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LGBT法案は凄く関係があって、凄く関係がない

喫煙所で「LGBT法案、ストップしちゃったね。」。

職場の男の子がそう言った時、私は自分に気を使って言ってくれているのかと勘違いして「ははは。そうだね。」と軽く答えてハッとする。

彼が沈痛な面持ちだったから。ああ、そうだった、そうだった。忘れてた。申し訳ない。仕事していると、ほんとにそんなこと関係ないものだから。

でも、”あー、君もそうか、一緒だね。仲間だね!”とは到底ならない私は彼らからすると半端な思想人。

様々な年代、性別、未婚に既婚、ほんとに色々な人がいるのが職場。あたりまえだけど。

そして何年も一緒に働いていると違う職種の子でも「僕の同居人」のお話をしてくれたり、さらに詳しく聴いていると、「ああ、その人って男性だったのね。」ということが分かり、さらにその先のことを聴くようになる。

普通に話してくれて、さらりと他の話に切り替わる。そういうのが気に入っていた。だけど、それが普通ってわけではないんだよね。辛いことがいっぱいあるよね。

ただ、そういうのを気持ち悪いと思う人は思う自由があるし、それを認めるのが怖いと思うのも悪じゃない。

でも、過去に親しかった友人でも「女は絶対結婚して子供を産むべきだ」に憑りつかれている人に非常に失礼なことを言われて「はい、さいなら。互いに不快だったね。」というようなこともあった。そういう場合は一切後悔がない。

そうなんだよね。自分が何を思っても自由だけど、何かしら自分が囚われている生き方を振りかざして相手にもそうあれ!ってのを向けて来る人で幸せな人をただの一人も観たことがない。

そして自分を幸せにしようと努力しない人は、自分と関わる人をも不幸にしようとする。

要するに、LGBTに属するたった数%の人々と、大多数のLGBTに属さない人々の、その両方に好きな人や嫌いな人、どうしようもないお馬鹿さんがいるし、愛しき人も存在する。

また会いたいなー!と思う人と、二度と会いたくねーよ!仕事ですらな!と思う人が両方の人種にいる。だから、問題はそういうことじゃない場合の方が多いんだよね。

でも、それに付随して起こった悲しい歴史や偏見による事故や犯罪は決して許されない。

例えばかつては・・・いや、未だに世界のどこかでは犯罪だとか病気だと思われている。ううん、どこかの世界ではなくてこの世界でもだね。今でもだ。

でも、こういう記事が出ること自体、既に世界は変わり始めているのではないかな?と思う。

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今日のスワローズの試合は中止かと思っていたので油断した。やっている!と気づいて慌てて中継を見始めた夕食時。

二人で大興奮しつつタンドリーチキンとサラダを頬張りハムスターみたいになっていた。そこをビールで流し込む。Kちゃんはコーラ。

しかし、やはり雨が強くて途中で中止になった。

いつも思うのだけど、Kちゃんが中継を見つつ何かを叫ぶと、その直後に解説者がまったく同じ言い回しでまったく同じことを言う。

状況判断というか、物事を正確に観る力が半端ない。そして、誰よりも早い。仕事の時もそうだ。出会ってからずっとそうだった。何事も。

私は「うごっ!」とか「どわっ!」とか「うにゃああああ!」とか擬音を発声しているばかりだ。

理論派と感情派が共に生きて心地よいこともある。

要するに愛情の世界では、何でもありだ。良いも悪いもない。


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