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弱点がアピールポイントになる時代

ゆぴさんの記事を読んだ。

ゆぴさん自身は常に自分が弱いとする部分をさらけ出していることは見ている。
ただ、弱さだけでなく他人に認められていうところも含めて、自分が持っている個性を伝えてくれる。


つまり、自分の弱い部分も強い部分も客観的に見て素直に認められているということなんだろう。

ぼく自身が自分の弱点である「記憶力が壊滅的」なこと、そもそも頭の構造が「ポンコツ」なこともnoteでさらしているのも、ゆぴさんのおかげ。

昨年の9月頃、「書く習慣」を読んで自分が考えていること、思ったことを素直に書き連ねる「なんのこっちゃ日記」を書き始めた。

無理して自分をよく見せようとかを考えることなく、思いついた言葉をただひたすらに殴り書きしているような日記なので、自身の弱点を書くこともなんてことはない。むしろ記事中のネタになればいいとも思っているくらい。

一方で「得意なこと」を見つけるのは難しい。

ゆぴさんの記事の冒頭部分。

自分の強みというのは、自分が無意識にやっていることで、そこまで頑張ってもいないのに他人から「すごいね」と褒められるところだと思う。

自分自身がさほど「頑張っている」という意識もなく他人から褒められるというのが強みの真意なんじゃないかと思った。

ぼくがそうなんだけど、自分で「頑張ってます!」と思うことを褒められることは確かにうれしい。

うれしいんだけど、やっぱりどこかで無理をしている。

ぼくはヘタレでポンコツな人間なので、無理して頑張っていることは長続きしない。これも自分の性格で自覚している部分。
どれだけ「頑張ろう」と意気込んでも、たいていの場合は短命に終わってしまう。

ぼく自身の能力なんてそんなもん。

対して、ゆぴさんが言うような「自分が無意識でやっていること」は意外と息が長い気がする。そりゃそうだ。なにしろ無意識なのだから。

無意識は、最強だ。

ある人が頑張らなくてはできないようなことを、ある人は対して何も考えずに無意識にやってのけるとしたら、それは無意識にできる人の方が強いに決まっている。

もしかしたら最初は前者が強い場合もある。だけど、長期戦で見たら後者には絶対に敵わない。

マラソンで42.195キロを必死に走り抜くランナーと、日常で常に走って移動している移動民族が100kmの競争をしたら、きっと移動民族が勝つ。きっと楽勝だ。


ぼくの強みはぼく自身ではよくわかっていないけれど、このnoteの記事はそれに近い存在になりつつある。

記事を書き始めた去年の9月以降、“ほぼ”毎日更新ができている。意識的に義務化するようなことをせず、その時に思いついたことやインプットした内容をなんとなしにnoteに書いてみているだけ。

「◯◯日連続更新」は意識していない。

余談だが、さっき「ほぼ毎日更新」としたのにもワケがあって、連続投稿ができていた中、いつものように記事を投稿したある日◯◯日、その通知がなぜか途絶えた。

時計の針が0時を回っていたのだ。

「連続投稿」の定義なんて、そんなもんなんだなと思った。

ぼくは「◯◯日投稿しました!」のメッセージを見るために必死に日記を仕上げるようなことはぼくはしたくない。

それはぼくにとっては無理をしているということだから。

そういう意識的なことにしてしまうと、きっと続かなくなる。ぼくはそういう人間だ。

自身の強みについてはまだまだわかっていない部分ばかり。ゆぴさんのように言語化していくことを通して、「強み」の解像度をもっと高くしていきたい。


弱点はというと、それを言うことでまず自分の気分が楽になる。
弱点をひた隠しにしていても、精神衛生上よくないのは明らかだし、それを他人が知ったところで実は対して気にしていなかったりするもんだ。

むしろ、自分の弱点を教えてもらえた方が親近感が湧くというもの。

特にSNSなどのネット界では、対象人物を身近に感じることは難しく、むしろ勝手なイメージで神仏化してしまったりもする。
そこに自分から弱点をさらす「人間的な要素」が加わった瞬間に地上に降りてきて握手をしてくれたような気分になるのだ。

自分の弱点を伝えるということは「自分はこういう人間です」と宣言しているということ。それは自虐のようにも聞こえるけれど、ビジネスパートナーのような相手からすると、その弱点を避けた上でお願いしようとしてくれるはずだから自分にも相手にも都合がいい。

これも現代だからこそ成り立つのかもしれない。

インターネットや手段が限られていたような時代ではそうとも言っていられなかった。電話しかない時代であれば会社では電話応対が必須だったため、会社の新人研修においても電話応対は必須項目だった。

ただ、今はメールやSNSなどテキストベースのコミュニケーション手段がいくらでもある。

通勤もそうかもしれない。

「満員電車に絶対に乗れない」という人にはフレックス勤務があるし、リモートワークという手段もある。

「多様性の時代」というのはは理念であると同時に、物理的な手段の多様化もひっくるめてのことなんだと思った。


弱点を言うことによって自分が生きやすくなる。弱点を避けることによって、自分の中のまだ見ぬ強みも見つかるかもしれない。

ぼくはこれからも弱点をさらし続ける。きっとそれが「鉄板ネタ」になり、自分の個性になっていく。

そうやって自分が生きやすい世の中を、自分で作っていけたらいいな。

じゃあ、またね。

PS

これだけゆぴさんに便乗しておいて「書く習慣」の紹介を忘れるというポンコツぷりを発揮してしまった。最後まで弱点をさらしました。

超オススメの本です。


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