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ケータイキャリアとMVNO - 最近何をしたか 2/17-2/25

総理大臣が変わりとりあえず見えやすい政策の目玉としてケータイキャリアの値下げがあった。総務省の指示でケータイキャリアは悪者にされ、無理やりに値段を下げさせられたようにも感じる。そこで問題なのはキャリアではない。ただ単にトップダウンでケータイキャリアに圧力をかけ値段を下げさせる。それはどうだろう。確かにケータイキャリア三社の寡占状態と、名ばかりの競争はよろしくないと思う。だがキャリアには楽天もあり、後発の楽天の電波等を優遇することで正しい競争を起こせたのではないか。単なるメジャーなキャリアの値下げだとMVNO事業者は死んでしまう。とか考えていたらIIJmioから新料金プラン発表日のご案内というメールがきた。それがギガプランだったのだがMVNOでここまでできるのはどういう事だろうと考えた。一部IIJmioのSIMを使っているので通知が来たのだが、それで気づいて見回すとMVNO事業者も色々対応してきているのかなと思う。一部IIJmioを選んでいたのはIIJがWIDEプロジェクトの関わりからインターネットの総本山的なイメージもあったから。だからMVNOの中ではそれほど安くなくても使っていた。しかし今度は安い。現時点でのキャリアは使う気はないがIIJmioも含めてMVNO事業者の契約も再考するべき時期が来ているようだ。今からはシンプルというか分かりやすいシステムや商品が増えるだろう。楽天もエリアの問題さえなければ乗り換えも検討する。私は病人で家にいることが多いし、だから使用頻度も低い。しかし外に出れば音楽のストリーミングはずっと使う。ダウンロードして聞く場合もあるけど。そして事業者を変えるのは面倒だけど選ぶ楽しみもある。そんなことを最近感じている。



リキッド

ないものを求めてさまよってしまう。そしてそれに触れたときにそれがあると知る。目を開いていても何かを見ても焦点はそのまた向こう。突き抜けて見ている。そして溺れあい溶け出す。液体になった様はどうだろう。脳も感覚も肉も骨もここにありそこにある。混ざったらどうなってしまうのか。そしてまた最初に戻りループとなる。



ともに

好みが優先するとはいえ接点さえあれば音楽は何でも聞いてみる。そして時にそれが入り込んできて心地よい、なんか熱くもなくぬるくもないお湯に浸かったみたいな。そんな同期。子供の頃から積み重ねたそれはずっと続く。未だに続いているけど蓄積もされるし忘れるものもある。人間のメカニズムとして記憶の美化もされてしまう。それほど愛しているし足を踏み出すときにさえ同期している。音楽でこんなに満たされることは幸せだと思う。



風まみれの光景

歩き光り知る。自分を知るための一つの手段。病気であろうがなかろうが有益だ。別になくても構わない。だが見聞きし、感じ、頭の中にモデルが作られる。それを再考したら散歩の虜。そして活動量計はその回りを包むカプセル。時に静的に、時に動的に事実を知らせ自分を知る術を提供してくれる。またそれは健康でありファッションでもある。


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