「自分は不器用だ」ですべて説明がついた
やれ「ポンコツだ」「記憶力が壊滅的だ」と言い出して久しいぴこつです。
今日はというと、ぼくが住んでいる地域では日中の気温が17度にまでなったそうだ。そんな気温はもう1年くらい経験してないんじゃないかと錯覚するほどにこの冬は寒かったんだけど、半年ちょい前には夏を通過しているのでそんなはずはない。
良く言えば、それほどまでに冬と夏の季節の違いを堪能できているということだ。
ここまで季節によってはっきりと違いがあるのは日本だけだとどこかの誰かが言っていたけれど、そんな稀な国かどうかはさておき、確かに夏と冬の気温のギャップはものすごい。
おかげでぼくは冬には夏が来ることが信じられないし、夏になると冬がやってくることも信じられなくなる。年中、疑心暗鬼にかられて生きております。
でも、この冬の気候はなんだかおかしい。年明けから雪が降るほどに気温が下がる日が何日も続いた。
途中で暖かくなる日もあって、「お、そろそろ春に向かって動き出したか!?」と思った矢先にその淡い期待を鼻で笑うかのように雪を降らせてきたりする。
今年のお天道様はいつになく気まぐれだ。
よって、暖かった今日の気温から、ぼくら日本人を試しているかのように明日は7度も下げてくる予報になっている。
気温がそれほど激しく上下するということは、つまり気圧もそれに伴って急上昇や急低下することを意味する。
ぼくも、成人漫画家で妻のniko(@nikonikopun17)も、気圧の変化にめっぽう弱い体質なので、なんだか天気にブンブンと振り回されているような気がする。
天気というやつは、そうまでしてぼくの確定申告の作業を遅らせたいのかね?
今日もぼくは確定申告に向けて着々と準備を進めていた。
集中したい作業があるとき、いつも音楽を聞いている。
「音楽」と言っても、コーラスの入っていないピアノ音楽ばかりを聞くんだけど、それにはぼくなりの理由がある。
コーラスがあると、声に集中力を持っていかれちゃうんだよね。
音楽に入っている人の声に反応してしまう。無意識にね。
「聞き入ってしまう」と言ってもいいかも知れない。つまり「聞き流す」ということがぼくにはできない。
なんでなんだろう?
そもそもぼくはポンコツだと豪語しているものの、どんなところがポンコツなのかは自分でもはっきりとは言語化できていなかった。
「ぼくがポンコツだと思うことはどんなことなんだろう?」って考えてみたところ、一つの仮説を思いついた。
不器用だから。
本当に?
ポンコツだと思う事象にこの「不器用だから」を付けてみる。
不器用だから、コーラスの入った音楽を聴きながら作業ができない。
不器用だから、異なる複数の出来事を同時にできない。
不器用だから、友達がいない
すごいしっくりくる。
でもなぜだろう、なぜかものすごく切なくなって涙が出そうだよ。
ぼくは自分の中学一年生の娘が「すとぷり」の動画を見ながら勉強をしているのを見て、「そんなんで勉強できるの!?」と何回も聞いているんだけど、彼女は
「ほとんど聞き流しているだけだから大丈夫」
だという。
ぼくにはそれがまったく理解ができない。だって、聞いちゃうんだもん。
どっちかだよ。
声を聞くのか、自分の作業をするのか。
声を聞けば作業の手が止まるし、作業をしていると動画で話している内容はほとんど耳に入ってこない。
要するに「不器用だ」ということなんだと思う。
でも、こういうのって自分ではわかんないでしょ?
だって自分にとっては「できない」ことが当たり前なんだもん。他人が他人の能力やれていることは自分ではどうやったってできっこない。
ということは、自分がその感覚を体験することは不可能な話であって、不器用なぼくは「器用な人間」になることは100%無理なんだ。
ただどうやら、ぼくができないことが他人の誰かができているという話はいくらでもあるので、やっぱりマイノリティはぼくの方。
ということは、ぼくの方が不器用なだけということになる。
でも、もういい。
もう良い。
ぼくは不器用だし、そんなのはしょうがない。生まれて40年かかっても「起用な人間」に生まれ変わることはできなかった。
だから、ぼくはあきらめた。
不器用だから、自分ができるように工夫していきていくしかない。
記憶力がまったくないので、聞いたことや学んだことはすぐさまiPhoneのメモアプリに書き留めておくことにした。
仕事で何かをお願いされたときだって、テキストエディタを開いて話してもらった内容をタイピングしながら聞く。
友達が少ないことはそれでは改善されることはないか。
ただそこに関してはぼくの性格上、たくさん友達がいるのはちょっとわずらわしそうだと思ってしまうから、今はどうでもいいかな。
ただ、とにかくぼくが何か上手くできないことがあっても、それは「劣っている」とか「ダメな人間」とかいうわけじゃなくて、ただ不器用というだけなんだと思ったら、なんか自分がちょっと可愛く見えてきたよ。他人にだってそうやって打ち明けてしまえばいい。
「ぼくは不器用だから、ちょっと上手くできない」
そう言っておいた上で全力で取り組むと、相手だってその努力を認めてくれる。
毎回においてそんな下心があるわけじゃないけれど、他人に宣言しちゃった方が気が楽だし、開き直ってがんばれる気がする。
結局ね、
自分の弱さを認めて、その上で自分のできる最大限の努力をする人間が一番強いとと思ってる。
最近のぼくはそうやって生きている。
それで認められなかったとしても、それはそれでもうどうしようもないから諦めがつくと思うんだ。そういう時は潔く環境を変えてしまえばいい。
きっと自分が認めれる場所が世界のどこかにはあるはずだ。
もっとも、ありがたいことに未だかつてそうやって弱さをさらけ出した上での努力が認められなかったことはない。
自分は不器用だと認められたからこそ、より良い自分になろうと思えるし、誰かのためにできることを探そうとする。
人間関係でも、そうやって信用を得られるようになるんだと思うよ。
じゃあ、またね。
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