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実はお茶目だったピーター・ドラッカー

今月は、毎週土曜日にドラッカーに関する
学びの機会がある。
渋沢・ドラッカー研究会のお陰だ。
本当にありがたい。
先週の学びは、昨日まとめた通り。

今週は、昨日の朝に実施された会で、
クレアモント大学のドラッカースクールに
おいてProgram Directorをお務めになった
Celeste Palmer女史をお迎えし、
「素顔のピータードラッカー」
と題してお話を拝聴した。

彼女は、晩年のドラッカーの秘書的な
役割を担っていらした方。
大きな交通事故に巻き込まれ、脳に
損傷を受けてしまったがために、
記憶喪失に陥っていたのだが、
縁あってドラッカースクールでの
仕事に就き、ドラッカー夫妻とも親しく
お付き合いされてきた方である。

ドラッカーと聞くと、
「マネジメントの父」
「経営学の泰斗」
「知の巨人」
というイメージが先行し、
また既に15年も前にお亡くなりに
なっているために、
その「素顔」がどうだったとか、
どんな人となりだったのかという
点については、ほぼ知らずにいた。
その意味では、晩年のドラッカーと
間近で接した彼女が、「素顔」を
語ってくれるのは、とても貴重な
機会。

冒頭、ドラッカーの授業において、
終了時刻を過ぎても話し続けようと
するドラッカーに、時間を告げた
彼女が追い返される場面を収録した
ビデオが流された。
一応言うだけ言って、あとは諦めて
バックヤードに引っ込むCelesteさん。
そして生徒との双方向のやり取りを
楽しそうに続けるドラッカー。

生徒たちとのコミュニケーションを
心の底から楽しんでいる様子の彼に
声を掛けるのは、彼女としても
「辛い役回り」だったらしい。
そこで彼女を追い返すドラッカーも、
決して怒った風ではなく、
茶目っ気たっぷりに、
「えっ、みんなはもう私の話なんて
聴きたくないのか?!」
とジョークを飛ばし、会場の笑いを
誘っていた。

昨日のセッションは、一方的に
彼女が語るというよりは、質疑応答の
形が多かった。
その中で、特に印象深かった
やり取りが2つある。

ドラッカーと言えば、

「何によって憶えられたいか?」

という問いかけが人生を変える、
という有名な話をご存知の方も多い
はず。
この質問を、ドラッカーが自分自身に
問いかけたときの答えは何だったか?
という素晴らしい質問をしてくれた
方がいたのだ。

彼女が、「私、答えを知ってるわよ」
と嬉しそうに語ってくれたその答え、
それは、

good listener and good observer
良き聴き手であり、良き観察者

だったというのである。
あれだけ偉大な経営学者にしては、
随分と地味な話に聞こえなくもない。
しかし、これこそドラッカーの本質
なのではないか、そんな思いもよぎる。

目の前の生徒、クライアントが発する
言葉をよく聞き、何が問題かを把握して、
その解決に貢献しようとする、
プロとして最善を尽くす態度。
そして、世の中を公平な視点、視野で
鳥の目のように俯瞰しつつ、
虫の目のように細かいところまで
しっかりと観察して、
問題の本質が何かを掴む態度。
一つひとつに、こうした真摯な態度で
丁寧に向き合ったからこそ、あれだけ
巨大な知の遺産を残すに至ったという
ことも言えるのではないか。


もう一つは、彼が日本美術を愛好して
いたことに関して、どのように作品に
向き合っていたのかについて。
ドラッカーの心の内までは、彼女も
分からないと前置きをしながら、
それでも、彼は自然や美術作品と向き
合うことを通じて、自身の心の平静を
取り戻したり、自分自身の内的対話を
行っていたのであろう、そんな趣旨の
お話しが伺えた。
昨今流行りの「マインドフルネス」を
実践していたのかもしれない。

彼が特に水墨画を好んだという話は
以前から聞いていたが、自然にしても
水墨にしても、シンプルで深遠な世界
と対峙し、それと一体となる感覚を
掴むことで、彼の頭の中にある膨大な
知識がスパークし、様々なアイデアの
形をとって彼の脳内に「降りてきた」
のではないか、そんな自分勝手な妄想を
してしまった。

左脳偏重から右脳復権へ、
今やMBAではなくアートを学びに行け!
なんてことを言う人がいるほど、
アートに注目が集まっているわけだが、
ドラッカーもまた随分時代を先取りして
左脳と右脳をバランスさせた人生を
送っていたのだ。


益々募るドラッカーへの興味。
井坂康志さんのこちらの本を買ったは
いいが、積読状態のままだったことに
今更気付く。
この冬休みには是非読もう、
宣言の力を借りて。


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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。