自分に期待して夢を見て、明日をまた生きたいと思ってる愚かな自分にバカほど感謝。
最近、めちゃくちゃ久々に懐かしく素晴らしい感覚に陥っておりました。
病む
という感覚です!
もう二度と「病む」ことは無いのではないかとおごり高ぶっていた私でしたが、再び「病む」という機会に見舞われました。
おい久しぶりに会ったな、てかもう死んだのかと思ってたぜお前!
「病む」の私なりの(あくまで私なりの!)定義ですが、
「病む」という現象は
蓋をしてきた臭いもの達が、突然私の予期しないタイミングで飛び出し、私に乱暴なやり方でSOSを送っている、
という状態だと認識しております。
それに対し、私が「病む」という言葉を小学生だか中学生くらいの頃に教わった当初の意味は、
突然自分のコントロール出来ない場所からネガティブがモクモクと発生して自分を飲み込もうとする現象
何日かもがき苦しめば自然とまた忘れることが出来るがまた数カ月後とか(スパンはわからないけど)に襲いかかってくる、避けようのないもの。災害のようなもの。
だったように思い出されます。
すごく曖昧です。
もうどうにも対処が出来ないというか、なるようになるしかない、ような…。
自分がネガティブにロックオンされたら逃げられないから仕方なく受け入れるしか無い…みたいな。
でも、前述したように私は、
「病む」というのは元々自分の中から出てきたその時々で自分にとって都合の悪い感情やら事実やらが、
「もうこんなとこ閉じ込めとくんじゃねー!」
って蓋を押し破って出てこようとしている、自分自身からのSOSなんじゃないかと思っています。
だから、その時都合が悪くて見てみぬふりした自分自身が、いわゆる「病む」という形で現れているだけであって、
それは自然災害や死のように自分の外で起こるのっぴきならない現象とはまた違う
あくまで自分の中で見て見ぬふりしている都合の悪さが循環しているだけなんじゃないかな、と思う次第です。
(あくまで私が思うことです!しつけえな!)
もちろん、人生はゲームじゃないし、人間は勇者でも海賊王でも無いので逃げる権利は無限にあります。
死ぬよりマシです!
しかしながら、自分の内側にあるものからは、逃げ切れないんじゃないかと思うものです。
抑え込んだ不安や本音や矛盾や欲求葛藤は、消えることなく、その人自身に「頼む〜たすけてくれ〜」ってずっと叫び続けていると思います。
しかしながら、それは同時に、彼らを臭い空間から解放して、それぞれに
「よし、じゃあお話しようね」
と向き合ってあげられるのは他の誰でもなく自分自身だということです。
(もちろん自分一人じゃどうしようもないのなら、お金を払ってプロの助けを得たい次第です。助けてエロい人!)
ところで今回私が病んだ理由は、自分の中に不安を置いてきぼりにしてきたからです。
プライベートな話ですが、生活がこれから大きく変わるに当たって、新しい生活を手に入れるために、まず不安を一旦無視して勢いで物事を色々決めてしまったんです。
で、ほっといた不安がドバっと溢れて無事「病んだ」というわけです。
もちろん、不安と向き合ったって、時間が止まるわけではないし、
新しい生活を手に入れると同時に失おうとしている今までの平穏な幸せは戻ってきません。
でも、不安と向き合う、自分が蓋をしてきた臭いもの達と向き合うことは、私が健やかに前を向くためには必要不可欠です。
なぜなら、理解・納得するからです。
そもそも「今自分病んでるな〜」って時に、
自分の中の何が起因しているのか?というのは、辛い場合もあるでしょうが私は積極的に丁寧に紐解きたい派です。
なぜなら、訳のわからないものこそが一番怖く思えるからです。
でも、訳のわからないものの正体を見破ってしまえば、なんだお前か、じゃあ対処法考えるわ、とこちらも対策を練れるからです)
で、今回私にとってはこの
訳の分からないもの=不安
だったことが分かったので、
そもそも何を不安に思うのか、そもそも不安に思うほどのことか(一人で盛り上がってないか)、どうやったらこの不安を取り除けそうか(実際に行動する、シミュレーションしてみる、それとも辞める?)
など、丁寧に自分と相談して、解析している最中です。
そうすると、「お前大ボスっぽい顔して近づいてきたわりに、思ってたより大したことないな」ってことが分かってきて、不安がしぼんでいます。
そうなると、今後もし「病む」ってことが起きたとしても、今私を「病む」に追い込んでいる不安はもう出てこれないんです。
なぜなら、私が正体を暴き、和解してしまうからです。(今その最中なので、その予定ですが)
※上記はもちろん、もちろん、もちろんのこと、
私個人が勝手に思うことなので科学的根拠があるわけでも、何か学術的に証明されたことでも無いです。
平凡な私の考えの切り抜きです。
私は何でも大げさに捉えるね、と昔誰かに言われたのでそうなのかもしれませんが、
「病む」と、死んだら解放されるな…
という至極当たり前な甘いささやきが頭に聞こえる気がします。
(こういうところが大げさなんだと思うぜ海馬)
でも、私はいつだって、
生きてれば何度だってやり直せるしなんだって出来る(可能性がある)
という考えを胸に抱いています。
人生のどん底にいた昔の自分からの最高のプレゼントです。
自死、というのは一世一代の、誰もに一枚だけ渡された最強のカードです。
最強すぎるので、全てを無に出来ます。(と聞いています。死んだことないのでわかんないです)
もちろんいつ使ってもいいし、自分が好きなときに使えばいいと思うのですが、
私はまだまだ地べたのたうち回って生きていきたい次第です。
なぜなら、死ぬほど辛いと思っている問題があろうとも、
自分がその問題に立ち向かっていけるほど強くなれるということを知っているし、
解決出来てしまうかもしれないほど知性を磨けるのだ、
という期待をしているからです。
自分に期待するなんて愚かかもしれません。
でも、私がまじで仙人100%みたいだったら多分とっくに死を選んでるんじゃないか?と思うものです。
愚かだから夢見て、期待して、もっと生きたいとか思えるんじゃないかなと思う次第です。
なので、愚かな自分に感謝しつつ、明日からもこの忙しい10月をブチギレながら生きていきたいと思います…。