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ひさびさに2周じっくり読み込んだ本 『こころを晴らす55のヒント』 〜後半〜

前半の続きです。


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人生に魔法は起こらない

魔法や奇跡に期待すれば、必ずがっかりする。魔法術的な解決法に期待したって、何にも起こらない。


理想的な自分になりたいと願えば、そうなれない自分の首を絞めることになります。高すぎるハードルを自ら設定しても、そのハードルを越えられず自らに失望するか、足を挫いたり怪我したりするのがオチ。


「無理をしてはいけない」

「魔法を起こそうとしてもいけない」


自分にできることは、日々の生活の中でできる分だけ。それで十分にやっていて、それ以上のことはできないもの。自分の能力以上のことなんて、逆立ちしたってできません。それが等身大の自分というもの。


あくまでも「人生に”大きな魔法”は起こらない」というだけであって、私たちはさまざまな期待をしながら生きていて、「日々少しずつ変化・成長するという”小さな魔法”が起こっている」と言えるのかもしれません。


よくよく考えてみれば、不思議なことに私たちは日々、死ぬまで変化することができるし、成長することができる。それこそが魔法なのかも。



「ところもある、日もある」という言い回し

私たちの身体は時間と共に頻繁に変わるところもあれば、変わらないところもあって、そのペースも体の部位によってさまざまである。


同じように私たちの心、能力、知識、性格も日々変わっている。変わりにくいところもある。


また、私たちは毎日「気分」と呼ばれるリズムの中で生きていて、良い気分の時もあれば、気分が乗らない時もある。


そして人の言動をみたときに、ついついそれをその人の変わらない性格だと、私たりは思い込んでしまいがちです。


それは、その人の一面かもしれないし、たまたまその日だったのかもしれないし、その姿はあなたの前で見せる姿なのかもしれません。


決めつけた言い方をするときには、言われる側は複雑な気持ちになる。言う側もどこかスッキリしない気持ちになる。


だから、決めつけたくなるとき

〜なところもある、日もある」と付け足してみる


「ところもある」という言い回しは、人が相手の人間全体を知ることができないことを表している。特にコミュニケーションは人間関係の中で行われますから、”あなたとの関係における”〜さんと、”別の人との関係における”〜さんは違います。


「日もある」という言い回しは、私たちが接している相手は生きた人間で、その人間は、日々変化をしていること。そして、その日の気分というものがあることを前提とした言い方です。


体の側面で考えてみても、昨日は自分の体の一部ではなかった食べ物や飲み物が、今日は自分の体の一部になっているはずです。ごくごくわずかずつですが、身体の面で言えば、昨日のあなたと今日のあなたは違うということです。



大切にしたい価値に沿って生きる

輝いて見える人、ぶれない生き方をしている人は、自分の価値を実感しているからではなく、自分が大切にしたい価値に誠実に生きているからそうあれる。


その行動をしようか迷ったり、その行動をしていて辛くなったりしたら、「その行動は、自分の大切にしたい価値に適っているの?」と尋ねてみる。


ただし「他人から認められたい」のように他人からどうみられるかを、大切にしたい価値にしないこと。


そんなことをすると、あなたが大切にしたい価値は、他人の評価次第ということになってしまいます。他人がどう思おうが、自分が大切にしたい価値に誠実に生きる。きっとそれだけで、人生の清々しさは深まる。


自分に価値があるかどうかは、全て自分の捉え方で決まってしまうから。自分の捉え方次第でどうにでもなる「不安定な価値」なんて真に受ける必要ない。



人は自分とは違う生き物

みんなも同じに違いないと思っていることがあって、その当てが外れてしまうと、場合によっては相手に腹が立ったり、嫌になったり、関わりたくなくなったりすることもあります。



だから最初から「人は自分とは違う生き物なのだ」と考えるようにしてみませんか?


人も自分と同じだろうと考える傾向は、悩みの種になるだけではなく、それどころか、人間関係を保つ上で役に立つ素晴らしい能力でもある。



例えば「自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない」という人間関係の鉄則も、自分がされて嫌なことは、人もされたら嫌だろう、つまり「人も自分と同じだろう」という推測の上に成り立っている。


「相手の身になる」という試みも同じ。
「もしも相手の人が自分と同じように考えたり、感じたりするとしたら・・・」という想像をすることによって、「相手の身になる」ことができるのです。ですから、人のことを思いやったり、助けたり、人に害を与えないために、こうした能力は大いに役立つ



一方で悩みのタネになることは確か。



「なんで自分と同じようにしないんだろう」という考えが含まれている。
その人が、自分とは違うやり方、違う考え方、違う感じ方をしているために、「はあ!?何この人、信じられない」と思うのです。



こんな時に「人は自分とは違う生き物なのだ」と考えることができれば、少しは気持ちが晴れることがあるのではないでしょうか。



〜「人と自分とは違う」ことについて考えるために、簡単な方法〜
まずは人をざっくりと3種類に分類する。

思考タイプ
感情タイプ
行動タイプ


【  思考タイプ  】
・感情で動くこともあまりない
・まずはやってみようと行動から入ることもない
・自分と同じタイプ以外の人たちを「考えなし、バカ、気分屋」なんて考えがち
・「考えたらわかるのに。なんで考えないの?」とか「普通は考えるでしょ」という感じ


