朝の電車が蒸し苦しいので世界に思いを馳せていこう
○地球と人に優しいファッションの追求
「ファッションの裏側の世界」に目を向けることを教えてくれたのがフェアトレードファッションというものでした。英語圏で「Behind the Label」と表現されることもあり、この言葉で検索すると、やや過激なイメージにも、やさしいブランドストーリーにも出会えます。
20代の初め、買うことで支援ができるフェアトレード 商品による国際貢献、自分への暮らしの取り入れ方を知って、早くて2011年くらいからエシカルを掲げていたブランドを身につける啓発活動に学生時代をかけて情熱を注いでいました。
私がファッションの社会問題に学問として向き合おうとした動機は、2013年にバングラデシュで発生したファスト・ファッションブランドの工場火災(wiki)と、その産業下で働く女性の過酷な生き様でした。
「ラナ・プラザ事件」がその後のファッション業界に与えた影響は大きく、この年はちょうど私の大学卒業時にあたったので、卒論で課題提起したことは忘れません。
私の情熱は5万字超の卒論を書いて終わらず、いろいろ飛ばして数年後、2017年の社会人の休暇中には、インドのニューデリーで世界フェアトレード連盟(WFTO)の会議に出席しました。
○安いものを買うという罪悪感
その後、先述のフェアトレードを含む、オーガニックコットンなど、地球や人に優しい(配慮した)ファッションがしばらくご無沙汰になっていた時間がありました。今だからこそ「心の混沌期」と呼んでみます。
それまで値段が高くても地球と人にやさしいファッションを買い、少し背伸びしてでも着飾っていた自分が「まさか」と言う感じで、今振り返ると自分と世間の感覚が食い違っているような不思議な心境でした。
簡単に言うと「高いお金を出して服を買うことに(経済的な意味で)罪悪感がある」というのが概ね予想される意見ですが、私は安い服を買うことに罪悪感を感じていたのです。
「同情」という言葉選びは適切ではないかもしれませんが、ある国で子供を持つお母さんがトイレも立つ間もなく、休憩もなく、狭苦しい環境で長時間労働を強いられていると想像し、心が痛んでいたのです。
私の罪悪感の訳は、ずばりそんなファストファッション産業下で働く同じ年の女性の過酷な働き方や生き様がきっかけでした。もし現地でそのリアルを目にしていたら、より甚だしく影響されてい他と思いますが、あくまで報道と想像の域。
ユ○クロもその筆頭でしたが、この気持ちと決別してさらりと装えるようになったのはつい最近のこと。今はファストファッションも気軽に装えます。
「装うことを許した」と言うのが近いかもしれません。できる限り大切に。
○気候・天候に合わせにいくケアの装いへ
はじめの地球に優しいファッション追求期から振り返って、第3フェーズがここにあたり、今現在、この地点にいるようです。
そもそも「地球」と言ってしまうと広かったので、これからは「気候・天候に合わせにいく」と言ってみれば身近な問題に。
それに環境問題と気候は深く結びついていますから、気候・天候に合わせに行くファッションとは、ひとりよがりな自分の趣味にも思え、実は「地球に優しいファッション」と結び付けられます。
フェアトレードは世界の人への目線でしたが、自分や家族という意味でも、より「人全体」に優しい目線が増すというのは、間違いありません。
この海街に住んでから隣人の装いに目を配ることが増えました。寒い日に足や腕を露出した母校の中高女子の体を心配しながら、一方男性がさらりとキメている機能度の高いファッションも素敵だなと観察しています。
日々、雑感。例えば、朝から本降りの今日も「THE NORTH FACE」の防水パーカーをジッパーを首元までしっかり閉めて通勤して前を歩いている人を朝から男女1人ずつ見かけましたが、心の中で親指を上げて「いいね」を押しました。
例えば自分にやさしくすると言う意味では、今日は朝から雨で足元が冷えるなと感じ、天気予報が「蒸し暑い」と言おうと靴下を2枚重ねました。
自分にとってやさしいファッションをする=「身心地のいい状態」であることは、セルフケアにつながり、さらに気分良くいることが即ち周りをも気分良くさせる、この好循環にうっすらと気づきはじめています。