鬱病pizzaの音楽史―中島美嘉―(前編)
一方的に”師匠”と呼ばせていただいているアーティスト、
中島美嘉
さんについて書きたい。
ずっと書きたいとは思っていたが、思いが強くてまとまらないのでは、と思い、なかなか書き出せず。
文章力を上げるコツについてキンコン西野さんが言っていた、
「いちばんよくないのは、書く前にじっくり考えてまとめて、なんていう作業をすること」
、、、、、、の、”よくないこと”をしてしまってでもちゃんと書きたかったくらい、思い入れのある方なのです(←西野さんごめんなさい)。
L'Arc-en-Cielもだいすきで長年のファンだが、また違う意味で思い入れがある方なのだ。
中島美嘉、彼女のデビューはドラマの主演だった。
「傷だらけのラブソング」、私は当時観ていなかった。
歌と演技の双方を求められる現場、主演というオーディションで選ばれたのが彼女だった。
後日談では「何のオーディションなのかわからないまま受けていた」という事実、、、それなのに、選ばれて出演していた映像をときどき目にすると、
え、、、、、、これが、よくわからないまま選ばれたひとの歌声?演技?
と、魅了されてしまう。
私が彼女を知ったのは、歌だった。
デビュー曲「STARS」もそうだが、私が思い出す、彼女のいちばん初めの記憶は、駅前の今は無きCDショップ前。
高校に入り電車で通学するようになった頃。春の駅前を歩いていて、そのCDショップから流れていた曲が、中島美嘉さんの「ONE SURVIVE」。
これが、あの”中島美嘉”の声かぁ、、、、、、いいなぁ、、、、、、
と、思いながら歩いた、というだけの記憶なのだけど、
このときの情景が、私の中でなんだか強く、懐かしく残っていて。
今でも、その通りを歩くと、もうその店はないし、音楽なんて鳴らないのに、脳内で、必ず「ONE SURVIVE」が再生される。
徐々に彼女の音楽に興味が出てきた私は、その後
2ndアルバム「L0VE」を購入。
当時の私にとっては ”大人っぽいなぁ、、、” と感じる曲たちが並んでいた。当然、大人になってからその魅力は知ることとなり、今となってはカラオケで歌いまくっている。
そして。
私がいちばんすきなオリジナルアルバムが、「MUSIC」。
発売当時、たまたま近所のGEOを訪れたとき、このアルバムのポスターがどーんと貼ってあった。
”わあ、きれい、、、、、、”
見惚れた。
ピンクと紫のグラデーション。私のいちばんすきな色のグラデーションを纏い、耳にあてている貝殻は繊細な切り絵。そして、美しい彼女自身の姿が組み合わさった、”アート作品”だった。
購入は遅れてしたのだが、中身を見ても、歌詞カードの1ページ1ページの色彩、世界観が美しい。
そして。
聴いてみて受けた衝撃。
だいすきな「桜色舞うころ」から始まり、ドラマチックないい流れで、心があたたまってきたと、思いきや、
ラストが。
絶望の淵に一気に落とされて、終わる。
、、、、、、嘘でしょ⁈
え、
なんという芸術なんだ!!!!
、、、、、、語彙力がないのでただのおバカな感性に受け取られるかもしれないが、本当に素敵なアルバムなのは間違いないのだ。もっとうまく説明したい、、、師匠、すみません、、、
時は経ち、私は社会人になっていた。
あるとき、TVから
「♪泣ぁ~い~た~のはぁ~、、、」
という歌声が聴こえ、発作的にTVに目をやると、
”中島美嘉、待望の秋田公演決定”
\\\\\\ おおおおおおおおおおおおおお!!!! //////
\\\\\\ 秋田さ、中島美嘉くるどおおおお!!!!!! //////
衝撃の朝だった。
そもそも、それまでLIVEに行くという概念がなかった。
でも、地元に、せっかくすきなひとがくるのだから、1度は経験してみたい、、、そう思って、一般チケットの発売日に、ローソンに向かった。
Loppiで、午前10時から発売されることになっており、他にもひとが集まってきた。「中島美嘉ですか?」と声をかけて下さる方もいた。
私はいちばんに並んだ。しかし、、、
10時ぴったりにボタンを押したのに、
「受付終了」
???
