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限界について考える

私、過去に適応障害と言われたことがありました。
最近、適応障害で休職をされる方がちょこちょこいるので、思うことを書いてみたいと思います。

適応障害とは…↓Wikipedia↓

簡単にいうと、明確な原因によるストレス反応なのかな、と思います。
ストレス原因がわかっているので、基本的にはそれから離れたらよくなります。

自分の話ですが、私が適応障害と診断されたのは職場のストレスからのストレス反応でした。
簡単に話すと、同僚が次々妊娠し、気付いた時には働いている人より休んでいる人の方が多い、半分以下の人数で同じ業務をしていたので、人手不足による過労と、上司との関係です。
自分と2年目の保健師だけで2年間業務を回さないといけない、その間補充はしません!という環境、上司は「人の穴埋めは当たり前のことなので、あなたが頑張っても評価は平均より上げないよ!」ということでした。
それは…体壊すよね。。と、今思ってもがんばってたなーと思います。
1年半この環境で後輩を育て、限界!と思って転職しました。

本当に限界だったか?

まとめて話すとそんな感じですが、では本当に「限界」だったかと自分に問うと、正直わかりません。
私の場合は、眠れなくて疲れが取れず困ってしまい、眠らせてください!と病院に行ったところ、「これはもう適応障害だよ」と言われて自覚しました。
今でも、あの時はまだ頑張れたかも…って気はするんです。
毎日普通に暮らせていましたし、気持ちよく眠れてはないけど眠ったし、食べる気力はなくても食べてましたし。
他の人、自分の限界って、自分でわかるものなんでしょうか?

相談を受ける中で

自分の限界がわからない私なのに「限界になる前にまた相談してください、こちらからも声もかけますね」みたいなことをよく言います。
(今日も言いました 苦笑)
これは社交辞令ではないですが、定型文として言っちゃうんですけど、やっぱり話していくと「限界ってわからない」と言われる方が多いです。
やっぱりみんな「自分の限界なんてわからない」のです。
でも「諦めたらそこで試合終了ですよ」なんて名台詞もあるくらい、粘り強く、絶えて、限界を作らずやっていくことは良いことだし、そうありたいと思っている人は多いのではないでしょうか。

がんばるのが当たり前すぎる

がんばる⇔がんばらない⇔怠けてる
みたいな、グラデーションがあると思うのですが、がんばっていない=怠惰、二元論な風潮になってしまっているように感じています。
がんばっていないことは悪くないし、基本的に生きるのにがんばったらダメ、がんばれるときにがんばればいいんだと思うんです。
がんばらない自分を責めたり、自分と同じように頑張っていない人を責めないでほしい。

限界なんて考えないで済むのが一番

人生の中に、何度か頑張る時期はあると思いますが、それは「何回か」だからがんばれる。
日常生活の毎日の仕事が、がんばらないと乗り越えられないなら、それはやっぱり限界なのではないでしょうか。
がんばらないと!と、思い始めたところで、一呼吸おいて自分や環境を俯瞰してみてほしいです。
あの時の自分にも、そんな風に伝えたいです。


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