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2018首都大学東京/国語/第二問/解答解説

【2018首都大(都立大)/国語/第二問/解答解説】

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2016一橋国語/第三問↓↓ #内田芳明 #現象学
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2018東大国語/第一問↓↓ #野家啓一 #物語
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2018阪大(文)国語/第一問↓↓ #野矢茂樹 #物語
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〈本文理解〉
出典は鷲田清一『哲学の使い方』。
1️⃣ (フッサールの現象学的時間論)
①②段落。「時の流れ」が河の流れに喩えられるとき、そこではつねに、不在の未来が現在へと流れ来て、現在が過去というもう一つの不在へ流れ去るという事態が思い描かれる。わたしたちにとって河が流れとしてあるのは、川上から流れ着き、姿を現した川面の漂流物を目前に眺め、それが視野から消え去ってゆくさまをまじまじと見つめることによってである。あるものの消失の経験こそが、「時」の移ろいを浮き立たせる。その意味で、時間を論じる時に、ひとはつねに何ものかの到来を待ち受けるこの「いま」、そして何ものかの消失の起点となるこの「いま」というものを始点とするほかないようにおもわれる。「まだない」不在の未来も「もうない」不在の過去も現在においてある。「いま」(現在)こそが「時の流れ」の火床であると考えたのが、フッサールの現象学の時間論である。
③段落。では、「いま」は流れをどのように感受しているのか。まだない未来と、いまここにある現在と、もうない過去との関係は、「流れ」としてまるで一本の線のように結びあわせて語られるかぎりで、じつは現在(予期)と現在と現在(想起)の関係である。そう考えれば、なんと「時間は流れるのではないことになる」(傍線部(A))。いいかえるとここでは、「流れ」を時間の外から「流れ」として眺める意識(観測点)じたいは時間的だと考えられていない。だから「時が流れる」ということで問題なのは、流れている者が流れのなかで流れるままにそれを流れとして捉え、おのれも流れるものとして捉える、時間意識のしくみである。それをフッサールは、意識による「時の流れ」の構成として捉え返す。
④段落。「流れ」は、何かの移行として感受される。それはいまあるものが未だないものを含み、さらにいまあるものがもはやないものへとおのれを消し去ってゆく運動である。フッサールは、「いま」を、「いきいきとした現在」と呼び、そこに流れることと立ちどまることとが同時に起こっているような時間の根源となるあり方を見た。「流れる」現在とは、もうないものへと流れ去る「いま」のあり方であり、「立ちどまる現在」とは、まだない未来をおのれのなかに呑み込むというかたちで恒常的に現在でありつづける「いま」のあり方である。「いま」のそのような両義的なあり方に、「「時が流れる」ということの実質」(傍線部(B))を見た。いいかえると、「時が流れる」というときの移行性は…つまりは現在が非現在へと移行することとして理解したのである。そして、つねにみずからであろうとしながら、たえずみずからでないものへと自己を超えてゆく、そのような動性こそ時間の推力であるとしたのである。「いま」をコアとして「時の流れ」を見る現象学的時間論である。

2️⃣ (筆者による批判的再検討)
⑤段落。「しかし、ここには決定的ともいえる二つの問題が潜んでいる」(傍線部(C))。
⑥段落。一つは、「時の流れ」がこのように捉えられるとしても、未来・現在・過去という三つの契機を溶けあわせるようななにがしかの動性があるから時間が流れるのか、それとも時間が推移するそのなかで意識が「いま」を拠点として時間を再構成するのか、という問題がそのまま残る。つまり、意識が時間の根拠なのか、それとも時間が意識の根拠なのかという問題である。とりわけこの問題が顕在化するのは、「未来というもののあり方」(傍線部(D))をめぐってである。未来はフッサールが考えたように、現在が予期というかたちで未来を呑み込んでいるというよりも、予期というかたちで描かれる未来はじつはそれをしばしば裏切るかたちで、不意に訪れるのではないかということである。そうだとすると、未来という現在は、現在との連続からではなく、現在との断絶からも主題化されねばならない。そうなると、「時の流れ」は「いま」という火床のもとで構成されるものではなく、もはや構成不可能な根源的事実としか規定しようがない。現象学の時間論はここでその限界に立ち到る。
⑦⑧段落。いま一つの問題は、フッサールが「いま」として捉えている現在がどのような幅をもったものなのかということである。フッサールは、現在を不在を呑み込んでゆく運動として捉え、未在と既在を含み込み、それと溶け合う「時間の庭」というものを想定していた。(中略)。「時間の庭」とは、「いま」というものの過去と未来への「張り」、「伸張」の幅のことである。この幅を規定しているものは何か、という問題がここから出てくる。いいかえると、時間に過去・未来・現在という隈取りを与えるもの、区切るものが何かという問題である。