【  感情タイプ  】
・雰囲気や気持ちを大切にする
・自分の気持ちがどうであるかが重要
・気持ちによって動く、気持ちを尊重することが当然で、それは取り立てていうまでもないこと
・感情タイプの人たちは、その他の人たちを「冷たい」とか「気持ちが通じない」「気持ちをわかってもらえない」と捉えがちです。


【  行動タイプ  】
・それが考えであっても個人的なことを話すのではなく、何かをすることで人と関わろうとする人たち。
・アクティブな人ばかりではない。中には「人を避けるという行動をとる」タイプの人もいる。
・他のタイプの人たちをただ敬遠したり、「理解できない」という体験をすることが多い。「感情をあらわにする人が怖い」という体験をする人もいる。



人はそれぞれ生きてきた経験が違い、物事へのアプローチの仕方が違う


あなたの生き方も1つのタイプに過ぎず、あなたが信じられない、裏切られた、理解できないなどと思っている人は、あなたとは全く違うタイプの、別の生き方をしている人なのかもしれないと思えませんか?


人は、本当に人それぞれの感覚や体験をして生きているんだなという感じが出てきませんか?




それって誰の持ち場?

聞こえるはずのない他人の心の声を、私たちは普段から聞こうとし過ぎては居ないでしょうか。


相手がこちらのことをどう思っているかを気にし過ぎている。他人の心の声を聞くことはできっこないとわかっているのに、相手が何を考えているかを一生懸命読み取ろうとする。


こんなふうに、相手からどう思われているかを気にしてしまうと、とにかく疲れてしまいます。


そして、相手に悪く思われないために、「こうすれば相手は気を悪くしないだろう」とか「気に入ってくれるだろう」とめったやたらと気遣いに明け暮れる。こんなことを繰り返して、身も心もクタクタにならないわけがない。


人には、誰しも人それぞれに「持ち場」があります。読む時間がなかったり、興味が湧かなかったりしたら、読むのをやめてしまうこともできます。この文章を読むか読まないかは、あなたの持ち場の話だからです。


相手があなたのことをどう思うかは、相手の持ち場の話。相手からどう思われているかを気にすると疲れるのは、自分ではどうにもできない相手の持ち場に踏み込んでしまうから


相手が何をするかも相手の持ち場。「メールを送った後、返事がすぐに来ない」という状況も、人によっては、「返事をすぐに返さないなんて失礼な人だ」とか「返事をくれないのは、私のことを快く思っていないからかも」のように、相手の行為にわざわざ自分が辛くなるような解釈をしてしまいます


だけど、メールをしたのはこちらが都合の良い時間を見つけてしたに過ぎません。つまり、「自分の持ち場」によって、メールを送ったわけです。それを相手がいつみるか、いつ返事をするか、または返事をするかしないかを判断するといった行為は、全て相手の持ち場の話。


こう考えると、人間関係の悩みの多くは、「相手の持ち場」に踏み込み過ぎてしまった結果起こっていることが多いことに気づきますね。なので、あなたが人間関係で悩んだり、嫌な思いがしたりすると、自分にこう尋ねてみてほしいのです。


それって誰の持ち場?


自分の持ち場でないことに踏み込み過ぎていたことに気づいても、人間関係の悩みやトラブルがガラッと変わるわけでもないかもしれません。


だけど、持ち場に目を向けてみるだけで、悩めば良いことと悩まなくて良いことを、スッキリ区別することができる


相手からどう思われているか気になった時、相手がしたことが気になった時、「それって誰の持ち場?」と自分に尋ねてみませんか。


そして、相手の持ち場に踏み込み過ぎているのがわかったら、それは相手にお任せして、あなたは自分の持ち場でできることをすれば良い


もちろん、それをするかしないかは、あなたの持ち場の話。




自分の「弱さ」を自覚する意味

もしあなたが、自分の弱さを自覚していて、そこに劣等感を持っていたり、生きづらさを感じていたりするなら、そうした気持ちを抱えながらも、弱さを自覚できる自分の強さを喜んでほしい。


弱さを自覚していると、自分の価値観を持って相手の失敗を頭ごなしに糾弾する気にはなれないし、うかつに自分達ファーストを唱えることができない。他人の弱さをみてそこに自分を重ねることができる。


多様性を支える「寛容」のチカラとなるもの。それこそが、自分の持つ「弱さ」の自覚。


人間は誰もが弱さを抱えているので、多様性を認め、互いに支え合うことのできる社会を作り出すチカラを、私たちは潜在的に持っている。そう考えると、誰もが弱さを持っているというのは、実は計り知れない贈り物。



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自分で生きづらさに対処するための1番のヒントは、生きづらさと何とか折り合いをつけながら暮らすこと。生きづらさを無くそうとするから、より辛くなる。


この言葉は、この本の冒頭に書かれた筆者の文です。


確かに無くそうとしていたというより、無いものだと思い込もうとしていた時は苦しかった。だから無くすことはできないのはわかってるので、諦めてこの身体でこの個性でできることを見つけていくしかないんだよなと。


この本1冊を通して、少し気持ちが楽になったというか、視点が広がった気がします。


あとこのnoteの文では書いていないのですが、この本の中の一つのヒントとして書かれていた、『「千と千尋の神隠し」を読み解く』というエッセイも面白かったです。考察が鋭くて、そういう見方があったのか!と驚かされました。


映画も人生も、どう読み取るかで、全然違う受け止め方や物語を生きることができるんだなって思いました。


今回紹介したものは55個の文章の中のほんの少しなので、気になった方はぜひ1読してみてください^^ここまで読んでいただきありがとうございました◎