atlantis in like manner disappeared in the depths of the sea.

これはGoogle Earthでも確認することができます。洪水や津波などの水が流れた痕跡が、内陸から海の方向へ伸びている様子が確認できるかと思います。

この痕跡は地中海方面から流れてきたようにも見て取れます。

サハラ砂漠にはメルリール湖やジェリド湖などの塩湖があります。


あとは小規模なものであれば「セブカ」など。


アフリカ大陸に広がるサハラ砂漠。 乾いた砂地にも都市があり、約2500万人が生活しています。 「サハラ砂漠産の塩」と聞くとビックリするかも知れませんが、なんと驚いたことに、サハラ砂漠でも塩水でできた池や、岩塩が点在し、塩の採掘・製産が行われているのです。 太古の昔には海だったため、今でも地底深くには塩のもとである海水が残っているためではないかと言われています。 たとえば、砂漠のまん中にあるビルマ村では、地面から湧き出た塩水を日本の「揚浜式塩田」のように、強烈な天日で水を蒸発させ塩を作っています。 また、夏は気温50度を超えるというタウデニ村では、500年間も岩塩の採掘が続けられ、厳しい熱さの中、今も人の手で塩が掘り出されています。 人々の生活を支えるソルトロードより引用

サハラ砂漠は太古の昔は海だったとありますが、史上最大のナマズやウミヘビの化石が見つかったことによりそれは明らかですが、それは5000万年前~1億万年前の話です。

古代のサハラ海路は、地球の気候と生物がいかにして極端な変化を遂げるかを示しているより引用

その時代以降に湿潤期があったことは象の生息域で書きました。このサハラ砂漠となっている地域一帯へ津波による塩水、塩湖(セブカを含む)がもたらされたという可能性も考えることができます。

これは「塩析」または「析出」と呼ばれる現象で説明することができ、水が蒸発することで塩が結晶として残るプロセスを指します。

サハラ砂漠の砂漠化の原因は気候変動といわれていますが、その中でも塩害という面も大きいかと思います。

ここで気になるのが、水が流れたような痕跡は確認できるけど、実際に津波のような災害はあったのかということです。

Copilotさんによる回答は「サハラ砂漠に津波の痕跡はありません。津波は主に海底の地震や火山活動によって引き起こされ、海岸線に影響を与える現象です。サハラ砂漠は陸上に位置し、津波の影響を受けることはありません。」となっています。

ChatGPTさんによる回答は「津波の痕跡に関しては、サハラ砂漠内部で津波に関連する地層や堆積物が発見されたという証拠はほとんどありません。現在のサハラ地域で津波の直接的な痕跡が発見されていない理由は、この地域が内陸であり、海洋からの津波が直接的に影響を与えることがないためです。しかし、仮に古代に海水が広範囲に浸入した場合、その後の塩析現象や塩湖の形成が確認されていることから、海水の影響があるとする仮説は成立します。」

ということなので、重要なのはやはり古代河川のタマンラセット川の存在です。

タマンラセット川氾濫の痕跡について質問しました。

ChatGPTさんによる回答は「タマンラセット川の氾濫の痕跡は、サハラ砂漠に広がる古代河床や氾濫原として確認されています。これらは主に衛星画像や地質調査で明らかにされ、広大な平地や堆積物が過去の氾濫活動を示しています。堆積物には湿潤期に形成された特徴があり、川が運んだ土砂や泥には水生生物の痕跡も含まれ、豊かな生態系が存在していたことが分かります。また、川の氾濫による地形変化として、扇状地や谷底平原が見られ、流域には大規模な湖(メガレイク)の痕跡も確認されています。」

「特に9000~5000年前のアフリカ湿潤期には、降水量が多く川が頻繁に氾濫しており、その影響が現在の砂漠地形に刻まれています。」

アトランティスの首都「サムリオス(Samlios)」があったと考えられる、リシャット構造及びタマンラセット川の流域にはそういった地殻変動の痕跡があったのかというのを調べてみました。

北西アフリカ、モーリタニア大陸縁辺部の海底地形と浅層堆積構造のマッピング:地質災害の可能性に関するいくつかの示唆

研究の結果、モーリタニアの海域には2か所の海底地すべりの痕跡が確認されているようです。

CAP BLANC SLIDEとMAURITANIA SLIDE、オレンジの領域です。

https://njg.geologi.no/images/NJG_articles/60713_NGT_no_3_06_3.pdfより引用

海底地すべりが発生するとどうなるか。

まず地震が起こり、それと同時に巨大津波が発生することが一般的です。

このような災害が発生すると、地震、津波、さらに川の氾濫などが重なった、「大規模な複合災害」が引き起こされると推測できます。

上の画像から見えるように、海方向に流れている水跡は、津波による大規模な引き波の痕跡である可能性も考えられます。

年代については誤差があるかもしれませんが、研究によると、最上部のデブリフロー単位が約10,500〜10,900年前(10.5〜10.9千年前)に堆積したことが放射性炭素年代測定によって示されています。

