
他人のnoteが中々読めない6つの理由。
はじめに
noteには2種類の人間がいる。
他人のnoteを読むのが習慣な人か、そうじゃない人か。
私は紛れもなく後者である。
以前から明かしていることだが、私はフォローしてる人を含めて他人のnoteをほぼ読むことができない。
少し前は一切読めなかったが、最近は週に1〜2記事程度なら頭に入るようになった。
それでも、一度読むとアイマスクで目を温めて瞑想をする時間が必要だ。
たとえ短い記事であっても同様である。
そんな頻度でしか読めないのに、何故わざわざフォローしているの?と思うかもしれない。
私がフォローする基準は「この人の文章や生き様に純粋に興味がある、毎日でもたまにでも良いから、更新されてたら嬉しい人」というものだ。
それでも記事まで読み進めるのには相当な労力が要る。
その理由についてお話したい。
私が他人のnoteを読めない理由
①他人の価値観や意見を受け入れる余裕がないため
私は以前から現実社会やSNSで他者との意見の相違を繰り返して疲弊していた。
表面的な衝突こそ避けていたが、一度意見が異なってしまうと自分の意見を出すこと、また他者の意見を知り聞き入れることが辛くなってしまうところがある。
当然、人間の数だけ考えが多種多様であることは重々理解している。
それでも、価値観が明らかに異なる人の記事を読むと、普段眠っている自身の被害者意識がどうしても芽生えてしまい、まるで自分のことを言われた気分になることもある。
これはその人が悪いのではなく、私自身の認知の歪みから生ずるものなので、常に余裕がない側の人間は誰かの創作物を楽しむのにも相当な労力と覚悟が必要ということだ。
②多数のジャンルに興味を持つことができないため
私はASD特性もあり一般的な人より興味の幅が非常に狭く、ごく限られた人の限られたジャンルの記事しか読むことができない。
例えばnoteでよく読む記事は自分がプレイしているゲーム攻略、アプリの利用法や、フォローしている人の日常系の記事に限られる。
それ以外の仕事のノウハウ系の記事などには一切興味が湧かない。
だから、noteで沢山の記事に興味を持って読める人は本当に尊敬する。
日常のあれこれにアンテナを張るということがデフォでできない脳みそなので、新鮮みが薄れていっている感覚がある。
狭く浅くnoteの世界を泳げないことは、明確に遮られている。
③他者のnoteと比較して落ち込みやすいため
私は仕事も趣味も、自分より優れた人々と比べては落ち込むことが多い。
普段は表に出さないがとても嫉妬深いので、特に何十、何百もスキがついた記事を読んで、自分の足りないところを見つめ直すのが死ぬほど苦しい。
それでも、読んでもらえる工夫を試行錯誤しながら今の記事スタイルに落ち着いた。
誰かの記事を参考にしたというよりは、noteの機能を最大限駆使して今の記事の書き方に落ち着いている。
他者のnoteを自分との優劣の比較対象にするのではなく、オンリーワンの記事として見れたなら、こんなに苦しむことはなかっただろう。
今後もnoteの文章力を上げるのに誰かの記事の良い部分を参考にすることは、成長するために必要な過程なのかもしれない。健全な考え方を身につけたい。
④情報過多を避けるため
私はすぐ脳疲労になりやすく、情報過多に耐えることができない。
それ故に、たとえ興味のあるものでも記事を読むのを途中で辞めてしまうことがある。
現在工夫していることの1つとして、スマホの文字数を最大にして一度に目に飛び込む文字を減らしている。
完全な解決策とは言えないが、自身の脳を疲労から守るための対策だ。
いつか情報を取捨選択しながら上手に読めるようになりたいが、それができているなら今こんな記事は書いてないし、その「いつか」はきっと永遠に来ない。
⑤読解力の無さを痛感するため
私はお世辞にも文章を読む力がある人間とは言い難い。日本人なのに日本語を読むのが不得意である。
これまでも些細なことで誤解をしてしまったり、邪推をして勝手に疲弊することが増えていた。
言葉をもって感情を100%伝えること・受け取ることも困難だと頭では分かっていても、「自分の頭が悪いからこの記事の真意が読み取れないのではないか」と自責してしまうため、滅多に読むことができない。
決して書き手を批判しているのではない。
紛れもなく私自身の問題である。
⑥「私はこの記事を読むに値するか」と考えてしまうため
自己肯定感が底を尽きている人間のため、この人が書いた記事の読者対象に私のような弱者は含まれているだろうか、というのはどうしても考えてしまう。
特に仕事のノウハウ系の記事は、そこまでバリバリと仕事できるほど活躍してない現在、多分私向けの記事ではないことは明らか。
それ以外の日常系の記事も「私なんかが読んでよかったんだろうか」「スキしちゃったけど迷惑じゃなかったかな」と延々と考えて、結局読んだ記事も何も反応せずに閉じることが多々ある。
本当に面白いと思った記事はスキをするし、それを許してくれる人じゃないとスキな押せない。
息を吹き掛ければ壊れそうなほど小心者なのだ。
おわりに
noteを読めない理由を自分なりに言語化してまとめてみた。
日頃からnoteを読むのが習慣な人には信じられないかもしれない。
noteを読むのも書くのも好きな人がいれば、読むのが好きな人、書くのが好きな人
その両方が苦手な人間もいるのだ。
多分この先も誰かのnoteを読むのは相変わらず苦手だろうし、読むより書く方が得意までとはいえないが、好きなのは変わらないんじゃないかと思う。
上記のことを自分のペースで克服できれば、もっと多くの記事に触れられると願っている。
もっと誰かの記事を面白い、楽しいと捉えられる機会を増やせるよう、心の安寧を図りつつ少しずつ誰かの記事に触れられることを願っている。