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贋作吾輩は猫である
"どのくらいの時が過ぎたか、歳月が流れたか、変転極まりなき猫の目を閉じて甕の中に一睡した間の事は知らないが、気がついたら甕の縁から這い上がり、先ず身ぶるいをして、八萬八千八百八十本の毛についた雫を払い落とした"1950年発刊の本書は【贋作にして】直系の弟子による正統派続編。
個人的には、なかなか再販されないのが何とも不満な、とにかく『ひゃっけんずラブ』な私として、クラフト・エヴィング商會が手がけた表紙も嬉しく手にとりました。
さて、そんな本書は、猫好きならご存知の名作『ノラや』の愛猫と出会う前【猫を飼ったことのなかった】著者が、敬愛する師匠の漱石【吾輩は猫である】最後は"水がめに落ちて生死不明になった"猫が【時を越えて生きていたら】という設定で、何事もなかったように贋作続編として再開させ、猫は今度はアビシニヤと名づけられて【外見や振る舞い的には著者そっくり】の五沙味先生のところに住み着くのですが。
設定はともかく、文章的に漱石に寄せることはしなかったようで。また他の作品に比べて淡々としたユーモアも抑え気味なので【吾輩は猫である】と同じく、個性的な登場人物が集まってくるとはいえ、物語としては特段何も起こらないことから、静寂の中で続く【幻想的な会話劇】の趣きがありました。
また、猫自体も名前も与えられ、食事も前作に比べて豪華になってたりと地位向上は図られているも、文章途中から消えてしまったり【存在感があまりないのが意外でした】思うに本書は執筆当時は60代と、亡くなった師匠の年齢を越えて生き残ってしまった弟子からの回想録としてのオマージュ作品なのかなあ。と思ったりしました。
内田百間好きな誰かや、猫が登場する本好きな人にオススメ。