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【おはなし】 夏の霧吹き

みなさま、暑い日が続いておりますがお元気に過ごされているでしょうか。

わたしはビルが立ち並ぶ大都会に不時着してしまいました。

ここには森はなく、木だってそれほど多くはありません。地面はカチカチのアスファルトですし、空気中には化学物質が充満しています。わたしにとっては快適な空間とは言えません。ですがわたしはここに不時着してしまいましたので、お迎えが来るときまでなんとか耐え抜くつもりであります。

さきほど、わたしは園芸用品売り場にやってきました。アスファルトの上でのびていると、タクシーの運転手さんがしなびたわたしの姿を抱えて連れて来てくださいました。

タクシーという乗り物は快適でした。エアコンが付いていましたのでわたしの身体は少しずつハリが出てきました。ですが肝心の栄養が不足しています。ぼーっとする頭の中でわたしは運転手さんがかけているラジオの音楽を聞くこともなく耳にしていました。

ホームセンターの駐車場に車を止めた運転手さんは、わたしを抱きかかえて園芸用品売り場に走りました。

「すみません、霧吹きはありませんか?」

品出しをしている途中に話しかけられた店員さんは、少しムッとした顔をしました。

「あっち」

店員さんはぶっきらぼうな態度で方向だけを指で示しました。

「どうもありがとう」

運転手さんは駆け足でその方向に向かうと、棚に並んでいる商品の中から小型の霧吹きを手に取り、今度はレジへと駆けて行きました。

レジに到着した運転手さんは、誰もいないので呼び鈴を鳴らしました。

チーン チーン チチチチチチチチチチチチ

「だー、なんの嫌がらせだ!」

さっきの店員さんが首に巻いたタオルで顔の汗を拭いながら、ゆっくりとレジへと歩いて来ました。

「お忙しいところすみません。急いでこの子に水を上げたいのでお願いします」

運転手さんはとてもていねいな口調で店員さんに頼みました。ですが、店員さんはぶっきらぼうな態度を変えません。

「あんたは、その霧吹きで、何を吹きかけるつもりなんだい?」

「え、水ですけど・・・」

「だー、これだから素人はいけねえ」

「なにが効果的なんですか?」

「ちょっとそいつを見せてみろ」

店員さんはわたしの身体を持ち上げると、わたしの匂いを嗅ぎ、背中に耳をあて、足の裏をコリコリと擦りはじめました。

わたしはとてもくすぐったかったのですが、声を上げる元気がありません。

店員さんと運転手さんの会話がはじまりました。

「あんた、こいつをどこで見つけたんだ?」

「道路に落ちてました」

「そうか。あんたはこいつを保護する覚悟があるんだな?」

「そこまで強い覚悟は持ってないですけど・・・。なんとか助けてあげたいと思ってます」

「どっちなんだ? 中途半端な覚悟ではこいつを救えないぜ!」

「じゃあ、覚悟します。今しました。ですからその子を助けてください!」

「よしきた」




そのあとのことは、わたしは覚えておりません。

気がついたわたしは、園芸用品売り場のマスコットとして小さな植木鉢の中で暮らしています。お店に訪れるお客さんたちは、わたしを見かけると必ず話しかけてくださいます。

「なっちゃん、今日もお元気そうね」

わたしも返事をしたいのですが、まだ、人間のコトバが話せません。なんとか聴力だけはこの環境に馴染んでいるのですが、会話まではままなりません。

あのぶっきらぼうな店員さんは、わたしのために霧吹きでおいしい水を与えてくれます。

シュッ シュッ シューーーッ

さすがベテランの店員さんです。最後にシューーーっと長く吹きかけてくれるところがわたしの身体には心地よいことをご存知なのです。

もう少しわたしが成長して身体が大きくなってきたら、ぶっきらぼうな店員さんはわたしのために大きなおうちを用意してくれるそうです。

あのタクシー運転手さんも毎日わたしの様子をうかがいに来てくださいます。遠くまでお客さんを運んだ夜には、お店の外からわたしの姿を確認しています。

わたしの見た目は、なにかの生命体に似ているみたいです。

「この子はネコかしら?」

「いえ、ウサギよ」

「ちがうわ、フェレットちゃんよ」

わたしに話しかけてくれるお客さんのご意見です。

わたしには昔の記憶がありません。どうやら不時着したときに頭を強く打ち付けてしまったのかもしれません。なにを目的としてこのエリアにやってきたのか覚えていないのです。

わたしが成長したら、サーカスに売り飛ばされてしまうのでしょうか。

くちの悪い店員さんのことです。そういった悪巧みに長けていることでしょう。

運転手さんだって信用できません。

一見するといいひとそうですが、心の中では何を考えているのか知れたものじゃありませんから。

わたしの名前は、なっちゃん。

夏のある日に飛来した珍種の生命体。

名付けの親は、タクシーの運転手さん。

毎日の世話は、園芸売り場の店員さん。

わたしは非売品ですのでご購入いただけません。ですが、見るだけでしたらいつでも大歓迎です。

とあるホームセンターの園芸用品売り場にて、みなさまの起こしをお待ち致しております。




追伸

わたしはフルーツの果汁が大好きです。めずらしい果実をお育ての農家さんは、ぜひご連絡をください。わたしには、たいしたお礼はできないのですが、夏休みの観察日記には役立つことができるかもしれません。





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