essay|海外文学の選び方
この記事のタイトルを「海外文学の選び方」としたが、どの海外文学を読むべきか?、という問題は扱わない。私は、基本的に、自分が読みたいと思う本を読めばいいと思っている。
しかし、海外文学を読むときには、若干注意が必要だ。原書で読めればいいが、翻訳で読むときは気をつけたほうがよい。同じ作品であっても、印象が異なったり、分かりやすさにバラツキがあるからだ。
古典的な名著には、たいてい、複数の翻訳がある。誰がどのように翻訳したのか、ということは意外と忘れられがちだ。
次の(A)と(B)の2つの文章を読み比べてみてほしい。どちらも同じ作品の、同じ箇所の翻訳である。
どちらの訳文がよいか、ということには敢えて触れないが、ワンセンテンスの長さや順番が異なることに気がつくだろう。引用したのは、
Sherwood Anderson,
' Winesburg, Ohio '
の冒頭部分。参考のため、一応英語の原文を挙げておく。
THE BOOK OF THE GROTESQUE
The writer, an old man with a white mustache, had some difficulty in getting into bed. The windows of the house in which he lived were high and he wanted to look at the trees when he awoke in the morning. A carpenter came to fix the bed so that it would be on a level with the window.
海外文学を翻訳で読みはじめた頃、私はあまり翻訳者が誰かということを意識していなかった。しかし、モームの翻訳で有名な行方昭夫先生の「英文の読み方」(岩波新書)を読んでから意識するようになった。
「言われてみれば、たしかに」と思った。ドストエフスキーの「罪と罰」も、工藤精一郎(訳)、米川正夫(訳)、亀山郁夫(訳)とでは、印象が異なる。前巻を工藤訳で読んで、後巻を亀山訳で読むみたいなことは、少し妙な気持ちになりそうだ。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします