読み切り長篇 | 青い服の予言者
長篇 | 青い服の予言者 (目次)
長編小説 | 青い服の予言者
第1章 | 脳内スクリーン
(1)
「あのお姉さん、なにか悲しいことがあったみたいだよ」
「えっ?どの人?あのお姉さん?」
「そうそう、あの青い服に、青いヘアバンドしてるお姉さんだよ」
「どうしてそう思うの?あんなにニコニコしているじゃないの」
「どうしてって言われると困るんだけど、僕には見えちゃうんだよ」
「見えちゃうって何が?」
「今までにお姉さんを襲った出来事のすべてが」
「すべてって!気のせいなんじゃないの?『すべて』なんて見えるはずがないじゃない?見ず知らずの人のことなんて、5分前さえ何をしてたのなんかわからないでしょ、ふつう…」
「いや、僕には『ふつう』すべてのことが見えちゃうんだ」
僕にはその人の過去がすべて見える。どのように見えるのかというと、たとえて言うならば、1枚の絵のように見えると言ったらよいだろうか?
その人の過去が、僕の脳内のスクリーンに1枚の絵として映し出される。日付までは書いていないが、僕の見た人物のこれまでに過ごしてきた1日1日の表情か、スマホのフォトギャラリーのように並ぶ。
そして、気になった1日の表情が映ったコマを頭の中の指でタップすると、今度はその選んだ日の24時間の表情が僕の脳内スクリーンに現れる。さらに詳しく調べたければ、気になった1時間にタップすれば、さらに「分刻み」の表情が現れる。このようなタップを繰り返せば、ある一瞬の表情まで、僕の脳内スクリーンに映し出すことが可能なのだ。
いつからこのような能力を僕がもつことになったのは、幼稚園にあがるちょうど前日に、頭を強打したときだ。
その当時、僕は坂の多い町に住んでいた。丘を登った上のほうに僕の家はあった。そして、僕の家の脇の道の階段をのぼった先に、神社があった。
社務所があったが、前の年に神主さんがいなくなってからは、誰も駐在していなかった。
鍵もかかっていなかったから、誰でも自由に社務所の中に入ることができた。といっても、そんなに人の多い町ではなかったから、実質的に僕しか中に入る者はいなかった。
その日僕は、いつものように、母の目を盗んでこっそり家を出て、階段をのぼり、社務所に入って、部屋の中に置き去りになっていたマンガを読みに出掛けた。
中に入ったら、いつもと違って、奥の部屋で、誰かが誰かと話している声が聞こえてきた。ひそひそ話だったから、話の内容までは分からなかったけれど、どうやら男一人と女一人が何やら話していることが分かった。
「で、こいつの始末、どうしようか?」
「どうしようかって言われたって、どっかに棄てにいくしかないでしょ?」
「棄てるっていってもなぁ。いくら人が少ないからといって、さすがに人間ひとりを担いで坂を下りていったら、絶対誰かの目に触れてしまうじゃないか」
「棄てるって何を?」
さいわい二人はまだ僕がここにいることに気がついていない。僕はじっとその場で息を殺しながら、二人の会話を聞きつづけることにした。
「だいたいコイツが悪いんだ。賽銭箱から少しカネをくすねたくらいで血相を変えてさ」
「そうよねぇ。100円、200円くすねたくらいで、怒鳴りちらすんだから」
「だろ?そんなに悪いことしてないだろ?庭掃除用の箒を振り回して、いきなり殴りかかってくるんだから。神主と聞いて呆れちゃうよな」
「そう、あなたは悪くない。あの状況ではやり返すしかなかったわ」
忽然と姿を消した神主さんの行方は、いまだに誰も知らない。ひょっととして、この二人が?
けれども、もしも神主さんがここで殺されたなら、わざわざ殺害現場にやってきて、こんな話をするバカな犯人なんているだろうか?
でも本当にあの二人が神主さんを殺害したのなら、ここにいる僕の身も危ない。
二人の会話をここで聞き続けたいという四分の心と、今すぐここから逃げなければという六分の心に僕は支配された。
「逃げよう!」
逃げることを決心して、出口に向かっていったとき、僕はなにかにつまずいて、コケてしまった。自分でもビックリするくらい「ガタン」という音が辺りに響き渡った。
「誰かいるのか?」
男の声が聞こえた。僕の心はこの時、恐怖一色になった。
「あっ、子どもがいる。あの子も始末しないと」
女の声も聞こえた。
僕は一目散に逃げた。追いつかれたらおしまいだ。しかし、社務所を出て、坂をかけ降りようとしたとき、男に追い付かれ、僕は背中を思い切り押された。それ以降の記憶は途切れている。
意識が回復したとき、僕は病院のベッドにいた。僕は殺されずに済んだことにホッとした。たぶん背中を押されて、僕は坂を転げ落ち、意識を失ったのだろう。
「あっ、ボク、気がついた?体は痛くない?」
看護婦さんが尋ねた。
「大丈夫。痛いけど痛くない」と僕は応えた。
「気をつけなくちゃダメよ。あそこの坂は急だからね」
「犯人は捕まったの?」
「犯人?あの場所にボク以外に誰かいたの?ひとりだったんでしょ?」
「いいえ。男の人と女の人がいて、神主さんを殺したことを話していて。それで僕は怖くなって逃げ出したんです。でも追い付かれちゃって、背中を押されて」
「変ねぇ、そういう話はお姉さんは聞いてないな。頭を強くうったから、変な夢を見たのかもしれないわね」
「いいえ、僕は確かに、二人が話をしているのを聞いたんです」
「そっかぁ。君が坂から転げ落ちるのを見ていた人の話では、階段の途中でつまずいて、転がり落ちたって話なんだけど。とりあえず、今すぐ君のお母さんに連絡するね。君の服を取りに、今おうちに着いただろうから」
しばらくして、お母さんが病院にやってきた。病室に来て、僕が元気でいる様子を見て、とても喜んでいた。
「心配したよ~。全然、お母さんの呼び掛けにも返事がないから。このまま死んじゃうんじゃないかって。でも、まあ、本当によかった」
こっそり神社に出掛けていったから、すごく怒られるんじゃないかと思っていたが、ことのほか、お母さんの対応は優しかった。
「でも、ユウキ。今度から神社に遊びに行くときは、お母さんと一緒に行こう。今回みたいにケガしたら、心配するから」
「僕がケガしたんじゃないよ。ケガさせられたの。背中を押されて、階段から落ちたの」
「そこは譲らないのね、ユウキ。階段から滑って落ちちゃったのは恥ずかしいのかもしれないけど、人のせいにするのは良くないわ。今度から気をつければそれでいいのよ」
