板挟みされる母を見ている娘はつらい
「葬儀があると親族はモメる」
これは本当らしい。
もともと、母の実家の事情が大変なのはわかっていたし、前回のnoteにも愚痴っているかもしれない。
ただ、
うちの母は、いつもいつも板挟みにあうのだ。
どういう板挟みか、を書くとまずいので書けないけれど、、、、、、
内容は複雑なのであれだが、諸々の手続きをするために、電話で必要なやりとりをおじとしている母だが、昨日あたりからもう、いよいよ母は電話口で泣き出した。
おじの態度や、放つ言葉が、本当にひどくて。
葬儀のときから、なんとなく態度は気になっていた。
亡くなった祖母の扱いも。
愛がない。
ただ、祖母が亡くなるまでの介護疲れ、喪主ということへの責任感だと思っていた。
忙しくて常に脳内が動いているおじの状況は大変だろう。
でも、おじはもともと気性が荒いひとだった。祖母が亡くなるあたりから、それが復活してきたように思う。
このままでは母が壊れる。
でも、私が首を突っ込むわけにいかないし、
共感性の高すぎる状態の私は、母の泣きながらの訴えを聞くと、おじに電話して怒鳴りたくなる。それくらい感情が過剰に動いてしまうから、危険なのだ、私は。
「なんとか(感情が)巻き込まれないようにして」
「TVみて笑ってて」
「まず元気でいないと」
と、母に言われるのだが。
『「繊細さん」の本』に、
"アクリル板越しの出来事だと思え"
という言葉がある。
怒鳴り声や、嫌な空気に敏感で心が苦しくなる"繊細さん"に対し、
怒って説教をされたり、周りで怒っているひとや機嫌の悪いひとがいたときに、そのひとと自分の間にアクリル板を一枚置いてあるイメージをし、自分は安全だと言い聞かせることで、心のダメージを回避する。
と、いうことをすすめている。
ただ、
母の身に今起きていることは、人生の中でも結構大きなことだし、母もこのことを話せるのは家族くらいしかいないのだ。
それを、聞いてあげたいし、耳に入れないようにすることはあまりにも卑劣で。
というか、無理だ。
本当に、母は苦しんでいる。
私が強靭なメンタルだったらよいが、感情移入過剰でなんともできない。
心のコントロールがうまくなりたい。
こんなときくらい。
母は、今泣きたいときに泣きたいだけ泣かないと、潰れてしまう。
我慢してはいけない。
亡くなったばあさんが遺していった問題に、今振り回されている。
ばあさん、あなたの娘を苦しめないように、守ってくれないと困るよ。
あなたは最強なんだから。
絶対に守ってよ。
何もできないし、してはいけない自分が、歯痒くて仕方ないし、どうやら、やはり鬱病が増している。
でも、今明らかに母は戦いのときだ。
"笑ってて"
という要望には、応えられるかわからないけれど、、、、、、
いや、私、
今、何ができる?
毎日、憔悴してゆく母を見ていく日々が、いつまで続くのか。
母と私が、治れる日はいつになるのか。
いつも板挟みにあって、何も悪いことしてないのに、いつも損してしまう母に、
"生きててよかった"
という、報いが必ずありますように。