自分という存在
おはようございます。ぴかまるです!
何もできない半人前の私がこんなテーマで文章を書くなんて、何様なのだろうと自分でも思うところはありますが、非常に貴重なお話をつい先日お聞きしたので、この場で自分の言葉にしたいと思い書かせて頂くことにしました。
皆さんは、「自分という存在」という言葉を聞いて何を考えますか。
過去にこんな経験をしている、将来はこんな姿になりたい、こんな事がやりたいと思っている…
色々な事を振り返り、頭で将来をイメージして自分という存在について考えた事がある人は少なくないのかなと思います。
では、こんな視点で自分という存在を考えた事がありますか。
「そもそも今の自分って何者なのだろうか」
頭でイメージして自分という存在を見つけようとはするけど、そもそも今の自分はどこにいて、何をしていて、誰といて、何故それをしているのか。
こんなことを書いている私すら、頭はイメージしたものばかりで、今の自分という存在がよく理解できていません。
私たちは、向上しようとする意欲があるから自己啓発本をたくさん読むのだと思います。
でも、自分の頭の中は既にいっぱいで、情報を入れる隙間がなくなってはないだろうか。
自己啓発されて成長したと頭でイメージしているけど、自分が変わるための行動は現実的におこなえているのか。
食事なんかもわかりやすくて、どんな好きなものを食べても、自分のお腹の状態、誰と食べているかで美味しさは全然違ってくると思います。
つまり、自分という存在をないがしろにして、他のことを変えようとばかりしている自分になっていないかということに気づきました。
もちろん私も現時点では、頭で理解しただけです。
自分の状態を正しく理解し、素直に受け入れることから全ては始まりますが、ここを抑えておかないうちは、自分が進もうとしている道が間違っているかもしれないことにすら気づけないのかもしれないのです。
そして、もう一つ大切になるのが、今の自分を正しく理解したのであれば、それに抵抗しないことです。
私もそうですが、自分を正しく理解すると、自分のレベルの低さに絶望することがあります。これは痛みとして素直に受け止めておく。
この痛みに抵抗しようとするから、余計苦しみが大きくなるんでしょうね。
痛みを感じ、それを改善しようとする努力の積み重ねでしか人は本当の成長ができないのだろうなと思います。
とは言っても、情報社会であるこの世の中で生きている以上、常にたくさんの情報に触れることでイメージしてしまうと思います。
だとすれば、先の目標を掲げることも大事ですが、1日という単位で今日のお前はどうだったのかというを振り返り続けることが何より自分という存在を理解するために必要なことなのではないでしょうか。