どうやら、僕のお母さんも、僕の言うことを信じていないらしい。仕方ないか。見ていた人の話では、僕が僕自身の不注意で階段から落ちたみたいだから。
僕は翌日、自分の家に帰った。もちろんまだ完全に治ったわけではなかったが、とりあえず安静にしていれば、特に心配する必要はないらしかった。お母さんは心配性だから、ずっと僕の側にいるのが少し鬱陶しかったけれども、僕はしばらく神社には行かないことにした。
「ねぇ、ユウキ、聞いてもいいかしら」
「なにを?」
「何でいつもユウキは、お母さんに黙って、あの神社に行くのかってことよ」
「怒らない?」
「怒らないつもり。だけど、怒られるようなことやってたの?」
「少し怒られるかもしれない。でも怒らないでね」
「少し怒るかもしれないけど、怒らないつもり。教えて」
「あの神社をのぼっていくと、社務所があるでしょ?その社務所の中に、面白いマンガの本がたくさんあって。悪いかな、とは思ってだけど、誰もいないからいつも中に入ってマンガを読んでたの」
こう僕が言ったとき、お母さんの顔が歪んだ。「怒られる」と思った。神社とはいえ、人の家に入ることが悪いことくらい僕は知っていたから。
しかし、お母さんの返事は、僕の予想とは全く違った返事だった。
「変ねぇ。あの神社に、今は社務所なんてないんだけど。いつだか忘れたけれど、もう何年も前に取り壊されたはずよ。たしか、ユウキが生まれる前だったわ」
「お母さん、何言ってるの?僕がウソ言ってると思ってるの?」
「お母さんは本当のことを言っただけ。お母さんは、あの神社にはもうずっと行ってないの。ユウキくらいの足の大きさだったら、あの神社の階段をのぼるのは簡単かもしれないけど、大人の足の大きさでは狭すぎて恐いのよ」
「ずっと行ってないんじゃ、今どうなってるかなんて分からないんじゃない?」
「そうかもしれないけど、社務所が壊されたあと、また、新しい社務所がつくられたなんて話は聞いたことがないわ。お母さんはずっとここに住んでるんだから間違いないわ」
「じゃあ、今度、僕と一緒に神社に行ってみない?だって僕は怪我する前は、ずっと通ってたんだから」
「ユウキはいつも一人で神社に行っていたの?お友達と一緒に行ったことはある?」
「ないよ。だって何だか知らないけど、あの神社のことはみんな恐がってるから」
しばらく沈黙がつづいた。そのあと、お母さんは静かに言った。
「実はね、あの神社の社務所が壊されたのはね、殺人事件があったからなの」
「殺人事件?」
「そう、殺人事件」
「もしかして、殺されたのは神主さんなの?」
「そうよ」
「もしかして、神主さんを殺したのは、男の人と女の人のカップルだったりするの?」
「そうよ、だから…」
「僕が見たのはもしかして、タイムスリップした殺人事件の現場だったのかな?」
「まさかとは思うけど、お母さんの知る限り、犯人はアベックだった。今の言葉だと、カップルね」
「ひょっとして、殺した原因は、お賽銭を盗んでいるところを神主さんに見つかって、箒で叩かれたから、とか…」
ここでお母さんの目が大きく見開いた。
「そうよ…驚いたわ。ユウキは本当にタイムスリップして、現場を見てしまったのかもしれないわね」
「でも、過去と現在がつながって、混在するなんてことが本当にあるのかしら?まだ、ちょっと信じられないなぁ」
「僕にもそれは分からない。でも、僕は現に犯人を目撃したのだし、実際に坂から突き落とされているから…」
「お母さんとして、ユウキの言うことは信じたいんだけど」
そこまでお母さんが言ったとき、ハッと思い出したように言葉を更につづけた。
「そういえば、ユウキが神社に行っていたのは、マンガを読むためって言ってたわね。どんなマンガだったの?今流行ってるマンガ?それとも古いマンガ?」
「僕がよく見てたのは、『キン肉マン』っていうマンガだった。キン肉マンといつも一緒にいるミート君っていう子がバラバラにされて、制限時間内に助けないと死んじゃうみたいな話を読んでた」
「今でも知っている人は多いけど、昭和の最後の頃に流行ったマンガだわ」
「へぇ、そうなんだね。悪魔超人のバッファローマンとスプリングマンと、キン肉マンとモンゴルマンがタッグを組んで戦ってて。もう間に合わないと思った瞬間に、バッファローマンが改心して、自分の角を折って、ミート君の頭を取り出して事なきを得たみたいな」
「そうかぁ。やっぱり。もしかしたら、ユウキの言っていることは本当かもしれない。だって神主さんが殺されたのは、昭和50年代だったから、時期的には『キン肉マン』が流行っていた頃だから」
「信じてくれる?僕の話を…」
「わかった。信じる前に、お母さんもついていくから、一緒に神社に行ってみよう。ちょっと恐いけど、ユウキの言うこと、ウソだとは思えないから」
ひとしきりの時間が過ぎた。僕のケガが完全に治った。お母さんと一緒に、久しぶりに神社に行くことになった。
「やっぱりこの階段はのぼりづらいわね。足元が狭くて。ユウキの足はまだ小さいからいいけれど。それにしても、なんでもっと歩きやすい階段を作らなかったのかしら?」
「あんまりたくさんの人に来てもらいたくなかったのかもしれないね」
「なんで?」
「なんでって言われても。神社の神様のお告げかなにかなんじゃないの?」
なんやかんや言いながらも、ついに上までやって来た。
「で、ユウキが言った社務所はどこにあるのかしら?」
どこって左側にあるはず。
しかし、そこには何もなかった。
「ユウキ、なにもないわね」
「おかしいなぁ。いつもここにある社務所に来ていたのに」
「二人で一緒に来ると、見えなくなるのかもしれないわね」
「そうなことってあるの?」
「わからない。でも、ユウキの心の中に現れるなにか、なのかもしれないわ」
それ以来、僕の目の前に、社務所は現れなくなった。僕を突き落とした犯人の姿も…
しかし、不思議な能力が僕に身についたのは、この日からだった。
(2)
茹だるようなある夏の日、僕は付き合い始めたばかりの彼女と一緒に映画を見に行った。
映画はとても楽しかった。まるで僕たちのことを描いたかのような、青春映画だった。
「あの場面がよかったね」とか「自分があのヒロインだったらどうする?」みたいな話をしながら二人で街中を歩いていたときだった。
そのとき、そばに彼女がいるにもかかわらず、僕の目は遠くに見えた青い服を着たお姉さんに釘付けになった。とても美しい。不覚にも、彼女との会話を忘れて、じっと眺めてしまった。
「ねぇ、ユウキ、聞いてるの?私の話」
その言葉に驚いて僕は彼女の顔を見た。
