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第17回定期公演「Departure」終演
11月12日火曜日、無事私たちクレモナの定期公演「Departure」を終演することができました。年間予定はそもそも12月、というところから急遽変更になり、10月のバスツアーから準備期間は1ヶ月と本当に過去一厳しいスケジュールだったのにも関わらず、最終的には140名のお客さまにご来場いただきました。本当にありがとうございました。
レコーディングで詰めた分だけ、見晴らしが良くなった坂本作品。
昨年のたそがれコンサート(@服部緑地野外音楽堂)で初披露(「千のナイフ」)した坂本作品。10月のバスツアー(@淡路夢舞台)では雨の中演奏をした「aqua」。
2023年はお別れが続いて、泣きながらリハーサルをし、本番でも気持ちを抑えられなかった12月の第15回定期公演、屋久島に行って録ってきた音をはじめ、様々な環境音(ノイズ)を効果的に使うには、と悩み続けた6月の第16回定期公演(終演後バカみたいに大雨が降った。)そして今回。間に色んな本番もあったが、試行錯誤の1年半だった。
そもそも、坂本龍一を取り上げる、というだけで大いなるのっかかり商法だと思われるだろうし、色んな大義名分や言い訳はいくらでも思いついたけれど、どれも虚構っぽいのであえてそこには触れないようにしてきた。
実際どうなのか、と聞かれると、2つ。「クレモナがやったら面白そうだったから」というのと「クレモナのお客さんがそれなりに喜んでくださるだろうなと思ったから」ということである。
音響芸術・エレクトロニクスとの関わり
2019年の服部緑地野外音楽堂での定期から、ピアソラの曲でもスピーカーを通して演奏をして、MIDI音源をつけて演奏をしてきた。賛否両論というか、否定的な意見も気にならないくらい多すぎてうんざりしていたわけだが、坂本龍一をやり出した途端、その意見はめっぽう減った。激減。彼の著書「音楽は自由にする」で彼が考えていた「エレクトロニクスの関わり」について読んだ時に、やっと私たちのやっていることを言語化してくれる人がいたよ、と感動したものだ。(しかし、これは坂本がまだ20代の時の感覚である、と思うと、もしかしたら同じ思考ルートを辿っているのかもしれない…と僭越ながら嬉しくも感じた。)
どんどんと音楽表現が自由になる感覚があった。それと同時に、クラシック仕事と言える、楽譜通り的確に、テンポ・ピッチ・アーティキュレーション、フレージングを表現しないと演奏が成立しないという、演奏におけるしがらみがものすごく強くなったと思う。絶対にこうじゃないと、坂本の音楽ではない、という、余白までが完璧に設計された音楽表現を強く求められたと思う。
(その点、ピアソラは比較的自由である。音の並びと進行だけでピアソラの音楽だとわかるから。)
だからある意味総合的な音楽表現を、私たち演奏者と音響芸術を融合させて行い、より洗練させていくということは『クレモナ』にとって大変重要な局面だったと思う。今は、その次の段階、「サウンドとノイズの境界線の拡張」というフェーズに入っている。どんどん私たちに求められることは高度になっていくし、試しに祇園祭の音を入れてみたんだ〜。とか、怖かったから富士山の音を入れてみたんだ〜。ではなく、最終的にお客さまがこの曲を、このステージをどう思うかという着地点を見据えながらのサウンドインスタレーションがマストになってくる。
レコーディングの効果
現段階での表現の最たるもの、として10月のレコーディングがあった。確かにハードなスケジュールの中であったし、それぞれが数々のトラブルを抱えながら(完璧な状態で全てのことが迎えられることなんてないのだ。)臨んだ現場であったが、メンバー4人とチームクレモナが強く「この曲を」「このCDを」絶対に良いものに仕上げてやるという熱量はこれまでのレコーディングとは違った空気感となった。全員に成長の幅が大きく感じられたし、だからこそその先の表現を、共に目指すことができたのだと思う。
(レコーディングについてはまた後述する。)
目の前に『クレモナ』4人と(あるいは奥にピアノ)、その両脇にドラムやベース、三味線や鼓を演奏している奏者がありありと浮かんでくるような音響空間は、『クレモナ』でしか作り上げることができないのだと思う。きっと、驚かれる人が多いと思う。CDは12月のリリース予定になんとか間に合いそうだ。
実際のライブでどうなったのか
だから、今の段階では十分にやりこんでいる坂本作品であった。朝の9時から夜の7時半までカンヅメになって録って、その後2週間、チームの叡智を結集させてマスタリングまで仕上げていただいた。何度も自分たちの演奏と音に向き合うこの作業は、私たちの音楽をより強固にしたと思う。そのため、ある意味で肩の力の抜けた自然な演奏ができたのではないか、と演奏記録の動画を見て思った。(現場ではもの凄く緊張していたが!)
この演奏が、きっと次のステージや、CDの販売に繋がるだろうと私は確信している。
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ピアソラに取り憑かれた第2部
前日のリハーサルで、「これは本当に暗譜が間に合わないので楽譜を見せてほしい」と監督に進言したが、一蹴された。それくらい久しぶりのド・ピアソラなトロイロ組曲だった。坂本龍一をやっていると、ピアソラのように鬼気迫ることがなく、なんならずっとニコニコしながら演奏できるような気分になるが、久しぶりにガシッと頭を掴まれて音楽と正対するように強制されているようなとんでもない緊張感と圧!重圧!を感じた。ぎゃー、遊びに行っててすみません、ちゃんとやりますから〜っとピアソラに心の底から謝っているような気分だ。
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実はこんなことは今までないのだが、店で片付けをしている時も、本番前のメイク中も、なんならお客さまのお迎えをして1ベルまでのわずかな5分までずっと音源を聴き続けていた。それぐらい頭の中でピアソラの音楽(あるいは監督の音楽)を反芻していた。
どうしても、4人での練習量が私の中では満足のいくものではなかった。練習に裏付けられる自信って、やっぱり質だとはいえ、量がものを言う。だから最後まで不安だったし、本番が終わってからみーことゆきに「先輩、手めっちゃ震えてましたよね」と言われてもなんの実感もないくらい、没入していた。ピアソラに、トロイロに、今ある音楽に思いを馳せる時間となった。
だからか、「すごい集中力だった」と音響の伊藤さんに言われた。当人たちはそんなことあるかな?と思っていたのだが、コンサートの余韻と、演奏動画を見比べて、確かにそうなのかもしれないと、客観的に思う。
今回の演奏会でのマイテーマ
「Departure」。出発・離陸。という意味で、今回はセットリストを決める前にタイトルを決めた。まさかこんなたくさんのトラブルに見舞われつつの出発になるとは思わなかったが、演奏自体はきっと離陸に成功したのだと思った。
私としては「人」が見える演奏会を作りたかった。自分たち、新しいまだ見ぬ命、私たちと共に音楽を作ってくれる人たち、私たちの前から去っていった人たち、私たちに音楽を残していった人たち。そういった人々が音楽を通して生きてほしいと切に願った。きっと過去いちばんに人間臭いステージになったのかも知れない。
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次回12月22日日曜日は。
次回の12月(そもそもこの日が私たちにとっての定期の日だった)は、「全ての人々にクリスマスはやってくる」がサブタイトルである。私はここをかなり重要視して音楽を作っていきたいと思う。実は、まだ何もできていない。また泣きながら楽譜を作る日々が始まるのかと思うと辛い反面、また新しい音楽と出会えること、そしてお客さまに新しい音楽を届けられることがとても楽しみである。
ぜひ12月22日はザ・フェニックスホールに応援に来てください!
20241115