ウインカーを出すと死ぬ人 - 最近何をしたか 7/10-7/20
ウインカーを出すと死ぬ人
運転をする、ほぼ毎日近く買い物や散歩に行くのに車を使うから。またこの頃は暑いのでないと困る。それに買い物をすれば荷物があるし、毎日ではないが食品というものは思ったよりも重いものだ。それに車というのは当たり前の道具だし、人によれば道具以上のものだ。
そうして毎日運転していると社会という中なので自分以外の運転する車も多数存在する。当たり前だ。色々な人がいる。人口百万人以上の大都市だが片側三車線以上のようなそれなりに広い道路もあれば、車が一台通れるくらいの狭い道まで様々ある。例えば後者のような狭い道からよく見ず飛び出してくる車、そういうのは年配の女性が多いと感じる。また最近は少し昔に比べて運転者のマナーが全体的に上がっているとも思う。自分のことはどうなんだ、と思うと決して行儀のいい運転者ではないのかもしれないね。でも道路交通法のことはほぼほぼ憶えているし、守るべきことは守っているつもりだ。まあ、このつもりがどこまでなのか、その線引きがあいまいなのかもしれない。そんなことを考えるのだけれど、ほぼ毎日運転していてずっと小さい疑問の中に一つだけ大きな疑問がある、それはウインカーを出すと死ぬ人のことだ。
ウインカーを出すと死ぬ人、なにそれって感じだろうが運転してるとそういう人が非常に多い。曲がる時にウインカーというか方向指示器を的確に動作させない人たち。しかも片側三車線以上のように広い道路であろうと、狭い道であろうと左折であろうと右折であろうと関係ない。こちら側が感じるのは、後ろを走っていれば目につき次の行動に自身が持てなくなり、対向車線にいれば対向車の考えが分からず危険という事になってしまう。そんな事柄だ。
片側三車線以上の場合なら四パターンある。例えば右折レーンのある交差点での右折の場合、一つ目は対面の信号が赤でレーンに入り停車しウインカーを出す当たり前の人、そして次と次の二つのパターンは右折という明確なレーンにいるにも関わらずウインカーを出さない人、その中の一つは対面の信号が青に変われば出す人、その中のもう一つは交差点に進入して初めて出す人、この三パターンが大部分だ。そして最後のパターンはウインカーなど出さずに右折する人だ。左折も全く同じパターンがある。比率でいうと最初のパターンと次の二つの三つでほぼ全体を占め、五分五分という感じだ。当たり前だが最後のパターンはまれということになる。中の二つのパターンの比率は七、三、または六、四で青になったらウインカーを出す人が多い。道路交通法では三十メートル前には方向指示器を出さなくてはいけないので、右折レーンに入った時点で出しておかなければならないはずだ。まあそれはいい、だが後ろにいて対面にいて困ることがある。ウインカーが出ていないと不安になる。直進してくるのではないのかとか思ってしまう。これは私の問題なのだろう。気をつけているというと聞こえはいいが、人を信用できないような、そういう問題なのかも。それでもなにか足りないものは感じている。
また、右折レーンがない交差点の場合や右折レーンのない道、狭い道で信号のない場所で右折する場合など、後ろを走っていて疑問に思うのがブレーキをかけた後にウインカーを出すという行為だ。直進の信号がないような場所で急にブレーキをかけるので後ろを走っていて戸惑う。その後に初めてウインカーが出るのだ。そういうのはつらい。普通の速度でなにもない状態でブレーキはなんだろうと思ってしまう。ウインカーを出せばそれ以前に理解できるのに。対向車線で対面している場合はブレーキは分からないが、ウインカーが遅いととても困る。
こういうことをいう私だけが異端というわけではないと思いたいが、そうじゃないにしてもここに書いているように根に持っている感じなのは私くらいなものだろうか。そういうことも含めて不可解の沼に嵌ってゆくようだ。しかし私としては不思議なのだ。彼ら、彼女らはやっぱり"ウインカーを出すと死ぬ人"なのだろうか。どうしてもそう考えてしまう。
強くなれ
弱いのは悪いことではない。それを知っていればただ強い人よりも弱さに敏感になれるかも。それを踏まえることができるのなら強くなって優しくなりたい。人を支えてあげることができるのなら、このような弱さの吐露も悪くはない。しかし何もなければただの泣き言。いや違うんだ、ただの客観、ただの喪失。
爽快な心拍
私のような人間がエクササイズなんて、それもダンスなんて。本人は大真面目だがどこか滑稽で、どこかズレている気がする。しかし新しい活動量計になって心拍数を上げる活動の爽快さを知り、こういうことまでするようになった。自分でもまさかである。健康志向ということではないが、不健康ではいられない。体調が悪いと楽しくないし苦しいから。このエクササイズはそこに楽しさを見いだせる、それにこしたことはない。
天使
土星人は土星でセガサターンを製造していた。一方ナイツではナイトピアンという愛らしいとんがりハゲが愛嬌をふりまく。私に見えていたのは天使、それはナイトピアンもそうかもしれないな。土星人という誰かと話したときに私の天使の話をせずにはいられなかった。そうすると訪れた暖かい風。それでよかった。
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