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約束を守る=伏線回収

映画『若き見知らぬ者たち』から学ぶ

今回はこの映画を題材に少し学びの話をしたいと思います。というか、観終わった後に言いたいことが多すぎて、そのまま記事としてまとめることを決意したのでした。

映画の感想自体は上に貼ってあるFilmarksに書いてあるので、もう詳細は省きますが実に不思議な感覚の映画だったことは間違いありません。

たぶん意図的に実験のような感じで「こうしたらどうなるか?」ということを目的やテーマに据えて作られたのではないか?ということを私は推察しました。

それは「視聴者の期待に一切応えなかったらどうなるか?」という実験のように私は感じました。

というか、そうとでも思わないとこの作品を受け止めることが出来なかったからです。

作中で提示される数々の問題点を一切解決することをせずにそのままにした状態で次々に新しい難題を視聴者にぶつけ続けるとどうなるか?

答えは「辛くて苦しくて面白くない」ということになります。

では、逆に「楽しくて嬉しくて面白い」状態になるとはどういうことだと思いますか?

この考察は私のように作品を生み出す側の仕事に従事しているような方々にとっては非常に大切なことですし、また多くの作品を楽しむファンの皆様にとっても大変興味深いことなのではないでしょうか。

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これはずっと私の中にある一つの方程式といっても過言ではないのですが、『約束を守る=伏線回収』という様式こそがその作品を楽しくて嬉しくて面白いものにする原動力になっていると思っています。

今回はその『約束を守る=伏線回収』というロジックについて掘り下げながら、人が何かを見て面白いと感じるメカニズムについて分析&解説をしていきたいと思います。

あー、あくまで個人的な見解になってはしまいますが、大団円で完結を迎えた漫画『呪術廻戦』についても触れていきます。(伏線回収の解説として)

それでは張り切っていきましょう!

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約束を守る=伏線回収

まず、『伏線回収』の話の前に『約束を守る』ということについて考えていきましょう。(私は少年漫画が大好きなのでどうしても題材として多くの少年漫画が登場してしまうことは予めご了承くださいね)

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約束を守るから読者からの信頼を得る

例えばルフィが「あとで必ず追いつくからここは俺に任せてくれ」というセリフを仲間たちに向けて言い放った場合には、必ず眼前の敵に勝利した上で後に必ず仲間たちと合流します。

これが約束です。

蒼月潮が「もう誰も死なせたくないんだ」って言ったら、本当にもう(少なくとも)潮の眼前で誰かが死ぬようなことは起きないんです。

これが約束です。

空条承太郎が「てめーはこの空条承太郎がじきじきにブチのめす」と言ったから、ミドラーは承太郎の手によって本当にブチのめされることになったのです。

これが約束です。

特に少年漫画にはこういった決めセリフが多く登場していて、これは読者である子どもたちとの確かな約束が交わされているということになるのです。

もし、こんなカッコいいセリフを放ったにも関わらず、その約束を守ることが出来ずに負けてしまったら?勝てなかったら?後で合流するって言ったのに合流できなかったら?

その主人公は嘘つきということになります。

嘘つきの主人公は誰からも応援してもらえませんし、読者との信頼関係を失ってしまいます。

こういった登場人物のセリフで宣言されたことを約束として守ることは、実に明快で気持ちがいい伏線回収ということになります。

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期待に応えることこそ基本構造

また、もっと簡単で単純な仕組みとして動作や仕草にもそれが適用されるというパターンがあります。

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