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桜に守られる夏と”しあわせレーダー”

おとといの薬の飲み間違いで、昨日は、一日思考回路がおかしかった。PCに向かっても、noteを書く能力が働かない。母と出かけることはできたし、食欲だけはあるのだけど、何をしても疲れて仕方なかった。


今朝は、起きた瞬間から頭痛。原因はひんやり枕カバーと枕のサイズが合っていないことで高さが変わり、首やら体が痛くなってきたことだと分かったので、これは今後なんとかできる。ナロンエースがちゃんと効いてくれて、すっきりした。


頭痛って、治ると世界が変わる。

朝から暑かったが、常温の倉庫で働いていた昨年夏と同じ服装をしてみたら、またひとつ世界が変わった。ユニクロのドライTシャツ、薄手のショートパンツに冷感レギンス。これなら歩けそう、と思い、お参り散歩に出かけた。


川沿いの桜並木。noteを始めて間もないころに一度書いたが、ここを歩いていると、桜の役割は花が咲く春だけじゃない、ということを実感する。特に、夏。

この並木がない場所は、とにかく暑い。コンクリートの照り返し。東京に住んだら、これ以上なんだろうな、、、と思うと、私には生活できる自信がない。

川沿いの並木道に入ると、木陰の涼しさたるや。木があるだけで、こんなにも体感が違うのかと思い知る。ありがとう、桜並木。

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自分は直射日光を浴び、葉はこんなに虫食いだらけなのに、道ゆくひと、生き物を、日光から守ってくれる。

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本当に涼しい。


花が咲いたときだけもてはやされる桜を見ていると、やっぱり人間と重ねて考えることがある。

花が咲き終わった夏に、桜に感謝したり、愛でたりするひとって、なかなか見ない。

気づかぬうちに、自分が守られていることって、必ずある。

先日、”悲しさレーダー”の話をしたが、”しあわせレーダー”にこそ、私は敏感になりたい。今、なれていないから。


花の咲く時期はみんな違って、咲かないと振り向いてもらえないけど、咲くまでの間ずっとずっと、準備をしながら耐えているんだ、私もきっと今は準備中、、、的な考えで、以前は桜のことを書いたけれど。

今日は、なんだか少し違うことを思った。

先日「感謝が足りない」って母に言われたが、妙に的を射ているような気がしていた。ずっと、どこかで思っていた。


私は、とかくひとを心配したり、苦しみとか、報われたこととかに対して感情移入がひどい。

”ひとの痛みが分かる”とはよく聞く言葉だ。でも、それは自分がその相手や、自分の周りの人のためになるようなことで還元してこそ言える言葉であって、私みたいにただただ一緒に苦しくなって「まずは自分の心配をしろ」なんて言われておしまいの人間には、そんなこと当てはまらない。自分がつぶれて終わっていたら、何の意味もない。

そんなことよりもきっと、私は、”今ある現状に感謝できる心”を育てた方がいいと思う。

”しあわせレーダー”の感度を上げたい。


今、この治療中に、おいてもらえる実家があるしあわせ。

いろいろあるけれど、先に母がダウンしていたこともあり、母を中心に鬱病に対して家族がある程度理解者であることのしあわせ。(家族が全員敵の状態が珍しくないと思う)

父が健康で、まだ働いてくれていることのしあわせ。

妹が一緒に住んでいて、元気で働いてくれていることのしあわせ。

母が、家にいてくれることのしあわせ。

離れてはいるけれど、繋がっていると信じられるともだちがいることのしあわせ。(多くなくたって、会えていなくたって、まだ会ったことがなくたっていいの)

病院に通える、病院を選べる環境に住んでいることのしあわせ。

すきなものが、たくさんあることのしあわせ。(音楽、お笑い、絵、その他)

笑ったり、感動したりできることのしあわせ。

やりたいことがたくさんあることのしあわせ。

寝たきりで動けなかったところから、ここまで回復してこられるまでを支えてくれた家族、お医者さん、ともだち、憧れの存在、そのファンつながりでの仲間、、、の愛。


じっくり、考えたら、感謝することありすぎるじゃないか。


伝えていかなきゃ。


小さなことも、大きなことも、「ありがとう」の言葉にしていこう。


していく。


変わりたいもん。




ここに書いた思いを、実行していけますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。