私の様子を見て帰っていく、後ろの人々。
え、、、、、、ごめんなさ、、、、、、、え???
恥ずかしいやら、気まずいやら、訳が分からないやら、、、、、、
私はLIVEをなめていた。
その当時の”中島美嘉”は、
ドラマ「流星の絆」やその挿入歌「ORION」で大注目を浴びていた。
(※ドラマはTBS、地元では放送圏外だった、、、)
倍率は相当なものだっただろう。
ただ、私はLIVEというもの、チケットを買うということ、全くの無知だった。
私は地元公演に行けなかった。
今でも、このとき利用したローソン(これもまた、今は無き)前を通ると、思い出してはなんだか、苦い思いが蘇る。
だが、これが、私の人生初LIVEへのきっかけとなった。
どのCDかは忘れたのだが、あるCDを購入した際、
”追加公演決定!購入者先行販売受付”
というお知らせが入っていた。
追加公演の会場は、東京と大阪。
”無理だろう、ていうか、行かないよね?”
日々忙殺されている保育士の自分は思った。
普通に考えて、私の性格上そこまで行こうとはしない。無理だ。
ただ、
なんだか、あのときの”苦味”が、なんだか、、、、、、
「どうせ当たらないだろう」
なんだか、半分やけくそで、携帯から、東京公演の2日目を、
応募している自分がいた。
びっくりした。自分に。
今まで、部活なら部活、受験勉強なら受験勉強、仕事なら仕事と、ひとつのことしかできなかった自分。
、、、、、、当たってしまったのだ。
えええええええ、ど、どどどどどうしよう、東京、え、移動は?泊りなのか?旅行なのか?休みは?え、えええええええ、許されるのかな、でも、当たっちゃった、お金は払わないといけない、ってことは、行かなきゃいけないよね??????
わああああああどうしよどうしよ、、、、、、、、
大冒険だ。
初めて私用で休みを変えてもらい、考えた末に夜行バスを予約し、東京にいる幼馴染に一緒に参加してくれとお願いし、、、
全てが初めてだった。
2009年、7月26日。
東京国際フォーラム、ホールA。
その2階席から見えたのは、ひらひらと舞い踊る女神だった。
この虹色のドレスを、蝶のように全身で揺らしながら、
「SAKURA~花霞~(DAISHI DANCE)」の間奏部分を、舞っているのだ。
(※アルバム「VOICE」収録。)
LIVEって、ただ歌うだけじゃないんだ。
TVで観る、歌番組で観る”中島美嘉”と、全然違う。
こんなに全身で音楽に乗って、ひらひら踊ったり、ぴょんぴょん跳ねたりしながら、客席を盛り上げ、体中で表現する、笑顔の素敵なひとだったんだ、、、
かわいい。
そして何より、
LIVEってたのしいいいい!!!!
隣の幼馴染も気にせず(←最低)、
曲に合わせて跳んだり、知っている曲のイントロで「あああああ!」と声が出たり、コール&レスポンスにもノリノリな私。
こんな私に、今まで出会ったことがなかったのだ。
これをきっかけに、LIVEというたのしさに魅せられ、彼女のLIVEだけでなく、L'ArcのFCにも入り(←チケット当選の倍率が半端じゃないので)、LIVE遠征を生きがいとするようになったのは言うまでもない。
ただ、、、、、、、、、、、
私が、”中島美嘉”というひとを
”師匠”
と呼ぶようになったきっかけは、このあと生まれることになる。
思い入れが強くて長くなりそうなので、今回はここで一旦締めたいと思う。
だいじなひとのことなので、しっかり書きたい。
私の希望になってくれているひとなので。
第2弾、明日(←目標)投稿したいと思います。
、、、、、、読んでいただける方がもしいらしたら嬉しいです、いなくても書きます、、、、、、、
明日がいい日になりますように。
たのしかったなぁ。