「えっと、あのヒロインのことだよね」
適当に話を合わせようとしたが、どうやら会話が噛み合っていなかったらしい。
「私の話、聞いていなかったでしょ?それより、さっきから遠くにいる誰かのことをずっと見てたでしょ?知り合い?それともユウキのタイプの女?」
「いや、そんなんじゃないんだ。ただ、あの人の過去が見えた気がしたんだ」
「知り合いでもないのに、人の過去なんて分かるのかしら」
「あのお姉さん、なにか悲しいことがあったみたいだよ」
「えっ?どの人?あのお姉さん?」
「そうそう、あの青い服に、青いヘアバンドしてるお姉さんだよ」
「どうしてそう思うの?あんなにニコニコしているじゃないの」
「どうしてって言われると困るんだけど、僕には見えちゃうんだよ」
「見えちゃうって何が?」
「今までにお姉さんを襲った出来事のすべてだけど」
「すべてって!気のせいなんじゃないの?『すべて』なんて見えるはずがないじゃない?見ず知らずの人のことなんて、5分前さえ何をしてたのなんかわからないでしょ、ふつう…」
「いや、僕には『ふつう』すべてのことが見えちゃうんだ」
「へぇ、なんか面白そうね。じゃあ、あのお姉さんの過去の話を聞かせてよ」
僕は青い服のお姉さんをじっと見た。さっきは漠然と過去がわかったような気がしたが、もっと詳細に探るべく、遠くにいるお姉さんの瞳を見つめた。
しばらくすると、僕の脳内に、今朝、お姉さんがとった行動が見え始めた。ベッドで目を覚ましたお姉さんは、白の下着で寝ていたらしい。
下着のまま、トースターにパンを入れて、冷蔵庫から牛乳を出し、グラスに注いで飲んだ。
そのあと、焼き上がったパンに、マーガリンとイチゴジャムをのせて、そそくさと食べ始めた。
「で、ユウキ、何が見えたの?」
「あのお姉さんのブラとパンティは白で、今朝、牛乳を飲んで、食パン1枚を食べた」
「あははは。それって普通と言えば普通ね。私でも当てられそう」
「お姉さんの右胸に、蝶々のタトゥーがあることは分かる?」
「今、初めて聞いた。ここからじゃさすがにそこまで見えないね。面白そうじゃない?近くに行って確かめてみようか?」
「絶対にある。僕には見えた」
「私には言えないから、一緒に行こう!」
僕は乗り気ではなかったが、ウソをついていると思われるのも癪だから、アカネの言う通り、青い服のお姉さんに近づくことにした。
お姉さんさんの歩みは、すごくゆっくりたったから、僕たちはすぐにお姉さんに追い付いた。今、目と鼻の先にお姉さんがいる。
「ユウキ、さっき右胸に蝶々のタトゥーがあるって言ったよね。どうやって確かめればいい?」
「どうやってって、実際に見るしかないけど、見ず知らずの人に頼まれたって見せてくれるかな?」
「どうせ知らない人なんでしょ?変に思われたっていいじゃない。直接本人に確かめてみようか?」
「確かめるって、どうするの?」
「どうするもなにも。なんとか聞き出してみるよ。ユウキがウソを言っていないことを確かめたいだけ。私、確かめてくるね」
「怒られても知らないよ」
ニコッと笑ってから、アカネは青い服のお姉さんに近寄って行った。結局、僕も仕方なくついていくことになった。
「あの~すみません。私たち、街行く人にちょっとアンケートしているんてすが、少し時間をいただいてもいいですか?」
青い服のお姉さんは、少し驚いた表情を見せたが、首を縦にふった。
アカネは当たり障りのないことを質問したあと、「失礼ですが、タトゥーを入れた経験はありますか?」と尋ねた。
「えっ?!」
「もしかして、右胸を掘っていますか?」
しばらく沈黙がつづいた。アカネはとうとう核心の質問をした。
「右胸に蝶々の彫り物をしていらっしゃいますか?」
青い服のお姉さんは、答えた。
「はい、3年前に蝶の模様を刻みました」
僕たちは軽く会釈をして、お姉さんに礼を言った。さすがに「見せてください」とまでは言えなかった。僕がウソをついていないことは、アカネは理解してくれたようだ。
「驚いた。ホントにユウキには、人の過去を読む力があるんだね」アカネは本当に感心したようだった。
「信じてもらえた?」
「信じるしかないよね。右胸に蝶々を彫る人なんて滅多にいるものじゃないわ。実際に見たか、それとも、透視力のある人にしか分からないわ」
「透視ではないよ。その人の過去の場面が見えるだけだ」
「その力って、どんな人の過去でも探ることができるの?」
「それが、限られた人の過去しか探れないんだ。自分で選ぶことはできないんだよ」
「今までに何人くらいの過去が見えたの?」
「数えたわけじゃないけど、200人から300人くらい。1ヶ月に1人か2人くらい」
「そんなに頻繁に見えるってわけじゃないのね。なにか今までに見えた人に共通点はあるの?」
「たまたまかもしれないけど、見えたのは今のところすべて女性」
「男の人は1人もいないの?」
僕はそこで、今までに過去が見えた人を思い出してみた。今、僕は少しウソをついた。過去が見えた男は1人だけいる。そう、最初に過去が見えたのは、神社の神主を殺したあの犯人だ。しかし、今となっては、僕が見たものは、遠い記憶の中で、錯覚だったのかもしれないと思い始めている。
「ねぇ、ユウキ。ユウキが過去を見ることができる女性って、なにか共通点はあるのかしら。それとも、たまたまなのかしら。肝心な彼女であるの私のことを探れないのは、宝の持ち腐れのような気もするんだけど」
アカネは少し拗ねたように言った。そりゃそうだ。赤の他人の過去は覗けるのに、彼女の、アカネの過去は探れないのだから。
「そういえばさっきの青の服を着たお姉さん。なにか悲しいことがあったみたいって言ってたけど、なにがあったの?まだ聞いてなかったわね」
「ちょっと待って!なんとなく、悲しげな雰囲気を感じとっただけで、まだ詳しく過去を探ったわけじゃないんだ」
「そう。じゃあ、私の過去を探る代わりに、お姉さんの過去を探ってみてよ」
皮肉にも似た、とてもトゲのある言い方だったが仕方ない。それはともかく僕は青い服のお姉さんの過去を少しずつ遡ることにした。
悲しい出来事はなんだったのか?いつ頃の話のだろうか?
とりあえず2、3日前に遡ってみた。
さっきと同じような光景が脳裏に浮かぶ。白い下着を身につけてベッドに寝ている。牛乳をグラスに入れて一杯飲んで、ジャムとマーガリンのパンを食べている。しかし、その表情はどこかしら暗い。
お姉さんの視線は、テーブルの上の、なにか手紙のようなものに注がれている。あれはいったいなんだろう?
