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【おはなし】 ハーブティー
「どうして、それをはじめようと思ったのかしら?」
診察室の中、白衣を着た女は、患者のカケルにたずねた。
「父親がダンプカーの運転手をしていたのが影響しているんだと思っています」
「あまり確かなことは覚えていない、ということかしら?」
「そう・・・、かもしれませんね。とくにこの仕事をやりたいと強く願っていたわけではなかったので」
「そうなのね」
女はここで、ひと呼吸あけることにした。
目の前の患者との接触は今回がはじめてのため、相手に対する情報が不足している。今すぐに急いで彼の心の扉をねじあける必要性も感じない。やろうと思えばいつだって手段はあるけれど。
話題を変えるために女は椅子から立ち上がると、オーディオプレイヤーのふたを開けながらカケルにたずねた。
「どんな音楽がお好みかしら?」
話題が変わったことでカケルは少し安心したかのように話し始めた。
「運転中によく聞くのは激しめのロックとかですね。逆に聞かないのはクラシック音楽ですね」
「運転中に眠ってしまうと大変よね」
女はカケルの好みに合いそうな音楽をチョイスすると、プレイヤーの中にCDを入れて再生ボタンを押した。
「ああ、このバンドは、むかしよく聞きましたよ」
「最近は、聞かないのね?」
「ええ、飽きたわけじゃないのですが、聞かないですねえ・・・」
「ところで、ハーブティーなら用意できるけど、飲めるかしら?」
「好き好んで飲むジャンルの飲み物ではありませんが、いただきます」
「じゃあ、用意してくるから、少し待っててちょうだいね」
女は奥の扉を開けて中に入っていった。カケルが入ってきた扉とは反対側にある扉。関係者以外は入ることができない。
ひとりになったカケルは、ふ〜っと息を吐いて椅子に背中を預けた。病院はむかしから好きじゃない。堅苦しいというかウソっぽいというか、なんだか大袈裟な演劇に巻き込まれている気分になってしまう。きっと子供のときに見たアニメの影響だろう。ヒーローが悪役と戦って怪我をして、病院で治療を受けているときに麻酔が効いて、望んでもいない改造手術を施されてしまう、そんな場面が頭に浮かんだ。
この診断室には何もないんだな、カケルは思った。
内科に行けば注射針や点滴薬が視界に入る。外科に行けばギブスをつけた患者や頭に包帯を巻いた患者を見かけることがある。
この診察室に入ってくるまでにも病院らしさはまったく感じなかったが、特にこの中には物がほとんど置いていない。さっきまで、おかま口調のドクターが座っていた椅子、俺の座っている椅子、その中間にあるテーブル。色味はどれも地味だ。この建物から外に出たら一瞬で忘れそうなくらいに地味な配色をしている。
パソコンさえもない。
もしかすると、ドクターの白衣の中にいろんな物が隠されているのかもしれない。
「たとえば、どんなものかしら?」
「注射針とか、マシンガンとか」
「わたしが殺し屋に見えたのかしら?」
「怪しさの点で言えば、すごく」
「あなた、見込みがありそうね」
「それは、どうも」
「ところで、あなたは、いま誰と話しているのかしら?」
カケルは異変に気づいて目の前を見つめた。そこには誰も座っていない。さっきの女ドクターの姿は見えない。
「わたしの運転手になりなさい」
「イヤだと断ったら?」
「あなたの想像以上のことが起きるわよ」
「視界がぼやけるんですよ」
「わたしが矯正してあげるわよ」
「だれも轢きたくないんですよ」
「思う存分に弾かせてあげるわよ」
「俺は未来の話をしてるんですよ」
「わたしは今の話をしてるの」
カケルは話し合うのをやめた。何もない空間に向かって声を出す練習をしたことがないので、これ以上は続けられないと思った。
しばらくその場でじっとしていると、奥の扉から女が戻ってきた。手には2人分のハーブティーを持っている。
女はカケルの前にカップを置いた。
カケルがのぞき込むと、なにかの模様が浮かんでいた。
おしまい