
満州国の度量衡制度
前回までの記事を書くにあたって、何か使えるネタがないかな〜、とおもって心あたりの図版研架蔵資料をがさごそやっている最中、昭和初期の計量業界誌に満州国で新たに定められた度量衡制度についての紹介記事があるのをたまたま見かけたので、忘れちゃわないうちに参考資料として載せておこうとおもう。

前回の記事が思いの外長くなってしまい、一晩+半日で一気に書きおえてふと気づいたら文字数メータが1万3千超えていて、それを目にしたとたんどっとくたびれちゃったので、今回はなるべく画像だけ並べてちゃっちゃとおしまいにしたい。


メートル法については、例の国字を含む単位略号も出てくるが、日本のとは違う文字もある。

当地のややこしい度量衡事情については、京都大学学術リポジトリ「紅」で公開されている、この『計量界』誌と同じく昭和六年(1931年)刊の『地球」誌第十五卷第六號収載藤田元春『支那度量衡の源流を論ず』
と、国会図書館デジタルコレクション公開の昭和七年(1932年)発行神戸市役所商工課『滿洲國における度量衡とメートル法』
辺りを(ご興味がおありならば)あわせて眺めていただけたらよいかしらん、とおもう。
当時の商工大臣の書いておられるものも、関連があるのでよろしければご一読を。


「我等と同じきアジアの兄弟」「アジア人の團結奮起」とかいーつつ「いーから兄貴のいうことを聞け」という一方的な姿勢だったのが、そもそも失敗の元のような気もするww
ま、それはおいといて。新度量衡制度の推進機関として設立されたらしい国策計量器統制会社「滿洲計器股份有限公司」設立の記事も載せておこう。

そして度量衡工業各組合総会の記事も。


こういう業界誌にも文藝欄がある辺り、時代を感じさせる。

なおこの当時は日本でもメートル法に一本化する方向で進んでいたのだが、読者投稿を読んでみると反対派のはげしい抵抗に遭って法改正実施が5年も延びることになるなど、あれこれガタガタやっていた時代だったらしいことがわかる。

巻末の広告、計量器メーカー直売の移動販売車だろうか。