生まれた意味を知るRPG
「人はいずれ死ぬ」
その恐ろしい事実を知った時は小学生ぐらいの時でした。初めてそれを知った私は周りの大人たちに「どうして人は死ぬの?」と聞いて回るくらいに子供でした。
周りの大人たちはそんな私に「誰も死ななかったらこの星で人で溢れかえって住めなくなるからだよ」とか「人間は一生かけて成長して大きくなってやがて老化して死んで天国に行くんだよ」と様々な(気を使った)返答をしてくれました。
が、やはりやがて死ぬという事実だけは変わらないという話を聞いて、その日の夜は怖くて眠れませんでした。
自分だけじゃなくて周りの家族も友人も例外なくいずれ死ぬという真実を受け止めるにはまだ私はガキだったようです。
そうしているうちに逆に「どうせいつか死ぬのなら、なぜ人は生まれてくるんだろう?」と考えるようになりました。
それから私は死の恐怖から逃れるように、まるで現実逃避するかのように漫画を読み続けました。楽しい漫画を読んでいる瞬間だけは死の恐怖のことを忘れることが出来たからです。
しかし、そんな漫画作品の中でも登場人物が死ぬ描写が時としてあります。ましてや私が子供の頃の漫画は今と違って結構な頻度で登場人物が派手に死んでいきます。そんな時代だったのでしょう。
楽しいはずの漫画を読んでいても「死」という概念から逃れることは出来ませんでした。
やがて自分の中にぼんやりと答えのようなものが浮かび上がってきました。
「生まれた意味を知るRPG」
ひょっとしたら人生ってのはまるでゲームのように、RPGのようにその人物を生涯を体験しながらその意味を見つけるための旅なんじゃないか、と。
では、生まれた意味とは?
いったいなんだろう?
80年前後でやがて死んでいくという人生の旅路の中で、その意味を考えた時になんとなく答えが出たのでした。
「自分がこの時代に生きた証を残すRPG」
生まれた意味を知った時に出てきた答えはこれでした。
もちろん人によってそれぞれ人生の目的は違っていていい。毎日を楽しく好きな事だけをやって生涯を終えたっていい。自分の趣味を楽しむために生きても、たまに海外旅行に行ったりしてそれを楽しむために働くってのもいい人生なのかもしれません。
しかし、私の手の中にある多くの漫画作品の登場人物たちはみんなその世界に生きた証を残して死んでいっています。
きっと私自身の性格や生涯の生き方を決めたのはこうした少年漫画作品の影響だったのでしょう。
「彼らと同じように自分もこの時代に生きた証を残したい」
そう考えてから漫画家・アニメーター・映画監督などの夢を侍らせたのちに紆余曲折あってやがて私はゲームクリエイターになりました。
そして現在はゲームソフトを作るという仕事を本業としつつも、漫画作品を作ったりアニメーション作品を手掛けたりしています。
「俺がいつか死んでも俺が作った作品はこの世に残る」
「一生涯ですらなく未来永劫――遺せる作品をひとつでも多く作って俺がこの時代を生きた証としたい」
これは今でも自分自身の生きる目的であり、それ以外のことは全て優先順位から遥か下の方に位置づけされています。
こうして「仕事=人生」という私のような人間の性格と生き様が形成されていったというお話でした。
幼少期に何に触れて自分の価値観を決めるかによって人はその生き方を決定していくんだなぁとしみじみ思いました。
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さて後半部分は「人生=仕事」となってしまっている私自身の死生観をもう少しだけお話していきたいと思います。
『働きマン』という漫画があります。過去にドラマ化もされた作品なのでご存知の方も多いかもしれませんね。
『新世紀エヴァンゲリオン』を手掛ける庵野秀明監督の奥様としても有名な漫画家さんが手掛けた漫画作品ですが、その作品性は非常に私の胸に刺さる内容となっています。正に共感しかない。
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人生=仕事として生きる『働きマン』の未来
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