「ユウキ、なにか見えた?」
「見えた。お姉さんは、なにか手紙のようなものを見ながら、暗い表情を浮かべてた」
「その手紙にはなにが書いてあったの?」
「ごめん、そこまでは。人の過去は探れても、『モノ』の中身まで見ることはできないんだ」
「じゃあ、さらに遡って過去を探ることはできる?」
「あぁ、それならできる」
「手紙は古い?それとも新しかった?」
「どうだろう?よくわからないな」
「そういえば、あのお姉さんが右胸に蝶のタトゥーを入れたのは、3年前って言っていたわね。3年前あたりを集中的に探れば、なにか見えるかもしれない」
「時間はかかるかもしれないけど、3年前の今頃の様子を1日ごとに探ってみるよ。ごめんね。アカネのこと、そっちのけで」
「気にしないで。私もなんか興味が湧いてきた。でも、ユウキのとなりで待つことしかできないけれど」
(3)
僕は頭の中に映し出される、青い服のお姉さんの3年前の画像を脳内の指でタップしてみた。
するとお姉さんのとなりに、ニコニコと微笑む男性がいた。
「カナコ、君はオレの彼女なのかな?」
「コウセイの彼女の定義は?」
「そう改めて聞かれるとアレだけど、お互いに相手のことが一番好きな異性ってことかな?」
「一番じゃないとダメなの?」
「そりゃあ、そうでしょ。他にもっと好きな男がいるなら、付き合っていても、彼とか彼女とか言っちゃいけないんじゃない?」
「コウセイってそういうところ、真面目だよね。もし、、、もしもの話だけど、一番好きな人がもう死んでしまっていて、生きている人の中では一番好き、っていうのはどうかな?」
「それって、どういう意味かな?例えばの話だけど、カナコの一番好きな男はすでに死んでしまっていて、生きている男の中ではオレのことが一番好き、みたいな」
「そうね。私が言ったのはそういう意味」
「カナコはオレのこと、生きてる男の中では一番好きか?」
「ええ、それは間違いないわ」
「じゃあ、死んだ男も含めたらどうなの?」
カナコはここで黙り込んでしまった。
「一番好きな人が死んでしまったという経験があるんだね」
ずっと黙り込んでいたが、カナコはわっと泣き崩れた。
「ごめん、悲しいことを思い出させてしまったね」
「い、いいの。でも、その男の子のことが本当に好きだったから。今でも思い出すと胸が張り裂けそうになる」
ここで、急にカナコさんとコウセイという男の姿が僕の脳内スクリーンから消えた。
「ユウキ、どうだったの?青い服のお姉さんのこと、なにかわかった?」
「う、うん。あのお姉さんの名前はカナコさん。そして、3年前交際、正確に言えばまだ交際していたのかどうかわからないけど、コウセイという名の男と一緒にいて」
「一緒にいてどうしたの?」
「コウセイさんからカナコさんが『彼女』なのかどうか聞かれてた」
「それで、カナコさんは、なんて答えたの?」
「生きている男の中では、一番コウセイさんのことが好きだけど、今でも、死んでしまった男の子のことが一番好きだったって」
「そのカナコさんが一番好きだった男の子は何で死んでしまったの?」
「それ以上のことは、まだ僕にも分からない。その場面で映像が見えなくなってしまったから」
「カナコさん、まだ若いよね。私と同い年くらいかしら?私にはまだ、同級生で死んだ人はいないわ。もしかしたら、その男の子が死んでしまったことと、カナコさんは何か関係があるのかしら」
「それはもっと過去を調べてみないとなんとも言えないね」
(4)
アカネと僕のデートは、思わぬ展開になった。
「アカネ、今日はいろいろありがとう。途中から変な感じになっちゃったけど」
「いや、そんなことないよ。こういう経験ってなかなかできるモノじゃないから。遅くなっちゃったし、私は悪いけど帰ろうかな」
僕はアカネともう少し一緒にいたかった。今日はせめてキスまで行きたかったけど、そういう雰囲気ではなかった。
「ひとつ聞いてもいいかな?」
「なに?次のデートのこと?」
「まぁ、そうね、デートと言えばデートのことだけど」
「今度はどこへ行こうか?」
「ユウキの部屋に行きたい。部屋で一緒にカナコさんのこと調べようよ」
「一緒に調べるのがデート?」
「私は邪魔かな?」
「そんなことないよ。アカネから調べ方の示唆をもらうと助かる」
「じゃあ、決まりね。あっ、そうそう、さっき言いかけたんだけど、例えば、カナコさんの映像からコウセイさんの映像に飛ぶことはできる?」
「というと?」
「ユウキはカナコさんの過去の映像を思い浮かべることができるでしょ。そのときに、コウセイさんっていう男が映り込んできた。まだ会ったことはないけど、コウセイさんの過去も探ることはできるのかな、と思って」
「どうだろう?今までそんなこと、考えたことがなかったから」
「そっかぁ、じゃあやってみる価値はあるわね」
「もう少し」
「もう少し?」
「一緒にいたい」
「今日は帰るね」
意外と女の子ってアッサリと帰ってしまうんだな。でも、少し疲れたし、次のデートの約束もできたし仕方ないか。
「ねぇ、ユウキ、ちょっと思い出したんだけど」
アカネは僕のもとに近づいた。
「あっ」
アカネは僕の口唇にキスをした。突然のことだったが、アカネの柔らかな口唇の感触が伝わった。
「じゃあ、私は帰るね」
アカネが僕の視界から消えるまで、姿を見送ったあと、僕は家路についた。まだ、アカネの口唇の感触が残っている。変なデートになってしまったが、僕は満足していた。
家に着き、風呂から出てホッと落ち着くと、カナコさんのことが気になり出した。さっき突然途切れてしまった場面から、もう一度探ることにした。今度は、コウセイさんが思い浮かんだら、コウセイさんの過去を探れるのかどうか確かめるために。
カナコさんの3年前の映像が再び脳裏のスクリーンに映し出された。さっきと全く同じ場面だ。途中から、コウセイさんの過去に飛ぶことはできるだろうか?
(5)
「カナコはオレのこと、生きてる男の中では一番好きか?」
僕は脳内に映し出されたコウセイさんを凝視した。今だ!
