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発達障害に真剣に取り組んで離れた話#3
すごくやりがいを感じていたのに、疑問を持ち始めたあたりの話です。
集団生活のため
家で困らないのになんで声をかけるか。それは、集団に入った時にその子が困らないようにです。
今もこれはその通りだと思っていますが、だんだん集団に属するために集団生活の始まりまでに発達を伸ばしてある程度集団生活の中ではみ出さないようにしなくてはいけないと思うようになりました。
療育でもっと成長しようよ
気になる子を見つけ出すことができるようになった私は、呼ばれるままにいろいろなところに行きました。
保育園に行けば、集団の輪から外れて楽しめていない子がいるし、小学校に行けば、同じように集団に入れず勉強についていけない子がいます。
その子は困っています。
困っている子がいれば、助けてあげたくなるので、ますます早期発見・早期療育につながるようにがんばりました。
保護者にも、このままだとこの先こんな風に困るかもしれない!と、時間をかけて説明・説得し療育に繋げていました。
行った後も療育園の先生と良好な関係が築けたり、子どもの成長を感じられて、ほとんどの人からは感謝されていました。
その反応をもらい、私もうれしく思いました。
年長児を見に行くお仕事
知れば知るほど奥深い子どもの発達。ほかのスタッフや保育士さんに教えることも増えてきました。
そんな中で、教育委員会所属の先生と一緒に来年度入学する子の発達確認に行く仕事をすることになりました。
何にもない普通の日に、数人の先生と一緒に年長さんのクラスを見に行きます。子どもたちは見知らぬ大人に興味深々で迎えてくれます。
来年度入ってくる子の中で、気になる子を知っておき、クラス編成等に役立てるのが目的ですが、当然支援級や支援学校を案内する必要がある子がいるかどうかもチェックします。
必要な支援を必要な場所で受け、その子に合った環境で学校生活を送ることは子どもにとって今後の人生を歩んでいく上でも大切なことです。
いつもどおり、それ以上に集中してたくさんの子の発達を見ました。
来年度、見落とした子がいたら困るという気持ちもありました。
この仕事は私が仕事を辞めるまでの3.4年続くことになりました。
まるで悪い子発見器?
みんなに感謝され、私はとても良い仕事をしているのだと自信もありましたが、学びが深まり、これ以上の勉強する余白が少なくなってきた頃です。
これって本当に必要なことなんだろうか?と、発達障害・疑いを見つけだすという行為に疑問を感じ始めました。
きっかけがあったわけではありませんが、「保育」から「教育」に変わっていく段階で感じる「粒ぞろえしたい」という教育現場の意向を強く感じるようになったからなのだと思います。
先生たちからすると、とても助かる人材だったと思いますが、私はこのまま「わるいこはぁ~いね~か~~」と、保育園を回りながら、発達に遅れやばらつきがある子を見つけ続けていいのだろうか?と疑問を持ち始めました。
長くなってしまいましたが、違和感を持ち始めた時のお話でした。
明日は、そんな疑問を持った自分の考える発達障害への支援や、一区切りつけたお話です。次で終わりかな?
お読みいただきありがとうございました。