地球の裏側の震災でたくさんの人が亡くなる悲劇よりも、近しい距離にいる人が病気になることの方が動揺するのが、自然な私たちのこころというものです。
他人の出来事に傷つく僕たち
とは言え、まったく面識のない、縁もゆかりもない芸能人や著名人の悲劇に動揺することがあります。例えば、ドラゴンボールの作者である鳥山明が亡くなって、ショックを受けた人は少なくなかったはずです。これは幼かった頃の思い出と紐づいていることから、過去の想い出、青春のような淡い何かが喪失したような、痛みがそこに生まれるからではないでしょうか。
裏切られた大谷翔平
今朝、大谷翔平さんの通訳が…という報道がされて、メジャーリーグにも野球そのものにもさほど詳しくもない僕は、ひどく動揺しました。
今後、事実関係はあきらかになるのかもしれませんが、僕も右腕のような関係性だった人間に同じように裏切られたことがあります。自分の過去の傷とシンクロして、今日は久しぶりに陰鬱な数時間を味わっています。
裏切られたあとの回復
その上で、その人間は過去に僕が親しくしていた人たちのおこなうセミナーなどに行って、僕のことをあることないこと中傷して回ったので、さらに深く傷つきました。被害者として振る舞うその人のことを信じた人も多く、僕は過去好きだった人のことを悪く言いたくはなくて、言い返すこともなく、ただただ沈黙を続けました。
自分も簡単に信頼しすぎてしまったことや、相手をそうさせてしまう自分にも問題があっただろうと、自分への試練だと相手を責める気持ちが浮かんできては抑え、瞑想や内観などを積極的におこないました。
本当の意味で、ほぼ完全に乗り越えられたと思うまで、僕の場合は丸3年かかりました。とても長い時間ですが、その月日は僕にとって必要でした。働きながら、身体と向き合いながら、その痛みと向き合いながら、日々を過ごす。丸1年、完全に休んで現実逃避できたらよかったのですが、立場上、それも出来ません。生きていきながら、歩きながら、癒していかなければならなかったですし、癒すだけではなく、自分をもっと深く見つめていかなければなりませんでした。「お金に無頓着でした、人を信じすぎました、僕はピュアなんです」では、済まないのです。
回復ではなく、深化、進化
もっと強くならないければならない。
もっと優しくならなければならない。
もっと思慮深くならなければならない。
裏切られた瞬間は、怒りや恨みが芽生え、相手を責める時間が長くなります。他責思考というやつです。実際、相手が騙している、相手が裏切っているんだから、他責することを他人から責められる筋合いはありません。周りに話せば、同情もしてもらえるでしょう。
でも、理不尽な出来事、信頼していた人間の裏切りですら、信頼したのは自分であり、出会った当初の相手は純粋だったはずで、ああいうふうに変質させてしまったのは自分に問題があったからではないかと、自責するようになり、ただその自責だけでは回復はされず。それと赦しや癒し、ヒーリングとのバランスによって、傷は癒えつつ、再生されていく。より良い形で…。そんな3年間が、僕の場合はありました。
世の中には、20年前の相手を責めているような人もいます。
20年責め続ける中で、被害者だったはずなのに、人相も悪くなり、見た目も醜悪になってしまいます。だって、心の中は恨み、憎しみで満ち溢れているのなら、それは外見にも現れてしまうでしょう。
報道前から、大谷翔平さんは通訳の信頼していた人間が裏切っていたことを知っていて、それでは試合に出て、バットを振っています。今年の彼の成績はどうなるでしょう。これは身体能力とは別の話ですから、彼の精神力の強さからも、僕のような凡人もまた、何かを学ばせてもらえるかもしれません。
我々は傷つくことで成長します。深く傷ついた人はそれだけ学べる機会、成長の可能性があります。その傷に取り込まれて、病みが闇そのものになってしまわないように。そうなると取り返しのつかないことになりますからね。傷ついた人は、どうかそれを糧にしてください。