どこをタップしたか僕にも分からなかった。今僕の脳裏にはコウセイさんが黒い服を着ている様子が映し出された。
喪服か?コウセイさんが全身黒づくめの姿で現れた。
モーニングを着たコウセイさんは、どうやらこれから葬儀場へ向かうところだった。亡くなったのは、どうやらコウセイさんのお父様らしい。
挨拶を済ませたあと、棺桶の前で最後のお別れをして、バスに乗り込んだ。最初、僕は気が付かなかったが、その時、コウセイさんのとなりに座ったのは、カナコさんだった。
火葬場に着き、火葬が終わるまでの間、そこに集まった人たちは葬式の時とはうって変わって、だいぶリラックスしているようだ。
「カナコ、ちょっといいかな?」
時間の合間をぬって、コウセイさんがカナコさんを呼び止めた。
「こんなときに聞くことじゃないかもしれないけど、カナコの一番好きだった男の子は、どうして死んでしまったのかな、とずっと気になっていて」
沈黙のあと、カナコさんはゆっくり話し始めた。
「もう思い出したくない記憶だから」
「悲しい記憶を思い出させてしまって悪かったね」
「いいの。逆の立場だったら気になるだろうから」
「話してもいいっていう気持ちになるまで待っているよ」
再び沈黙がつづいた。カナコさんはフッ~と息を吐いたあと、話し始めた。
「コウセイ、もし私が一番好きだった男の子の死に、深く関係しているとしたらどうする?私と別れる?」
「えっ?」
コウセイさんが驚きの表情を浮かべた。
「もし、私が男の子の死に、深く関与していたら、どうする?それでもお付き合いをつづけてくれる?」
コウセイさんは深いため息をついた。
「どういう事情なのかに依る。カナコが直接手をくだして、男の子の命を奪ったのなら、悪いけど付き合いはつづけられない」
「そうよね。殺人経験のある女となんて、付き合えないわよね」
「殺しちゃったのか?」
「わからない。私が直接手をくだしたわけじゃないけど、もしかしたら私のせいで…」
気がついたら、夜が明けていた。僕はどうやら、肝心なところで眠ってしまったようだ。
過去を探るという作業は、思いのほか神経をすり減らすらしい。再生される映像をずっと見続けることは、長い長い映画を見ることに似ているのだ。
どんなに面白い映画であったとしても、何時間も集中して見続けることができないのと同じである。しかも、「脳内スクリーン」に映し出されるものは、いつクライマックスが待っているのか分からないものである。ほとんどの場面では、何事も起こらない平凡な光景がつづく。
途中でストップしたり、少し先や少し後に「飛ぶ」ことできるが、早送りすることはできない。たまたま飛んだところで核心をつく場面に出会えればよいのだが、そういう都合のよいことはできない。
脳内スクリーンに現れた「点」と「点」を繋ぎながら推測したり、どこらへんの場面に飛べばいいのかと考えなければならない。
僕は相当疲れていたのだった。
(6)
数日後、アカネから連絡があった。僕の部屋で「デート」したいと。
「それで、青い服のお姉さんの謎はどうなった?」
「結論を先に言うと、ますます謎が増えてしまったんだ」
「どういうこと?」
「この前、アカネと別れたあと、コウセイさんの過去へ飛んでみたんだけど」
僕はかいつまんで、僕が見たコウセイさんのことについて伝えた。
「つまり、カナコさんとコウセイは付き合っていた。けれども、カナコさんには『一番好きな男の子』がいた。けれどもその男の子は死んでしまった。その死にカナコさんは何らかの関係がある、ということね」
「そう。そこまでわかったところで、僕は疲労して眠ってしまったんだ」
「過去を探るのは、けっこう体力を使うものなのね。ひとりの人の過去を探ることは重労働なのね」
「そうだね。人生の中で起こることなんて、ほとんどが平凡なことだからね。おおざっぱに言えば、人生の3分の1は眠っているわけだし」
「決定的な人生の転機はいつだったのか、というのは、もしかしたら、本人にも分かっていないかもしれない。まして、他人が調べることは…」
「難しい」
「運もあるわね。たまたま見た断片が決定的に大切な瞬間ということもあるけれど。その『決定的瞬間』に遭遇するのはたいへんなのね」
しばらく沈黙がつづいた。
「ユウキの体力的なことを考えると、アレもコレも調べるわけにはいかないのね」
「そうだね。こんなに長く人の過去を探ったことがなかったから、なおさら」
「ユウキって、ずいぶん控えめな性格だよね。私がユウキみたいな能力があったら、いろんな人の過去を探りまくるんだけど。私みたいにうるさい女がいないと、自分の超能力を積極的に使おうという気持ちがないんだから」
「そういう考え方もあるんだ。僕はあまり人の過去を根掘り葉掘り探りたいという気持ちは強くないんだ」
「もったいないって思うけど、ユウキのそういう優しいところ、私スキだよ」
「思ったんだけど、男の子がもし本当にカナコさんが原因で死んでいるのなら、当時の新聞とかを調べれば、ある程度、事件の日時は確定できるかもしれない。だから、私は…」
「私は?」
「私は、私がユウキだったら、過去じゃなくて、未来に飛んでみようと考える」
「未来の映像を見る?」
「そう、未来の映像。未来から見れば現在は過去。いちいち過去に遡って調べなくても現在起こっていることがよく分かるような気がするの。今までの話の流れだと、ユウキは人の未来を見ようと思ったことはないんでしょ?」
図星だった。未来を覗こうなんて、僕はまったく考えたことがなかった。
「どうやら、図星だったみたいね。何年か先のコウセイさんやカナコさんの未来を探ってみたら?」
「未来の映像か。考えたこともなかったよ。でもやってみないと未来が見えるかどうか分からない」
「無理しないでね。そんなに急ぐ必要はないから」
「無理はしない。でもせっかくアカネも一緒にいるから、今、チャレンジしてみるよ」
「ヤバいと思ったら、なにも分からなくてもいいから、すぐに戻ってきてね」
「ありがとう、アカネ…」
僕はカナコさんを思い浮かべた。僕の脳内スクリーンにカナコさんのアイコンが並んでいる。
今までは左側、つまり過去のアイコンしかタップしたことがなかった。今回は右側へスクロールしてみた。
あった!
