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「母子分離ができていない」と言われた35歳児

最近の記事を見ていただいた方にはお分かりのとおり、
結構、苦しめの日々を過ごしている、鬱病無職の私。

厄払いにも行ってきたし、おいしいものを食べたりもしているけれど、
とにかく、両親の関係性、減薬中の母のヒステリック&過去の苦しみの吐露に、私の過敏な鬱病メンタルはほとほと疲れていた。

久々に、通院が待ち遠しいと思った。



ようやく、昨日、通院日を迎えた。

その、昨日の朝も、
廊下に置いてあった掃除機に、落ち着きのない私が引っかかってガシャーンとなったところから母の説教が始まった。
母は、家やモノが壊れることにとても神経質で、それには理由もあるのだが今はおいつもいておく。
ぎりぎりまで私は怒鳴られ、くどくど言われ、そのまま家を出て電車に乗った。時間ギリギリだった。


私の落ち着きなさに関しては、生まれつきで、
ADHDの診断は受けたことがない。
学校生活などでも困ったことはなかった。
ネットでもその症状に思い当たる節がないので、
多分、性格的なもの、タチだと思う。
これは父譲りだ。

ぱっと動いてしまってぶつかる。
モノを落とす、作業をしていても音が鳴る。
家にいて作業や出かける準備をしていると、せかせかと、無意識に走っていたりする。
とにかくばたばたしている。

「上品にしなさい」
「静かに暮らしたい」
「ガサツなんだから」

最近また指摘を受けたので、意識しまくっていたのだが、
昨日、朝のめざましテレビの『きょうのわんこ』が私のだいすきな黒い柴犬で、かわいくて興奮して、その一瞬高揚したときに落ち着くのを忘れて、掃除機へぶつかってしまった。


たのしくなると、ろくなことがないので、たのしくなってはいけないんだ。

気を付けたって、治らない。

「治らないのはわかってるけど」と母は付け加えつつ、言わないと怒りが収まらないようでくどくど私に言い続ける。

治らないことの情けなさで自尊感情がマイナスになったまま、クリニックへ到着した。


前回の診察後から、家の状況、私のメンタルは本当によくなくて。
こういうこともあったので、これも先生に言わないと、と。

鬱病も10年生なのに、まだこんなんだ。

でも、今日はちゃんと話さないと。聞いてもらおう。苦しい。


そう思って、診察室へ入った。


座ったら、
急に、息が苦しくなってきた。

どうしよう、と思っていたら、涙(<鼻水)も出てきた。

「息が、苦しいですか?」

と先生に言われる中、自分が落ち着くのを待って、
何から話そう?と思ったけれど、


「落ち着きないのって、治りますか?」


と、切り出した私。

今朝の出来事を伝え、自分が昔からこうであること、ADHDと言われたことはないことなどを伝えた。

「そのことに関しては、今までの話になかったですけど、、、」

、、、、、、あ、そっか、私先生に言ってなかったんだ。

何をどこまで、誰に話しているか、もうわからないなぁ。
もう、7、8年はここに通っているのに。


その後、死のうとして出ていくときに母に見つかったこと、
「心配してほしいの⁈」と言われたこと、
そうじゃなくて自分が家族の迷惑だからそうしたかったんだということ、
その他、
母が減薬により過去の苦しみを思い出してしまう状況にあること、
そして父が、過去に自分が母を苦しめていたことを謝らない、子どもみたいな頑固であることなど、
ひととおりのことを話した。




「母子分離が、できていないんですね。」


、、、、、、と、先生が一言。

いつも、
「お母さんと離れる、ひとりの時間を作っていけたら、いいですね」
「うまくね、聞き流せるようになると、いいですね」
など、ありきたりな、わかってるよって言いたくなるような返ししかしない先生が、
初めての言葉、自分の見解を口にした。


「親離れ、子離れしないといけない」
ということだとは、なんとなくわかる。
私が、あまりに母の意見に惑わされすぎているからだと思う。
自立、ひとり暮らしはしたいと私はずっと思っているけれど、先生が言いたいのはそういうことではないのだろう。

なんとなく、先生が言いたい意味での”母子分離”がわかってきたところで、

「これは、難しいと思います。時間がかかると思います。
35年間一緒に暮らしてきているので。」

と、先生は言った。

私は、

「母は弱くて、そして(幼少期から)ずっと苦労して生きてきたことを知っているから、私が寄り添ってあげたい。父が頼りないから、私だけでも寄り添ってあげたいと思ってしまう」

ということを話した。


pizzaさんはpizzaさん、お母さんはお母さん、お父さんはお父さん、
という、それぞれ別の人格なので。
お母さんがもし調子が悪くても、自分は自分。」



、、、、、、、母が、調子が悪くても。


自分は自分。


、、、、、、、、引きずられていては、いけないのか。


母が具合悪くしていると、どうしても心配になるし、感情をもっていかれる。でも、それではいけないのか、、、、、、



できるかは、わからないし、
「すぐには難しいと思います」と先生も言うのだから、
そうなのだろう。


ただ、
今まで、母にわがままだ、上品に、自立したいなら献立ぐらい考えろ、まだまだ足りないからあなたはまだ治らないんだ、、、など、数々言われてきたが、
全部受け入れるか、わがままが悪いのか、聞き流せばいいのか、
がんばってはいけない病気の中で、どういう風にがんばる、というか、考えて動いたらいいのかが、
全く分からなくなっていた。

それが、なんとなく、わかった気がする。
方向性が、見えてきた気がする。


家族でも、近くにいる母親でも、
”自分とは人格が違う”
ということを前提に、惑わされすぎずに生活できるようになったら、多分、いい方向へ行くんだな。


まだまだ、言葉自体に過敏だったりするし、毎日傷ついて家族に迷惑をかけて生きることになると思う。
自分の意見を言うのも、母の顔色をうかがってばかりだ。

”まぁ、すぐには無理か”

くらいの気持ちで、なんとなく見えている、明るい方向に向かっていけたら。



先生に、話せてよかった。
ありがとう。


ちなみに、
家に帰ってネットで”母子分離”を調べたら、
幼少期や学校のことしか出てこなかった。
母がいないと不安で出かけられない、泣く、母が死んでしまうかもしれないという思いにとらわれている、とか、、、、、、
”親離れ子離れ”については、30代に対しては説教のようなサイトしかなかったので腹が立ってみるのをやめた。


先生に、

「わかりました」

と言えた、あの診察終わりのときの気持ちでいよう。


なんとかなる、と無理やりでも思って、
少しでも、変わって行ける自分を想像して、信じてあげないと。



これからの自分の未来が、少しでもよくなるよう、動いていけますように。

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pizza
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。