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【おはなし】 消された待ち時間

今あなたが使っている受信機で「呪詛」という言葉の意味を調べてもらいたい。

かつては一家に1台存在した黒電話の後継機として、我々がひとり1台所有している受信機は、今ではさらに深化して呪詛機と成り果ててしまった。

「たのしい、うれしい、カラフル」といった気分を向上させるキャッチコピーと共に広まった受信機。

メッセージ、写真、検索、投稿機能。

アプリという名の娯楽への入り口が我々のネガティブな感情を呼び覚まし、受信機を呪詛機として、ホーム画面にアイコン表示されている。

電車を待ちながら、歩きながら、食事を摂りながら、お風呂に入りながら。

呪詛機は我々の一部として存在している。

雨宿りのぼんやりとしたひととき。

バスが到着するまでの手持ち無沙汰。

なにもしない無生産な営み。

今の我々の暮らしには、性格な意味での待ち時間は、もう存在しない。

それでは、待ち時間はどこへ消えてしまったのだろうか。

「こちら」から「あちら」へと移動してしまったのだろうか。

「あちら」には誰が存在するのだろうか。

「あちら」では何が行われているのだろうか。

私は疑問を提示する者。

そして、あなたをどこかへ導く者。

私は答えを持ち合わせていない。

大衆は、それを詐欺と呼ぶ。

そうさ操作、私は詐欺師なのだ。




おしまい