8/18~8/19 | #理解はしてほしいこと(死を悼む・恋愛・闘病・家族)
共感してもらえないかもしれない。けれども理解はしてほしい。
普段は内に秘めている気持ちを、短いエッセイでつづってみよう!、という個人企画です。
募集要項はこちら(↓)
春~と共に🌸さん
春~と共に🌸さんは、普段、短歌を多く投稿されています。今回は、私の企画概要に合わせて「エッセイ」を投稿してくださいました。
「理解はしてほしいこと」として、死を悼むことについて書かれています。
どんな人生にも必ずある2つのこと。それは「生と死」です。しかしながら、自分自身が生まれて来るときのことも、死ぬときのことも、直接見ることができません。私が生と死を感じるのは、他人の生と死のみです。
どんなに人の生も死も、「重み」があるものです。それは生前の業績に関係なく重いものですが、自分の愛する者の死は、よりいっそう大きく感じるものですね。
「死」という取り返しのつかないものを前にしたとき、私たちはただ途方に暮れることしかできません。でも、それでいいんじゃないか、とも思います。
途方に暮れたことを胸に刻み、自分の気持ちを表現しつづけること。詩であれ、短歌であれ、エッセイであれ、絵画であれ、表現の方法は違っても、鎮魂の想いをつづりつづけることは、死者のためであると同時に、自分自身の気持ちをなだめることでもあります。
ただ、もっと生きてほしかったという想いはあります。
死を思うとき、必然的に「生きる」ということも考えます。
今この記事を書いているとき、少し前に読んだ星川玲さんの素敵な記事(↓)のことを思い出しました。一読していただければ、とてもうれしいです😃💕。
春~と共に🌸さん、素敵なエッセイを書きおろしていただき、ありがとうございます。短歌も素敵ですが、エッセイも素敵です😃💕。
高見純代さん
高見純代さんのエッセイは、自らの気持ちを包み隠すことなく、率直な言葉で書かれています。
喘息のこと、ガンを経験されたこと、愛する人の死を経験されたこと。どれひとつをとってみても、そのひとつひとつがとても重みのあるテーマです。
恋愛遍歴のことを「彼氏いない歴」と表現されていますが、この言葉は、私の記憶では「ねるとん紅鯨団」が放映されていた頃に生まれた言葉だと思います。
その頃は、恋愛ドラマも数多くあり、恋愛していないことが、何かいけないことのような風潮があったように思います。「多様性」ということが言われるようになったのは、それほど昔のことではありませんね😃。
「恋愛」という言葉にどのような意味を込めるのかということは、人によって異なっていいと思います。
相思相愛の「💝ラブラブ💝」状態を恋愛だと考える人、お互いの気持ちを伝えることなく「しのぶ愛」を恋愛だと考える人。私は「片思い」も、恋愛だと思っています。
成就した恋愛が最高の恋愛だとは、私は思いません。気持ちを伝えることができなかった恋心のほうが、その人のことを深く思っているということも十分にあり得ることだと思うのです。
次から次へと「恋愛」する人もいますね。けれども、そういう人を見ると、「誰でもいいの?」という思いに駆られることもあります。私には、高見さんは、「深い恋愛」を経験されたように思います。
表面上の「付き合っている」「付き合っていない」ということをもって、恋愛の深さをはかることはできない、とも思います。
高見純代さん、企画へご参加していただき、ありがとうございます😃💕。今回のエッセイを書くにあたって、様々な葛藤があったと推察しています。高見さんの投稿は、望外の喜びでした。感謝しております。
あかはさん
あかはさんは、記事の中で、ご自身のガン闘病のことを語っていらっしゃいます。
「周りはもっとつらいのだから」
そういう面もあるのかもしれませんが、やはり一番つらいのは御本人だと思います。自分がガンの告知をされたなら、平静を装っていることはできません。
たとえ、本人を取り巻く人がつらかったとしても、本人の前で言う言葉ではないように思います。
noteの記事を読んでいると、闘病されている方の記事をよく見かけます。拝読していると、決して他人事ではないという想いを強くします。
私がアレコレ語るよりも、実際に経験されたかたの言葉のほうが重いと思いますので、私の目についた記事を2つご紹介したいと思います。
あかはさん、企画へご参加していただき、どうもありがとうございます。闘病中のかたの内面を聞く機会はあまり多くなく、考えるきっかけになりました。
凛さん
凛さんは「家族なんだから」という言葉に違和感をもつようです。
日本国憲法には、「個人として尊重される」ということが書かれているのですが、いまだに個人としてではなく、「家族」という単位で考えられることが多いですね。
親がどういう人だ、兄弟がどうだ、という視点で見られてしまうことが多い。もっと個人として扱ってほしいという気持ちは理解できます。
うろ覚えですが、ニュースで、生活弱者についてどう思うか、という意識調査で、「国としての社会保障の問題」と考える人より「家族としての自己責任」と考える人の割合が多いということを聞きました。
国家財政が逼迫していることは理解できるのですが、家族がどうかということにかかわらず、個人として尊重してほしいという想いも強くもちました。
凛さんの記事と直接関係があるかどうかはわかりませんが、少し前に拝読した千本松由季さんのエッセイのことを思い出しました。参考になることが多いと考えます。ぜひ一読してみていただけたら、と思います。
凛さん、企画へ参加していただき、ありがとうございます😃💕。まだnoteをはじめて日が浅いということですが、これからも投稿を楽しみにしております😄
8/18に投稿して頂いた記事はこちら(↓)
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