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法律で規制すること・良識にゆだねること。
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最近ニュースを見ていると「いちいち言われなきゃわからないの?」と思うことがある。
先日、選挙ポスターに関する規制のことが話題になっていた。
この前の東京都知事選のときに、同じポスターがズラリと並んだり、エロいポスターが貼られたことを受けてのこと。
そういえば、政権放送で上半身を露にして、自分語りする女性候補もいた。
表現の自由が最大限尊重されることは望ましいことだが、法律に違反していてなくても「普通それはやらないでしょ?」ということがある。
しかし、それを平気でやる人があとをたたない。だから、法律できちんと決めなくてはならない。けれども「罰せられなければ何をやってもよい」と考える人が増えると、ルールが増えて息苦しくなってくる。
「良識」「常識」という言葉は確かに曖昧なものではあるが、本来は良識・常識にゆだねたほうがいい領域がある。そういう領域にまで法律の規制がかけられと、今度は逆に、法律によって良識や常識がある人が、法律によって排除されてしまうこともあり得るだろう。
デカルトは「方法序説」の冒頭で「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられている」と言った。私も基本的には、法律的な知識云々という前に、誰にでも備わっている「良識」があると私も思っている。
もちろん、一見したところ良識など持たないような人もいるが、心の中に全く良識を持たない人はいないと思う。
きれいごとかもしれないが、法律的な対処だけでなく、どんなに時間がかかっても、本来誰もが持っているはずの良識を呼び覚ますことが必要だろう。
何でもいちいちルールを定めなければならないのは、進歩ではなく改善しているわけでもなく、後退の一途を辿っているようにしか感じられてならない。
noteも例外ではない。残念ながら、罰則がないことをいいことに、愚行を繰り返す人もいるが。
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![山根あきら | 妄想哲学者](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/174416477/profile_fcefecdb1e85490884f33fa4d8bca9d0.png?width=600&crop=1:1,smart)