どうやらカナコさんの3年先の未来まで覗くことが出来そうである。
「ユウキ、ユウキ」
アカネの声が聞こえた。
「これから、未来を覗くところだったんだけど」
「ごめんね。いまユウキ、すごく恐い表情をしていたから、私のほうが怖くなってしまって」
「僕は、そんなに恐い顔をしていたのかい?」
「うん。夜叉のような」
「僕にはそんな意識はまったくなかったのだけど」
「ごめんね。本当に恐い顔をしていたの。でも、やっぱり見えたんだね、未来が…」
「うん、見えた。3年先まで見ることが出来そうだよ」
「恐い顔は、予言者誕生の瞬間だったのかもしれないわね」
予言者の誕生か。僕は禁断の領域に足を踏み入れたのかもしれない。
(7)
どれくらいの時間が経っただろう。アカネが話しかけた。
「ユウキがカナコさんの未来を探っているとき、どんどん顔が険しくなっていった。たぶんユウキが未来を見つけた瞬間、今までに見たことがない恐い顔をしてた」
アカネの目は少し涙ぐんでいるように見えた。
「やめておいたほうがいいかな。人の過去とか未来を探ることなんて」と僕は尋ねた。
「そのほうがいいかもしれないわね。正直に言って、カナコさんの過去にも未来にも、すごく興味があるけれど、ユウキがどうにかなってしまったら、私、耐えられない」
「ありがとう、僕のことを気遣ってくれて。ここらへんで、人の過去を探ったり、未来を探るなんてやめておこう」
「ごめんね、ユウキ。いろいろ私がけしかけちゃって。今度はさぁ、また二人でどこか外へ出掛けようか?こうやって家の中で過ごすのもいいけど、手をつないで歩いたりとか、普通の恋人がやってるようなこと、してみたい」
「恋人?僕のこと恋人だと思ってくれてるのかな?」
「それはそうでしょ。キスなんて、普通の友達の男の子とできるわけないわ」
「ありがとう。今度はどこへ出掛けようか?」
「どこってことはないけど、今度また、二人でブラブラしよう」
アカネは微笑みながら言った。
それからしばらく、アカネと会うことはなかった。もしかしたら、他人の過去を探るということより刺激的なことはあまりないのかもしれない。
カナコさんの過去や未来を探ることをやめた僕たちに、いま、会う口実はなかった。だが、またいずれ会うだろうから。
(8)
あれ以来、街中を歩いていてすれ違う人の過去が「見えてしまう」ということはなかった。いまだにどういう場合に「見える」のかは分からなかった。ほんの一時期限定の能力だったのかもしれない。
未来がわからないから人は生きるのであって、なにが起こるのか事前に分かっていたら、生きる意味がない。
アカネと最後に会ってから、1ヶ月が過ぎたころ、思いがけないことがあった。
公開されたばかりの「君たちはどう死ぬのか」という映画をひとりで見に行った帰り道、僕はカナコさんに偶然出会った。
カナコさんは、初めて会ったときと同じ青い服を着ていた。
僕は思わず、「カナコさん!」と呼び止めた。
カナコさんは驚いた表情を見せた。
あいさつより先に出てきたものは、「どうして?」という表情だった。
「なぜあなたは私の名前をご存知なのです?」
しまった。うっかりしていた。僕はカナコさんの過去を何度も探っていたから、名前を知っていたが、面と向かってお名前を尋ねたことはなかったからだ。
「なんであなたは、私の名前を知っているのですか、ユウキさん」
「えっ?!」
今度驚いたのは僕のほうだった。
「なぜあなたは、僕の名前を知っているのですか?」
この前、アカネと僕が一緒にカナコさんに出会ったとき、僕たちはお互いの名前を伝えていない。それなのにどうしてカナコさんは僕の名前を知っているのだろう?
「ずいぶん不思議そうな表情をするのですね、ユウキさん」
にっこりと微笑みを浮かべながら、カナコさんが語り始めた。
「私もあなたと同じですよ。私も、人の過去を脳内スクリーンに映し出すことができるんです」
僕にできることなら、他に同じような能力を持つ人がいても何ら不思議ではないのに、やはり僕は驚いた。
「相当驚いたようね。この前ユウキさんに出会ったとき、私は直感したんです。この人も私と同じ力をもつ人だって。だから、この前にあなたとお会いしたあと、あなたの過去を少し探らせていただきました」
カナコさんは話しつづけた。
「アカネさんにそそのかされて、(『そそのかす』って言葉はあまりよくないけど)ユウキさんは、私の何年か前の過去を探っていましたね。私には知られたくない過去があります。だから、あなたが私の一番好きだった男の子のことを知ろうとしたとき、あなたの脳内スクリーンにそれ以上私の過去が映らないように邪魔したんです」
「そんなことがカナコさんには出来るんですか?」
「できちゃうんですよ。私がこの能力を身につけたのは、あなたよりも、ずっと前のこと。能力というものは、神様から与えられるものですが、研鑽を積まなければ、自然に向上していくようなものではありませんから」
「ユウキさんは、私が私の過去をあなたに見られないように妨害したとき、あなたの能力を忘れようとしましたね。私はあなたとは違って、恐い過去を見れば見るほど、もっと自由自在に自分の能力を高めるための努力をしてきました」
「カ、カナコさん、あなたはこの能力がなぜ僕に身についたのか、もしかしてご存知なのでしょうか?」
「それは、、、。私の口からは『今は』言えない。けれども、あなただって薄々気づいているじゃないかしら」
「あの神社が何か関係している?!」
「それはこれから、ユウキさん、あなた本人がご自分の能力を高めれば分かることです」
「カナコさん、聞いていいですか?あなたは、この能力を高めたことで幸せになりましたか?僕はこの前、あなたのことを知ろうとしたとき、ものすごい恐怖感を覚えました。あなたはご自分の能力を恐いと思ったことはありませんか?」
「私の場合、恐いとか恐くないとか、そういうことは関係ないんです。この能力を使わなければ、今まで生きてこれなかった。ただそれだけです。じゃあ、ここで私は失礼します」
「待って!待ってください、カナコさん。僕はもっとあなたのことを知りたい」
「私のことを知りたければ、あなた自身の脳内スクリーンに私のことを映し出せばいいだけのこと。もちろん、私はユウキさんが私の過去を探ることは妨害しますけど。あなたが私の能力の以上の能力を身につけることですね。じゃあ、私はここで」
カナコさんはそう言い残すと、僕に背を向けた。このままお別れか?と思った瞬間、カナコさんは振り向いてこう言った。
「あ、そえそう、あなたの彼女のアカネさん。アカネさんはあなたにとって一番好きな女の子なのかしら。もうすでに死んでしまった女の子も含めて、の質問ですけど」
