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蛮勇なり!

『蛮勇(ばんゆう)』という言葉をご存知ですか?

あまり聞きなれないかもしれませんが、言葉の意味を調べるとだいたいこういう意味です。

蛮勇(ばんゆう)
物事の筋道や後先を考えずにやる豪胆な行動や生き様のこと

私が大好きな山口貴由先生の作品『蛮勇引力』という漫画にも、この蛮勇という言葉が使われているせいか、私はこの言葉の響きが大好きです。

作品の中ではこんな言葉も出てきます。

『敬人尊野蛮(けいじんそんやばん)』=人を敬い野蛮を尊ぶ

作品そのものが、ヤクザ者の主人公がおかしくなった世の中=権力をひっくり返すSF任侠道の漫画なので当然ながら野蛮であることや『蛮勇』そのものを美徳として描かれています。

本当に痺れる程にカッコいい漫画なのでぜひ読んでください。

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では、『蛮勇』と『勇気』の違いってご存知ですか?

一見すると『蛮勇』という言葉の中に『勇気』という意味も含まれているようにも感じます、が、実は全く意味が異なります。

むしろその意味は真逆だったりもするのです。

『蛮勇』とは『勇気』のことではない!

わかりやすく解説するためにひとつこんなシチュエーション問題を用意してみました。良かったら頭の中でイメージしてみてください。

【問題】自分の彼女がヤクザの事務所に連れていかれてしまった!
さて、あなたが取る行動はどっち?

【A】警察に通報して相談する

【B】単身でヤクザの事務所に乗り込んで暴れる

おわかりでしょうか。【A】の行動こそが『勇気』であり、【B】の行動のことを『蛮勇』と言います。この二つの行動の違いとはいったい何なのかを分析していきましょう。

【A】の警察に通報して相談する、という行動には冷静さがあります。総合的に判断をして最も的確に彼女を救い出すための行動とも言えます。この判断と決断と行動こそが『勇気』です。

【B】の単身でヤクザの事務所に乗り込んで暴れる、という行為はどう考えても冷静さが欠落していますし明らかに無謀です。下手をすると彼女を救うどころか自分自身も高確率で無事には帰れそうにありません。わかりますか?こういった無責任で周りへの配慮がまるで無い無謀な行動のことを『蛮勇』という呼ぶのです。

こういった表現(分析)をしてしまうと『蛮勇』という言葉があまりにも無責任で周囲への迷惑も省みずに自分勝手な行動のように感じてしまいますが、実はその通りの意味だったりするのです。

『蛮勇』とは本来あまり褒められた行動ではありません。

山の中で野生の熊と遭遇した際に木の枝で立ち向かい怪我をすることもなく追い払うことに成功した。この行動は『蛮勇である』と言わざるを得ない。

例えばこういった緊急事態の時に咄嗟にやった行動のことをまさに『蛮勇』と言ったりします。が、やはり必ずしも賢いやり方とは言えませんよね。本来ならば木の枝で立ち向かう前にまずはその場(熊)から逃げることを考えて行動すべきです。

なので『蛮勇』という言葉の中には「冷静さの欠片もない無鉄砲な大馬鹿野郎」という意味が多分に含まれているということです。

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先ほどは「漫画のタイトルにもなっているし『蛮勇』という言葉の響きが大好き」なんて言っておきながら、『蛮勇』という言葉をまるで良くない・否定するような表現をしてしまっていますが、それもまた事実なのだから仕方がないと思います。

『好き』という感情と『否定しない』という考え方はこれまた違うということです。

『好きなんだから』という盲目的な理由で本質を見失っていてはいけない、と常々私は考えるようにしています。

それこそ『好きだからこそ』ものごとの本質を見失わない冷静さを持ち合わせるべきだと思っています。

そして、だからこそ『蛮勇』という言葉は少年漫画の主人公像に相応しいとも言えるのです。

時には人に迷惑をかけてしまうような行動を取ったりもするけれど憎めないやんちゃな感じを併せ持つ人物こそが少年漫画の主人公とも言えるのではないでしょうか。

「そうだ俺は止まった時計だ 文明に置き去りにされたまま 時代おくれの剣を奮う者だ だが 覚えておくがいい 止まった時計も一日に二度正しい時刻を指している 徳川惑星! 今がその時だ」

こんなカッコいいセリフを吐ける男こそが物語の主人公であり、『蛮勇引力』という作品の中で男を魅せる由比正雪という名の蛮勇なのです。

上記のセリフは漫画『蛮勇引力』(山口貴由)の下巻から、本記事のタイトルは漫画『蛮勇なり』(笠原倫)から引用させていただきました。

さて、ここからは本記事のテーマでもある『好きだからと言って否定しないわけでは無い』という部分を更に掘り下げていきたいと思います。

人間誰しもが『好き・嫌い』があることは周知の事実であると思います。

そしてそれが盲目的になればなるほど危険を孕んでいると私は考えます。

『好きなんだから絶対的に肯定しなければならない』という考え方が悪い意味での“宗教的”とすら言えると思います。

しかし、一方でなかなかそうは思ってもらえない人たちが存在することも事実だったりもします。

そういったジレンマの話をしましょう。

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人の為と書いて『偽り』と読む!

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