【おはなし】 流れの職人さん
「白い布に包丁一本だけを包んでお店を渡り歩く料理人みたいだな。流れの職人といってな、むかしの日本では気難しい職人気質をつらぬく生き方が認められていたもんだ。おまえもせいぜい気張るんだな」
正月に顔を合わせた親戚の叔父さんが僕の暮らしぶりを聞きながら感想を述べた。
目の前の食卓には、百貨店で注文した三段重のおせち料理と、近所のお鮨屋さんが届けてくれた握り寿司を家族みんなで囲みながら話している。
「流れの職人さんもいいんですが、正社員として働いてくれませんかねぇ」
母親が僕の空いたグラスに瓶ビールを注ぎながら小言をいう。
「俺らのときから時代が変わったんだよ。派遣社員だって金を稼ぐひとつの手段だ」
叔父さんは母親の小言が床にこぼれるのを両手を広げて防いでくれた。
「今年はどんな仕事をしたの?」
春に小学5年生になる姪っ子は、ファンタグレープを飲みながら純粋な目で僕にたずねた。
「今年はね、新聞屋さんと印刷屋さんに行ってきたんだ」
「ふたつも行ったんだ。どんなことをしたの?」
「新聞屋さんでは町内会の新聞を作っていたんだ。パソコンの前に座って画面を見ながら指示書に沿った文字組みをしていたよ」
「文字組って、なに?」
「決められた場所に文字を入れ込むんだ。例えばこの新聞」
僕は叔父さんが読み終えた新聞を手に取ると、姪っ子の近くにいって広げながら説明していく。
「この新聞には文字と写真があるだろう?」
「うん」
「これを決められたルールに沿って入れ込んでいくんだ」
「写真と文字を入れるだけなの?」
「まあそうなんだけど、意外と難しいんだよ」
「どうして?」
「いろんなひとの思いが重なってバランスを取るのが大変なんだ。写真を大きく載せたいひと、文字をたくさん読んで欲しいひとがいる。でも新聞の大きさは決まってるからね。枠からはみ出てまでは載せることができないから」
「ふーん。学校の教科書は作らなかったの?」
「僕は作らなかったけど、違う部署の人たちは、もしかしたら作っていたかもしれない」
「そっか。もうひとつはなんだっけ?」
「印刷屋さん」
「そこではなにをしてたの?」
「印刷屋さんではスーパーのチラシを主に作っていたかな。僕がしていたのは写真の準備と加工」
姪っ子は新聞に挟まっている折込チラシを広げながら僕の話を聞いている。
「このチラシだったらね、さっきの新聞よりも写真が多いだろう?」
「しかもカラーで見やすい」
「そうそう。でもね、お客さんがくれた写真が暗かったりするんだよ。それを明るく加工したり、賞味期限を消したりするんだ」
「おいおい、それは違法じゃないのか?」
叔父さんが横から声をはさむ。
「いえ。賞味期限の改ざんは違法でしょうけど、そうじゃないんですよ」
「どういうことだ」
「メーカーから提供される写真は、広告用に賞味期限の部分が白枠になってるんですよ。でもお店で直接撮影した商品には賞味期限が印字されているから、フォトショップで消すんですよ」
「なるほどな。そうすると、その写真を何度も使いまわすこともできるわけだな」
「ええ。その通りです」
「おじちゃんは写真を撮らないの?」
姪っ子が僕にたずねた。
「僕は撮らないんだ。いちおう部署の名前には・・・」と言いかけたけどやめた。
僕が所属しているのは写真課。写真課だけど撮影はしない。分業化されていることは、話がややこしくなりそうだから伏せておく。
「えっと、じゃあ、文字の会社と写真の会社でお仕事をしてたってこと?」
「うん、そんなところかな」
「どっちが楽しかった?」
「う~ん、どっちだろう・・・」
姪っ子はときどき鋭い質問をするから困ってしまう。僕はビールをひとくち飲んでから記憶を辿っていく。
町内会新聞を作るのは、小さいスペースに文字を入れ込んだり細かいルールが多かった。最終的な紙面の入稿データを作っていたから間違いがそのまま印刷されて納品されるというプレッシャーも大きかったな。
チラシの写真は準備の段階だから取り返しはつく。校正のときに間違いに気づいたら修正できるからプレッシャーは少ない。お客さんから写真をもらうためにメール連絡をする手間はあるけど、いろんな写真を見るのは楽しいかも。
「ねえ、どっちなの?」
「えっとね、チラシの写真かな」
「どうして?」
「いろんな商品が見れるんだよ。たとえば新商品のチョコレートが発売されたんだ、とか、石けんが安くなってるんだとか。身近な暮らしに直接関係あるから楽しいのかもしれない」
「町内会の新聞は楽しくなかったの?」
「なかには楽しい場面もあったけど、完成物が身近じゃなかったのが大きいのかも」
「おじいちゃんが読むものだから?」
「まあ、そうかな。ゲートボール大会や遠足の報告を読むのは新鮮だったけどね」
「えっ、おじいちゃんも遠足に行くの?」
「そうだよ。お年寄りで集まって山にハイキングに行ったり、カラオケ大会をしたりするんだ」
「へー、わたしも遠足すき」
「僕も遠足が大好きだったな」
「ねえ、この話、作文に書いてもいい?」
「いいよ」
「ありがとう」
何かの宿題に作文があるのだろうか。姪っ子は新ネタを仕入れた芸能レポーターみたいに得意げな顔で喜んでいた。
☆ ☆ ☆ ☆
たぶん、ぜったい、こういう場面がもうすぐやってくる。
今年のお正月は家族みんなで久しぶりに集まる予定になっている。
姪っ子の成長スピードは僕の想像を超えてくるんだろうな。予測不可能な質問がビュンビュン炸裂するのは怖いけど楽しみでもある。
ただ・・・。
母親の小言だけはパワーアップして欲しくない。
心配ばかりかけている僕に非があるんだけど、それは重々わかっているんだけどな・・・。
今年も残すところあとわずか。盗める技はどんどん盗んでいこう。
僕が持ち運んでいるのは包丁じゃなくて健康な身体。いろんな体験を集めて僕は星みたいな本をつくるんだ。
お正月休みに向けて、あと少しがんばろう。
おしまい