僕はなにも言い返すことが出来ないまま、その場に立ち尽くしていた。いつの間にか、カナコさんの姿は僕の視界から消えていた。
僕の耳には、カナコさんの「一番好きな女の子なのかしら」という言葉が残響していた。間違いなく僕は今、アカネが一番好きだ。しかし、「もうすでに死んでしまった女の子も含めて」という言葉が気にかかっていた。
そう言われてはじめて、まだハッキリと自分でも分からないのだが、もしかしたら、僕の人生の中にそういう女の子がかつていたような気持ちになっていた。
(9)
「あれっ?!ユウキじゃない?こんなところで何してるの?」
その言葉で僕は我にかえった。背後から聞こえた声は、アカネだった。
「アカネこそどうしてここに?」
「今ね、友だちと一緒に『君たちはどう死ぬのか』を見てきたところ。ユウキからデートに誘われるのを待ってたんだけど、全然誘ってくれないから、女友達と行ってきたの」
「そうだったんだね。『君たちはどう死ぬのか』なんて、アカネと一緒に見るような映画じゃないと思って誘わなかった」
「あら、そうだったの。言ってくれれば良かったのに。ユウキと一緒に見たかったな。ま、友だちと見るのも楽しかったけどね」
アカネは会わなかった期間の穴埋めをするように話しつづけた。
「今、見てたんだけどさ、ユウキはカナコさんと一緒に映画を見たの?ずいぶん親密そうに会話してたけど」
「違う、違う、そんなんじゃない。映画を見終わったあと、カナコさんにばったりと出会って」
「ふ~ん、そうなんだ。こっそり覗くのは悪いと思ったけど、ユウキはもしかしてカナコさんのことが好きなの?」
「そんなことは絶対にない。綺麗な人だな、とは思うけど、僕が一番好きなのはアカネだよ」
「もう死んでしまった女の子も含めて?」
「聞こえてたのか?」
「ぜんぜん。でもなんとなく。聞いてもいい?カナコさんとどんな話をしていたの?」
「過去を覗く能力について」
「えっ、ユウキの能力のこと、カナコさんに話しちゃったの?」
「僕から話したんじゃないよ。カナコさんのほうから。実はカナコさんも僕と同じ、人の過去を探る能力を持っているようなんだ。この前、アカネが一緒に僕の部屋いたとき、カナコさんの過去を探っていたことを知っていた。どうやら、カナコさんの能力は、僕の能力より格段に上だ」
「驚いた。予言者はユウキだけじゃなかったのね。ということは、カナコさんにユウキの過去も探られているってことね」
「そういうことになるね。だから、僕たちがここでこうやってカナコさんの話をしていることも筒抜けってことだね」
「負けてちゃいられないわね。カナコさん以上の能力を身につけないと」
「正直に言えば、もうこの能力は捨ててしまいたい。けれども、カナコさんの能力より上をいかなければ、僕の過去を探られてしまう」
「そうだね。退くことはできないね。これは宿命かもしれない」
「宿命か、、、。『運命』ならば、自分の意思でコントロールできることもあるけど、『宿命』からは逃れることはできない」
「私はユウキのことが一番好き。だから、ユウキにずっとついていきたい。これからも一緒にいていい?」
「すごくありがたいと思う。けれども、もしかしたら、アカネの将来を変えてしまうかもしれない。僕がもつ『脳内スクリーン』の能力は、(なんとなくだけど)人の『死』に関係しているような気がしているんだ。アカネの身に、何か起こってしまうかもしれない、と考えると正直迷う気持ちもある」
「私は、、、一番好きな男のためなら、命を差し出すことも厭わないという覚悟があるよ。ユウキにはその覚悟がないのかな?」
第2章 | カナコの秘密(前)
(1)
「もしかしたらユウキさんは、私に未来を見る力があると思っているのかもしれない」
ユウキさんと出会ったあと、私は街をさ迷っていた。
あの時、いちばん好きだった男の子は、たぶん私のせいで死んでしまったのだろう。たとえそれが、彼の運命だったとしても。
しかし、少し話が厄介になってきた。あのユウキさんという人は、どうして『脳内スクリーン』の能力を身につけたのだろう。
私がこの能力を身につけたのは、あの神社で、賽銭を盗もうとした当時付き合っていた彼が、神主を殺してしまったときだった。
目の前で起こってしまった現実から逃れたかった私は、どこかへ飛んでいくことを願った。
あの日、神主の遺体の始末に困っていた私たちは、神社の社務所にいた。さいわい、人などほとんどやってくる神社ではなかった。
「だいたいコイツが悪いんだ。賽銭箱から少しカネをくすねたくらいで血相を変えてさ」
「そうよねぇ。100円、200円くすねたくらいで、怒鳴りちらすんだから」
私は心とは裏腹に彼に口裏を合わせた。
「だろ?そんなに悪いことしていだろ?庭掃除用の箒を振り回して、いきなり殴りかかってくるんだから。神主と聞いて呆れちゃうよな」
「そう、あなたは悪くない。あの状況ではやり返すしかなかったわ」
「やっぱりそう思うだろ?カナコも」
そのとき、社務所の影から、妙な音が聞こえた。
「誰かいるのか?」
彼が叫んだ。
「あっ、子どもがいる。あの子も始末しないと」
私も叫んだ。
追いかけた彼は、子どもを追いかけた。追い付いた彼は、神社の階段から子どもを突き落とした。
「やり過ぎだわ!」
「こうするしかなかったじゃないか!」
激昂した彼は、どうやら私のことも突き落としたらしい。
気がついたときには、私の魂は、別の時代の別の体をもつ女の子に宿っていた。
今でもときどき思う。あのあと、彼は逮捕されたのだろうか?あのとき、彼が突き落とした男の子は無事だったのだろうかと。
しかし、信じがたいことだが、これも運命なのだろう。あの日私が宿っていた女の体は行方不明になり、魂だけが「カナコ」と呼ばれる現在の私の体に宿ることになった。
肉体と魂は相即不離のモノではない。魂は時空をこえ、突然どこの誰だかわからない体にのりうつることもあるのだ。
(2)
「これから、どうするつもり?」
アカネが久しぶりの僕の部屋にやってきた。
「どうもこうも、今のところ、どうすればよいかわからない。カナコさんの過去を探ろうとすれば、きっとまた妨害されるだろう」
「『脳内スクリーン』を使うのが危険だとすれば、足でかせぐしかないかもね」
「『足でかせぐ』とは?」
「普通に調べるってこと。何も特殊能力がない人が普通に調べるやり方」
「警察の捜査みたいな感じ、ということか」
「そう。カナコさんの過去を調べるには…。」
そのとき、僕はふと妙なことを思った。アカネは僕の彼女だから、僕のことに興味があるのはわかる。しかし、カナコさんのことを調べるためには、何らかのリスクを伴いそうなことがわかっているのに、なぜアカネはここまで熱心になるのだろう?
