営業→経営企画 新卒4年目の「これまで」と「今思うこと」
4年と数か月前、「内定」と書かれたメールにずっと夢見ていた仕事への期待に胸を膨らませながらすぐに「承諾」の返事をした。
あれから4年、「あの頃の私は今の私を見てどう思うだろう。」とふと思う。
夢だった仕事
ずっと夢だった仕事。中学までは姉の背中を見てパティシエになりたいと専門学校を目指していた。しかし私は高校でうっかり「夢」を持ってしまった。日本の地方を元気にしたい。田舎で生まれ育った私にとって都市間格差はとても大きな課題だった。いつしか私の関心は観光や地方創生に変わっていった。
それから大学に行き、在学中は机上でも学外でもその夢に向けていろんなことに挑戦した。交換留学も、サークルも、地域おこしプロジェクトも。今思えばその頃が一番楽しかったのかもしれない。
就職活動を経て第一志望から内定通知をもらった。(後から聞くと倍率は1000倍だったらしい。)
新卒一年目
就職先はずっと夢だった業界だが、俗にいう「お役所気質」で、就職前には周りから「絶対やめたほうがいい」と言われた記憶も薄っすらある。だがそんな言葉にも、当時の私は「環境のせいにしない。すべては自分次第だ。」と強く想っていた。高校の頃、田舎で勉強する私のモットーだったから。
しかし現実は違った。学生の頃の私は「社会」をなめていたのかもしれない。あれほど説明会では先進的・SDGsといった言葉を並べながら、紙文化、お茶汲み文化、年功序列、パワハラ、セクハラが色濃く残る組織風土。毎日7紙新聞を読み、コピーし、切り取って、誰も見ないものを作成し、言葉の一言一句まで訂正され、コロナ禍で週の半分が自宅待機。燻っていた。
課長は業務時間中にネットサーフィンし、ランチ時間を多めに取り、業務を放棄し私に押し付ける。それでも給与表どおりの収入をもらっている。
一方で、社外の友人と会うたびに友人はきちんとした環境で経験を積んでいて成長しているのを感じた。想像以上だった。1000倍を勝ち抜いて、それなりに頑張ったつもりだったのに、「何のために就職したんだろう。」と日々思い悩む毎日が続いた。この一年が一番つらかった。
そんな中、他部署の上司とたまたま飲みに出かける機会があった。とても人間性が素敵で気さくな部長。
「若いときはそんなもんだよ。きっと、それを乗り越えれば見えてくるものがあるから耐えるんだ。」
当時の私はそれを受け止めきれなかった。
新卒二年目
1年目は大学と組織風土とのカルチャーショックが多かったが2年目になると慣れてきた。抵抗は残るもののルールはルールだからと割り切って仕事をしていた。やる気のない上司を持つメリットも見つけた。ふられた仕事を自由にできること。ほぼプロジェクトマネージャーのようなことも経験できた。放置されたほうが力を発揮できる私にとっては絶好の環境だったかもしれない。
この頃には1年目に教えられたことの6割くらいが腑に落ちてきて、視座が上がった実感があった。当時教えてくださった先輩には申し訳なさと感謝でいっぱい。そして、あの上司が言っていたことの意味も分かる気がした。
この頃の葛藤はというと、自分の仕事が世の中の役に立っていないのではないかということ。税金を使っている事業に関しては、「もっと有効な手段があるのに」と思いながら上の意向に従う日々。自分の仕事が世の中を悪くしているのではないかとさえ思ってしまう。トップダウンで動く組織かつ利益もそれほど求められないとなると、「売れない事業→事業撤退」という選択をできない。
営業を通して「お金=価値提供」だと体感していた私は、「稼げない=社会に求められていない」のではないかと思うようになった。
新卒三年目
部署異動となった。仕事に対してやる気のある人しかいない部署でのプロモーションと経営企画の兼務。こんなにも嬉しいことがあっただろうか。今まで心ゆくまで仕事をすることができなかった私は初めて40時間/月を超える残業をした。(今思えばとてもホワイトな職場)
2年目で感じていた懸念についても、移動先の部署の部長が解消しようと計画を立てていたことが分かった。
きちんと自分たちの成果を可視化して、成果が出ない事業は撤退する。それを促進することがこの部署の役割の一つだと説明されたとき、1年目に飲みに連れて行ってくれた上司の一言の意味がやっとわかった。
ここで初めてちゃんと「上司」と呼べる人に出会えた。抽象度が高い話をするので最初は言っていることがわからなかったが、毎日のように厳しくも愛のあるフィードバックをくれ、1年後には理解できるようになっていた。理不尽に怒られたり大失態をして激詰めされたりもして自分のできなさが本当に辛かったが、1年前誰も怒ってくれない環境に比べればとても恵まれている環境だと思えた。成長を感じた年だった。
変化
これまでただただ嫌だという思いから「仕事を辞めたい」と思い続けてきたが、今回は「仕事は好きだ。組織も好きだ。でもこのままここにいてもダメだ。」と思うようになった。
初の海外出張に行ったことがきっかけで、価値観が変わった。役職に関係なく主体的に商談を進めている、個が活躍している、定時になれば仕事はしない、すべて学生のころには「普通」だと思っていた「グローバルスタンダード」。今後今の「労働」は評価されなくなることを実感した。
それから私は働くこととは何か、グローバルとは何か、いろんな本を読み、考え、そんな組織を変えるため、キャリアコンサルタント養成講座に通い、組織づくりについて学んだ。そして、この組織を変えることが今の私にはできないことも知った。
新卒四年目
これまでついていた兼務が外れ、本格的に経営企画の業務に従事することになった。
視座がまたひとつ上がり、1年前役員から言われて理解できなかったことが今では理解できるようになった。組織の上の人が見えてる世界が見えてきた。
今辛いことはというと、他部署の上司からどう見られているのかと言うこと。
上流工程にいることから他部署の上司に対して指示をするような立場にいる私は、日々「ダメ出し」をする立場。新卒4年目のペーペーが50過ぎたおっちゃんに指示をするなんて、相手からすれば相当迷惑だろう。
どれだけ私が気をつかって仕事をしても、イライラされながら嫌味を言われることも周りから袋叩きに遭うこともある。けど私の仕事は「彼らに仕事をさせること」。処世術のために「高圧的に聞こえない話し方」を身につけた。
年功序列のこの組織にいる限りはあと40年経たないとその溝は埋まらない。そこに改めて絶望している。
これまでを振り返ると、
・基本的な仕事のこと
・基本的な会社のこと
・お金を稼ぐ=価値提供という意識
・ユーザーを見ながら仕事すること
・組織全体を見ながら仕事すること
・行政の方の物の考え方
・民間の方の物の考え方
・組織の上の人の考え方
・世界の働き方
・人の動かし方
なんやかんや言いながらたくさんのことを学ばせていただいた。
今の職場の方は、私のことを「偉くなってほしい」「上に推してやる」と言ってくれる。この職場で学べることはもっとたくさんあるとは思う。けど、きっと私が求めている私にはここではなれない。ただそう思う。
好きだけど方向性が合わない恋人と別れる時の気持ちに近いな。
また10年後、私がパワーアップしてこの組織を変える力と権力を持てるようになったら、その時にまた再会できるかな。
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