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ガメラはレギオンを許さないから(中編)

1996年、この年俺は群馬県にいた。
というより群馬県に住んでいた。
細かい事情は省くが、父親の仕事の都合で群馬県に引っ越していた。
いきなりの引っ越し、それまで一緒に遊んでいた幼なじみとの別れ、本当に突然だった。
それと同時に母親が死んだ。
母親は小山市の病院に入院していた事もあり、最期を看取る事ができなかった。

群馬に来てからは最低な日が続いた。
俺は群馬との相性が最悪なんじゃないかと思うくらいかなりナーバスになっていた頃だと思う。
それでも今よりは能天気な頭をしていたおかげか、不登校やグレたりせず何とか楽しく日常生活を送っていた。あの当時今の感性で過ごしていたら俺は今頃警察の厄介になっていてもおかしくなかっただろう。
そんな年の夏、平成ガメラの続編が公開された。

ガメラ2 レギオン襲来


前作の「ガメラ-大怪獣空中決戦-」から一年後、内容も前作から少し時が経った世界の話。
その辺りは小4の俺でも理解できた、けどそれ以外の内容は子供向けの怪獣映画とは程遠く、どちらかと言えば軍隊主観の話だった。
だから覚えてるシーンといえば、ガメラとレギオンがくんずほぐれつドッカンドッカン闘っているところだけだ。
初めて見た時、もう内容なんてほとんど頭に入らなかった。
ガメラといえば昭和版の設定で言えば「子供達の守護神」だったはず。
ところがこの平成ガメラは子供というより「地球の守護神」というビッグスケールなお題目を掲げ、おまけにゴジラ以上に軍隊やその周辺の人間達の奮闘劇が主軸になっていた。

なんか思ってたのと違う…

足利市にあった小さな映画館から出た俺は、とりあえず買ってもらったパンフレットと下敷きを手に何とも言えない気持ちになっていた。
その頃から徐々に「ガメラ」という怪獣から遠ざかっていくようになった。
丁度この頃はポケモンブームもあって、俺の関心もそっちにシフトしていった。
更にそれまで見ていた特撮(ウルトラマン等)にも関心が向かなくなり、段々と頭からゴジラやガメラという作品が消え始めていた。
一時期期待されていたハリウッド版「GODZILLA」(通称:エメゴジ)も期待外れも外れだったから余計それに拍車がかかっていた。

もう怪獣映画で興奮する子供ではなくなってしまった。


それから数年後の99年、小学校卒業を控えていたこの年に平成ガメラシリーズの最終作となる作品

ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒

が公開された。

正直そんなに見る気は起きなかった。
だが、今回のガメラはそれまでのイメージと違いやたらと「怖いガメラ」が強調されていた。
CMも「私は、ガメラを許さない」と、かなりセンセーショナルなキャッチコピーと共にド迫力の特撮、緊迫感溢れるBGMが流れて明らかに今までとは違うガメラを思わせる内容だった。
もしかしたら今回のは面白いのかも…?
そんな淡い期待を胸に、父親と再び足利の小さな映画館へ足を運んだ。
ちなみに何で足利なのかというと、大映系の映画を上映してたのはここだけだったからだ。
久しぶりのガメラ、どんな内容なのかドキドキした。


エグい。


なんだこれは、子供が見るような映画じゃないだろ…子供ながらにそんな感覚になった。

3はガメラの「善」と「悪」の狭間を描いていた。
シリーズを通じてガメラは地球の守護神だ、でも、その守護神の活躍の下には多くの犠牲があったんじゃないだろうか?
地球の平和は、生きとし生ける全ての生物の「死」の上で成り立っている。
こんなアプローチで描く怪獣映画はおそらく無かったんじゃないだろうか。
こんなに怖い怪獣映画は見た事がない、強烈なインパクトを受けた。
同時に強いトラウマも受けた。
今までに比べて人が死ぬ描写が露骨に描かれてたからだ。
当時はまだスプラッタ系やグロ系に耐性がなかったので、イリスに体液を吸われた人がミイラになるシーンはしばらく頭から離れなかった。

こうして、平成ガメラ最終作はまたしても俺にモヤモヤとした気持ちを残してくれた。
でも面白いと思ったのは確かだ。
戦闘シーンは過去作と比べ物にならない程の大迫力だったし、クライマックスの京都駅での戦闘シーンは最高だった。
それは間違いない。
小学生最後の年の強烈な思い出にはなった。


それから程なくして、俺は中学生になった。



次で終わす。


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