日々是徒然/『ロシアのなかのソ連』さびしい大国、人と暮らしと戦争と/馬場明子
馬場明子は、ブレジネフの時代のモスクワに留学し、1970年から六年間ソ連に暮らした、その後、放送局の番組ディレクターとなり、ソ連、ロシアの大地を取材を現地で五十回以上行い、ペレストロイカ、ソ連崩壊、エリツィンの登場、そしてプーチンの施政を、人びととの会話によって取材してきた。
本を読んでいると、書いている人の立ち姿が見えることがある。姿と云っても、ものごとに向う姿勢のことだ。馬場明子は、基本がドキュメンタリストなのではと、思う。明確な目と、体験に対しての素朴な疑問、それらを失うことなくを持ち続け、この本を綴った。
そこに居る人(たち)と、そこが完全に異邦であるわたし(たち)と——そのギャップをいつも考えていた。コロナや戦争がグローバルに影響を拡散していくなかで、それをもっと深く考え感じなければと思うようになった。戦争が終わらないことの一つに、プーチンを支えるロシア的なロシア人の感覚があるのではないかと…思っている。ただの勘だけれども…。(これは翻ってわたし(たち)にある、日本的なもの、姿が見えない天皇制というものを見るという鏡の作用になるだろう)それを知りたくてロシア文学を読み続けている。チェーホフのあたりまで進んできたが、まだ漠として何も掴めていない。パンとか地下室とか…。
一方、戦争を地政学的に軍事的に見ることも必要だ。ウクライナの戦争で、最新情報戦や衛星を駆使した最新の戦術が行われ、一方地上では歩兵と戦車が消耗戦をするという、戦争に関するすべての事がらが、一緒くたになって展開している。シュミレーションや抑止の理論が、本当にそうなのか?と相互で探り合いながら、それでもエスカレーションの階段をどこまでも登っていく。
だけれども、都市が壊れ、人が死に、人の生活、人のつながりが失われていくという、ウクライナにいる人たちの目で戦争を想像することも大事で…そしてプーチンを支えるロシアの人たちの感覚というものも。——それらは文学からだけでは知ることはできない。文学は現実から少し遅れて登場するからだ。『ロシアのなかのソ連』は、必死になって想像している軍事と人の[あわい]に立って、戦争のことを思う、自分の考えを補償してくれる貴重なドキュメントだ。
いくつもの気になることが書かれている。
ロシアでは強く命令出来ない人は尊敬されないし、そんな人の下では働かない。(P22
権力を持つものへの従順さと同時に、あらゆる庇護を求める要求はとても強いものがある。(P24
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』大審問官
人間の自由を支配するのは、彼らの良心に安らぎを与えてやれる者だけだ。
パンを与えてみよ、人間はすぐにひざまずく。なぜならパンほど文句なしのものはないからだ。(P24
パンと地下室。これはボクがロシア文学を読みながら、常にどこかに出てくるなと思うキーだ。いつかこのことを分かるようになると良いなと思っている。パンは『サガレン』(梯久美子)にも『二十六人の男と一人の女』(ゴーリキー)にも出てくる。パンはサモワールとともにロシアの重要なアイテムであり、その使われ方で階級とか、態度とかいろいろなことが分かる。
ソルジェニーツェンの彷徨についても書かれている。共産主義とたたかい、アメリカに暮らし、資本主義とアメリカにも疑問をもち、ソ連崩壊後、1944年に祖国に帰国し、シベリア鉄道でロシアを横断し、ソ連崩壊で疲弊する村々をづぶさに見たソルジェニーツィンが、国民にロシア独自の国家を再建するように呼びかけた。『ロシアをどう構築するか』甦れ、わがロシアよ——私なりの改革への提言。この本を読んだプーチンは、ソルジェニーツィン宅を訪ね、賛同の意を表した。
プーチンが戦争をはじめ、プーチンが戦争を止められる人であり、かつ戦争を継続している人である。そのことと、起してしまった戦争が、世界中の経済状態までを巻き込んで、複雑な様相を呈していることは、同時に起きていることで、それがゆえに、プーチン以外に戦争を止められる人が居なくなってしまった。(軍事専門家は、戦場で決着がつく前に話し合いで止まったり終わったりした戦争はないと。このことも深く考えないといけない。)だからこそ、戦争を起す前のロシア人が、ウクライナ人がどう生きていて、どういうふうに、それぞれの国をとらえていたのか、の地べたからのレポートは重要である。
『ロシアをどう構築するか』甦れ、わがロシアよ——私なりの改革への提言(ソルジェニーツィン)という本は、今、非常に入手困難である。図書館にもほとんどない。調べる限り都内に一冊という有り様だ。『ロシアのなかのソ連』に書かれていることを少しでも理解するには、本やドキュメンタリーを丹念に探して読み感じる必要がある。今、自分が、戦争とロシアを見ている姿勢に欠けているものを、馬場明子はこの本に記録している。自分にとって最も再考すべきは、何かにあたるときの姿勢と視点を常に認識しておくということだ。ボクにとってこの本は課題の山であり、そこに丁寧にアプローチしていくのがこれからの日々徒然の一つになるだろう。
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