〈設問解説〉
問一 (漢字)
(ア) 沸騰 (イ) 恒常 (ウ) 断絶 (エ) 襲 (オ) 深長

問二 (語句の意味)
①「契機」 変化を引き起こす要因。
②「両義的」 二つの異なる意味をともにとりうる様。
③「分水嶺」 物事の方向性が決まる分かれ目。

問三 「時間は流れるのではないことになる」(傍線部(A))とはどういうことか、問題文に即して説明しなさい。

内容説明問題。まず傍線部が「Pではない」という否定形(消極的規定)になっているので、それを裏返した肯定形(積極的規定)を解答要素に加える(PではなくQ/ないある変換)。次に傍線前後の文を、接続表現に着目して整理すると、「R(である)かぎり□。そう考えればPではない。いいかえると○ではない」。□がQに相当し、◯がPの言い換えに相当する。「かぎり」という表現は「限定条件」を表し、Rの時でなければ、「PではなくQ」と言えないので、必ず解答に加える必要がある。これよりRとPを簡潔に具体化すると、「未来と現在と過去を結びつけ語るかぎり(場合)/時間は流れるものとして対象化できず/Q」となる。
この上で、Q「現在(予期)と現在と現在(想起)の関係である」を具体化する。つまり、時間とは定点から川を眺めるように(←冒頭の例) 未来・現在・過去を「流れ」として対象化できるものではなく、未来も過去も現在との関係でしか捉えられないのだ、ということである。現在と未来の関係、現在と過去の関係は、①~④段で繰り返し述べられていることだが、特に④段落より「まだない未来をおのれのなかに呑み込む」「もうないもの(過去)へと流れ去る」をそれぞれ参考にする。これより、Q「(時間は)まだない未来を繰り込み/もうない過去へと消え去る/現在としてのみ意識にのぼる(←③)」とまとめる。

<GV解答例>
未来と現在と過去とを結びつけ語る場合、時間は流れるものとして対象化できず、まだない未来を繰り込み、もうない過去へと消え去る現在としてのみ意識にのぼるということ。(80)

<参考 T進解答例>
過去・現在・未来を一本の流れる線のように捉え、それらの外にいる意識がそれらをていると考えると、未来の予測や過去の想起は現在から行われる以上、流れを眺める意識自身は時間的な流れの中にないことになること。(102)
( ・◇・)?

問四 「「時が流れる」ことの実質」(傍線部(B))とはどういうことか、問題文中から15字以内で抜き出しなさい。

<答> 現在が非現在へと移行すること (14)

問五 「二つの問題」(傍線部(C))とは何か、問題文に即して説明しなさい。

内容説明問題。フッサールの現象学的時間論に対する筆者の挙げる二つの問題は、それぞれ⑥段落、⑦⑧段落でまとめられている。ここでは、問六(⑥段落の後半を範囲とする)との住み分けも考慮して、フッサールの「限界」にまでは踏み込まず、問題の「概要」の指摘にとどめる。一つ目については、⑥段落二文目「つまり」以下、「意識が時間の根拠なのか、それとも時間が意識の根拠なのかという問題」を抜き出せばいいが、冗長な表現は要を得た簡潔な表現に置き換えることを心掛ける。解答例を参考に。二つ目については、⑦段落冒頭「現在がどのような幅をもったものなのか」と、この問題から派生する⑧段落末尾「時間に過去・未来・現在…区切るものは何かという問題」とを、ひと続きの問題として工夫して示す。

<GV解答例>
意識と時間のどちらが他方の根拠であるかという問題と、現在の範域がどう規定され、それを過去や未来とどう区切るかという問題。(60)

<参考 T進解答例>
一つ目は、意識が時間を再構成するのか、それとも時間の動性が意識の根拠となるのかという問題である。二つ目は、未在と既在を含む現在の幅を規定しているのは何かという問題である。(85)

問六 「未来というもののあり方」(傍線部(D))についての筆者の考え方と、フッサールの「未来」についての考え方の違いを問題文に即して70字以内で説明しなさい。

内容説明問題(対比)。⑥段落の傍線(D)より後の部分が解答根拠になる。フッサールをX、筆者をYとして整理する。すると、「XよりもY」「XではなくY」といった対比の表現が続くので、これよりX「未来は予期できる/未来は現在と連続する」、Y「未来は不意に訪れる/未来は現在と断絶する」とまとまる。ここまでは容易だが、何か忘れてないだろうか。
傍線(D)は、「意識が時間の根拠なのか/時間が意識の根拠なのか」という問題をとりわけ顕在化するのが「未来というもののあり方」だ、という文脈にあった。そこで、フッサールは「意識による「時の流れ」の構成(③)」という立場(現象学)だった。ならば、筆者は「意識以前に時間がある」という立場でなかろうか。こう考えると、⑥段落「「時の流れ」は…構成不可能な根源的事実」という表現に合点がいく。つまり、フッサールが「現在の意識から未来を予期・構成する」のに対し、筆者にとって未来は「現在と断絶し不意に訪れる、根源的(前意識的)事実」として存在するのである。

<GV解答例>
フッサールは、現在の意識において未来は予期・構成されるものとするが、筆者は、現在と断絶して不意に訪れる前意識的な事実として未来を捉えている。(70)

<参考 T進解答例>
フッサールは未来を、予期として現在に含まれているとして連続的に考えるが、筆者は未来を現在との断絶から、不意に訪れる構成不可能なものと考える。(70)

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