自分は特別とは言えないが唯一無二の存在であることは間違いない。
こんばんは。凡人代表のぴこつです。
ぼくは、凡人であることは間違いない。「特別でない」とも言える。
いや待てよ。
凡人の「凡」は平凡の「凡」。平凡とはつまり『一般的』を意味するんだろうけど、ぼくはみんなに言わせるとかなり『変わっている』と評判だ。
ということはだな。
何か特別な能力や才能を持っているわけでもなし、かといって一般的な感覚も欠如している。それは凡人にすらなりきれていない人間ということになる。
言われてみればそうかもしれない。
自分がふつうの人間とも思えないし、ポンコツを自負しているので天才ということでもなかろう。記憶力もなければ論理的な思考を備えているわけでもない。
ごくごく一般的な仕事しかこなせていない上に協調生がないやっかいな人間だ。
とはいえ、ぼくという人間はこの地球上で一人しか存在しない。
人間の枠を飛び越えて「生物」というカテゴリで考えてみたとて、やっぱりぼくはここにしか存在しない。
まさか自分が種の繁栄に貢献しているなどとは思いもしないが、ぼくが存在しなければ中学一年生のぼくの娘も生まれてきてはいない。
妻もぼくと会う機会はなかったし、妻の人生も大きく異なっていたのかもしれない。
今でこそ妻は成人マンガのnikoさん(@nikonikopun17)として絶賛活動中なんだけど、もしも他の人と結婚していたらそんな気すら起こっていないかも。
ぼくもnikoさんと出会って考え方が変わったところもたくさんあると思う。食べ物の趣味だってそうだし、映画やマンガなどの文化に対する感性や思想などもきっと影響されている部分はある。
今の自分はnikoさんが居てこその自分だし、逆に妻もぼくが居てこそのnikoさんなのだ。
ぼくのごくごく狭い人間関係の中で、nikoさんがぼくに与えてくれた影響は計り知れない。
娘だってそうだ。娘がいなければ今のぼくはない。
家族全員、互いの存在があってこその自分。そんな当たり前のことも、ずっと一緒にいるとよくわからなくなってくる。
自分と家族が一緒にいることがさも当たり前かのように思ってしまうからこそ、おたがいに尊重ができない人もいると思う。
だけどこう考えてみればその存在の大きさに気が付く。
今の自分は家族がいなければ存在していないし、家族も自分がいなければ存在していない。
ぼくはいつも自分のことを「いくらでも代わりの聞く平凡な人間」だと思っているけれど、実際にはそんなこともないのかもしれない。
能力とか思考力が優れている or 優れていないに関係なく、ぼくという存在が誰かに影響を及ぼしている以上、この世界ではぼくは唯一無二の存在だ。
「自分で言うのもなんだけど」を付け忘れた。
でも徐々にこの自分が保守に回るような発言はやめようと思う。自分を卑下にした発言をすればするほど、自己肯定感は低くなる。
ただの自虐ネタくらいにはいいだけど、自分のことを良く言う文章には日本人はこういうことを言いがちだ。
もうそういうのは終わりにしたいんだよね。へりくだったところでぼくにメリットなんてない。
マウントを取りたい人には美味しい存在なのかも知れないが、そんな人のカモになることはごめんだ。
ぼくの性格からして「下手に出れば・・・」と勝手に思い上がってしまう場面にも想像がつく。
そういう自虐路線の自分を続けるよりも、誰にも代えが効かない唯一の存在。自分にとっては、地球上でも一番に尊い存在だと思えてこそ、この人生が楽しくなるというもんだろう。
尊い自分が居て、その自分と一緒にいてくれる家族がここにいる。それこそが唯一無二の状態なんだと思う。
ぼくら家族はお互いの存在できっとまだまだ良くなる。
じゃあ、またね。
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