このデブリフローの深度については、深い部分で約2,500メートルに達しており、これはアトランティスが海の底に沈んだというプラトンの記述とも一致します。

場所などの詳しい記述はありませんが、この複合的な自然災害には名前がついています。

アトランティスを一夜にして滅ぼした激しい地震と洪水は「大地殻変動」によって引き起こされたもので、この大地殻変動は「第二トランサパルニアン大変動」と呼ばれています。

彼らが何世紀にもわたって獲得し、蓄積してきた全てのもろもろとも、惑星中に陥没してしまったのだ。

Beelzebub’s Tales to His Grandsonより引用

アトランティス滅亡の要因として、最初に自然災害(地震・津波)、道徳的腐敗、技術的・軍事的衰退の3つを挙げましたが、直接的な要因となったの最も現実味のあるものは、複合型の自然災害というわけです。

10.アトランティスとエジプト

第二トランサパルニアン大変動によってサムリオスは滅びましたが、アトランティス人たちは滅びたのでしょうか、それとも生き残った人たちもいたのでしょうか。

滅びたとしたらそこで話は終了しますので、生き残ったという説を考えていきます。

アトランティスの預言者(巫女と記述あり、多分占星術師の類)たちは自らの土地の滅亡を予知しており、多くのアトランティス人はアフリカへ移住し、ナイル川の源流に定住したと言われています。

アトランティスを滅ぼした大災害の後、残された生存者たちは中央アフリカに逃れ、北と東に向かって移動し、最終的には下エジプトのナイル川流域に到達しました。後にエジプト文明を築いたとされる説もあります。

預言者と聞くとどうにも胡散臭くなってしまいますが、今現代人がスマホを眺めている時間、彼らが何をしていたかというと空を観察したり夜空で星の観測をしていたわけです。

雨雲があれば、これは雨が降るな。この程度は誰にでも分かりますが、これよりさらに微細な変化やある程度のパターンがデータの蓄積によって推測でき、今よりずっと精度が高く、予測可能時間も長かったりしたのではないでしょうか。

アカルダンの存在

この主張は上記した預言者の説との共通点もある、「アカルダン」や神秘主義的な解釈を含みます。アトランティスの生き残りがエジプトに移住し、ピラミッドや天文台を建設したとする理論です。ギリシャの哲学者ピタゴラスやモーセも、アカルダンの学びに影響を受けたとされています。アカルダンは、エジプトの宗教や科学に深い影響を与えたとされ、天文学的な知識やミイラ作りの技術もアトランティスから伝わったとされています。

次に、紀元前7,500年から7,300年の間に東方、主にシリアからパレスチナ、東アナトリア、ザグロス山脈に、現れた新しい入植地の数と性質です。

非常に高度な知識を持ったコミュニティが突然、これらの地域一帯に登場しました。彼らが残した遺物を調査すると、後の時代の文明の基礎となる要素、すなわち掛け合わされた穀物、高度な建築技術、美しい陶器、さらには金属加工の始まりまでが、ほぼ同時期にこの新しい入植者達によって行われていたことがわかっています。

忘れてはならないのが、アトランティスの物語はどこから来たのかということです。

これは七賢者ソロンがエジプトの神官から聞いた話です。

エジプトがアトランティスと交流があったから話が伝わった、植民地だったと考えている方もいるようです。

しかし、アトランティスとエジプトは何千年も時代が違うことからも、アトランティス人はエジプト人の祖先であり、その話が時代を超えて受け継がれてきたと考える方が自然かと思います。

他にはアトランティスには十人の王がいた事が書かれているので、一部の支族のみ移り住んだということも考えられます。

災害や大洪水の物語は、エジプトの神話の他にも、旧約聖書(ノアの箱舟)、シュメールの叙事詩、ギリシャ神話、オーストラリアのアボリジニの伝説など、さまざまな文化に見られます。

その他にもアトランティスについての神話や伝説を持っている先住民族も世界各地にいます。

例えば、インディアンのホピ族にはアトランティス(第4の世界)の最終的な破壊についての伝説があり、これは世代を超えて受け継がれてきました。

この伝説によると、アトランティスには巨大な都市があり、そこにはたくさんの人々が住み、高度な工芸品が多数存在していたとされています。

人々は「皮の盾」を作り、それに乗って空を飛び、戦争にもそれを使用していました。最終的に、人々はあまりにも堕落し、彼らの世界は大洪水によって破壊されたと伝えられているようです。

他には「山より高い波が陸に押し寄せ、大陸は裂けて海に沈みました。」生き残った人々は島から島へとボートで渡り、やがて大きな大陸にたどり着きました。これがホピ族の始まりとされています。この他にもシパプの伝説もありますが、「洪水」というテーマを共有しており、過去の文明の終焉と、新たな始まりなど共通点も多いです。

ホピ族だけでなく、イロコイ族やその他多くの北アメリカの部族がアトランティス人の子孫であるという説もあります。ほとんどの部族には、大洪水と自分たちの民族の起源に関する似たような伝説があり、どれも「言葉では表現できないほど美しい土地」と「不思議な機械」の存在を語り、人々が悪に染まり、最終的に破壊されなければならなかったという伝承です。

他の民族との関連性について書きましたが、アトランティスとエジプトに戻ります。

アトランティス人はエジプト人の祖先であると考えられると書きましたが、その理由をいくつか挙げていきます。

René Adolphe Schwaller de Lubiczの研究

フランスの考古学者、エジプト学者、哲学者として知られるレネ・シュワラー・ドゥ・ルビッツは、特にエジプトの神殿やピラミッドの研究で有名です。

彼の研究は、エジプト文明の神殿建築に関する深い象徴的な意味や、エジプト人の精神文化の理解に焦点を当てています。

シュワラー・ドゥ・ルビッツは、エジプト文明が紀元前3000年よりもはるかに古いものであると主張しました。

彼は、エジプト文明が天文学、幾何学、宗教的な知識に基づいて築かれたことを証明しようと試みました。

また、彼は、古代エジプトの遺跡や神殿がアトランティス文明の生き残りによって建設されたと考えました。

この主張は、エジプト文明の急速な発展とも結びつきます。

エジプト文明は突然かつ完全に発展したとされています。考古学的な証拠は、エジプト文明が長い時間をかけて発展したのではなく、むしろ急速に成熟したことを示唆しています。

この急激な発展には、アトランティス文明からの知識の継承やその影響が関与していると考えられているのです。

特に天文学に関しては、長年の観測データの蓄積が必要であり、この知識がアトランティスから伝えられた可能性があると指摘されています。

ギザの大ピラミッドとスフィンクスの起源

エジプトのピラミッドやスフィンクスは、伝統的な学説では紀元前2,500年ごろに建設されたとされていますが、エドガー・ケイシーやGI.グルジェフ、ロバート・ショックなどの研究者は、これらの構造物がはるかに古いものであると主張しています。特に、スフィンクスの風化が水の浸食によるものであり、紀元前10,000年頃に建設された可能性があるとされています。

古代の天文学的知識や高度な技術を反映しており、特にオリオン座のベルトと関連づけられている。グラハム・ハンコックとロバート・ボーヴァルは、スフィンクスが紀元前10,500年に建設され、その配置は古代の天文学的サイクルを示していると述べています。

アトランティスで設立された、アカルダンの目指す精神の特性を表す象徴は、スフィンクスであるといわれています。

エジプトといえばピラミッドやスフィンクスというイメージですが、スフィンクスはトトメス4世(紀元前1401年 - 1391年)の時代から、注目されるようになりました。その時までは砂に埋もれていたのです。

これは夢の碑文に記されていて、トトメス4世がまだ王子だった頃、夢の中でホル・エム・アケトから「砂に埋もれたスフィンクスを掘り出せば王位を獲得できる」というお告げがあったとされ、それによりファラオになったという話があります。

なぜスフィンクスは砂に埋もれていたのか

第二トランサパルニアン大変動の後にアトランティスは滅びましたが、グルジェフによると第三の災害もありました。多くの肥沃な地域が砂に覆われるというのが第三の災害です。

「第三の災難は完全に局所的なもので、その原因は前例のない『大気の部分的移動の加速』、つまり強風によるものです。これらの前例のない強風が、高くなった陸地の一部を削り取り、対応する凹地を埋めました。こうした凹地には、アッシュハーク大陸の中心国(アジア)などが含まれており、そこでは主に存在の過程が集中していました。また同時に、砂がペアランド(インド)の一部やグラボンツィ大陸(アフリカ)の中央部を覆い、アトランティスの喪失後、三脳の生物の『文化の中心』と呼ばれた国がサハラ砂漠となりました。」

今回の記事ではプラトンのクリティアス、ティマイアスに書いてあることが全て真実であると考え、アトランティスが本当に存在したのかということを考察してみました。

あなたはアトランティスの存在を信じますか?


ここまで読んでいただきありがとうございました。





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