「アカネ、ちょっとさっきから頭の片隅で思ったんだけど、カナコさんのことを調べるよりも前に、僕は自分自身の過去ともう一度向き合おうと思っている。『脳内スクリーン』という僕の能力が身に付いたのは、神社での出来事があったことと深く関係がある。そこになにかしらヒントがあるんじゃないかと」
こう言ったとき、アカネの顔が、少し歪んだように僕には思えた。
第3章 | カナコの秘密(後)
「カナちゃん、ボクね、カナちゃんのことが一番好きだよ」
「ありがとう。カナもアキラくんのことが一番好きだよ」
アキラ君と遊んでいるときは、いつまでも飽きることなく、お互いにお互いのことが好きだって確認していた。
事実、私とアキラ君は、幼かったとはいえ、自分の気持ちを精一杯伝えあっていた。好きだという気持ちに一滴のウソも含まれていなかった。ずっとずっとお互いのことが好きな気持ちは変わることはないと信じていた。
幼なじみだから、私たちの親たちも、アキラくんと私が一緒に遊んでいるときは、決して私たちの遊びの邪魔をすることはなかった。
「ねぇ、カナちゃん。今度の夏休みにね、ボク、おじいちゃんとおばあちゃんのおうちに行くんだけど、カナちゃんも一緒に来ない?」
「えっ?ホントに?カナも一緒に行っていいの?」
「うん。ボクのお母さんもね、カナちゃんのお母さんも、『いいよ』って言ってるんだって」
「カナのお母さんも?何にも聞いてないけど」
「カナちゃんのこと、驚かせたくて、言わないように頼んでおいたの」
アキラ君は本当に私の気持ちを考えてくれる男の子だった。今になって思えば、サプライズが多かった。まだ小さかったのに、何をすれば私が喜ぶのかといつも一生懸命考えてくれていた。
アキラ君のお父さんが運転する車に乗って、私はアキラ君のお母さんの実家へ行くことになった。
「おばあちゃんちはね、海のそばにあるんだよ」
「ホントに?泳げるかな?」
「ボクは泳いだことはないけど、とても近いから景色はすごくきれいなんだ」
「おばあちゃん、久しぶり。今日はね、友だちのカナちゃんも一緒に来たよ」
「あら、かわいい子ね。アキラくんの彼女かしら?」
「カノジョって?」
「一番好きな女の子って意味」
「あぁ、そういうこと。うん、カナちゃんはボクのカノジョだよ」
私はとても嬉しかった。アキラ君がおばあちゃんの前でも、私のことを「カノジョだ」って言ってくれたことが。
着いたその夜、私たちは海に行って、みんなで花火をすることになった。海水浴場ではなかったけれど、防砂林を抜けると、海が広がっていた。夜なのに不思議と明るかった。
「あぁ、きれい。向こうに船が見えるね」
「あれはね、イサリビって言うんだよ」
「イサリビって、なに?」
「漁り火っていうのは、お魚を獲るために明るくした船から見える光のこと」
私はこの時、初めて漁り火を見た。あんなに遠くにいるのに、こちら側まで明るく照らしている。まるで遠い未来を覗いているかのような、不思議な気持ちに満たされた。
翌日、朝起きると、すでにアキラ君のお父さんもお母さんもすでにどこかへ出掛けていた。気をつかって、起こさないでいてくれたのだろう。
「あ、おはよう、カナちゃん」
アキラ君は、おばあちゃんと一緒にいた。
「カナコちゃん、おはよう。お腹すいたでしょう?カナコちゃんはお魚は好きかな?」
アキラ君のおばあちゃんが、朝ごはんを用意してくれた。ご飯とお魚だった。
「どうぞ、召し上がれ」
おばあちゃんがニッコリと笑った。
「おばあちゃん、カナちゃんと海に行ってもいい?」
「いいけど、あんまり遠くに行っちゃダメよ」
「わかった。じゃあ、カナちゃん、行こう!」
昨日の夜と同じ道を歩いているはずなのに、まるで違う光景に見えた。防砂林は思ったより小さかった。
晴れているのに、白く霞む。アキラ君と手をつなぎながら、海の水をさわった。
「気持ちいいでしょ?」
「ひんやりしてるね。漁り火はないの?」
「あれはね、夜だけだよ」
「そうなんだ。昨日とは全然違うね」
「昼の海と夜の海。カナちゃんはどっちが好き?」
「夜の海かな?夜の海のほうが未来が見えるような気がするの」
「未来が?」
「よく分からないよね。未来なんて言っても」
「うん。あのね、カナちゃん、あそこに大きな岩があるでしょ?あそこに一緒に行ってみない?」
「アキラくんのおばあちゃんは遠くに行っちゃダメって言ってたよね」
「そんなに遠くないよ。お父さんとは、何回も行ったことがあるから心配しないで」
アキラ君に言われるままに、大きな岩の前にやってきた。砂浜から海に突き出たところにあって、歩いていける。
「カナ、少し怖いな」
「大丈夫。いっしょに行こう!」
飛沫が顔にあたって怖かったけど、何とか二人揃って岩の上に立った。風が濡れた体をすぐに乾かした。
「気持ちいいでしょ?」
「気持ちいいね」
「この場所、気にいった?」
「うん、とても。カナのこと連れて来てくれてありがとう」
そのあと、しばらく二人で水平線を眺めていた。
「アキラくん、海の向こうには、何があると思う?」
「海の向こう側には、きっと海がある」
「面白い!海はどこまでも繋がっているからね」
「カナちゃんには、何が見える?」
「未来が少し見える」
「どんな未来が?」
「漁り火の船が何かを一生懸命に探しているような」
「魚かな?」
「どうだろう。この岩から、ちょっと先に船がいるみたい」
「そう。そろそろ帰ろうか?」
アキラ君と私は、もとの砂浜へ戻ろうとした。そのときは、突風が吹いた。
私は怖くてすぐにしゃがみこんだが、アキラ君は海に落ちてしまった。
あっという間のことだった。服を着たまま、アキラ君の姿が私から遠ざかって行った。
私は急いで、アキラ君のおばあちゃんのもとへ走っていった。早く伝えなければ…
結局それが、アキラ君との永遠のお別れになった。
その日の夜まで、漁り火の光る船が、懸命にアキラ君を探したけれど、とうとう見つからなかった。
第4章 | アカネの秘密
(1)
ユウキはまだ気がついていない。ユウキが神社の階段から突き落とされるところを目撃して救急車を呼んだのは、私だということを。
たぶん、あの当時、もはや存在しないはずの社務所を見ることができたのは、ユウキと私だけだったはずだ。
理由は分からない。けれども、私もあの社務所で、よくマンガを読んでいた。今のユウキと付き合うことになったのは、宿命なのだろう。
「あら、アカネ、今日は遅かったわね。友達と一緒に遊んでいたの?」
「今日は遊んでたんじゃないの。大変なことがあって」
「大変なこと?いったい何があったの?」
私は母に言っても理解されないだろうと思って何も言わなかった。
今は跡形もなくなっているはずの社務所にマンガを読みにいこうとしたら、そこには神主を殺害したカップルがいた。
そして、今は跡形もなくなっているはずの社務所から、男の子が出てきて、カップルに階段から突き落とされた。
そんなことを言っても、信じられるはずはない。
余計なことを言えば、私が男の子を突き落とした犯人にされてしまうかもしれない。
ユウキが怪我してからまもなく、私はたまたま父の転勤が決まって、引っ越しすることになった。その時は、もちろん突き落とされた男の子の名前が「ユウキ」ということは知らなかった。
けれども、私達は大学で再び出会うことになった。ユウキには私があの現場にいたことは、知る由もないだろう。私の存在すら、何の記憶もないはずだ。
しかし、私はユウキと出会った瞬間に、あの時の男の子だということがすぐにわかった。
ユウキがあの当時、ユウキと同じように、マンガを読むために社務所に私が度々通っていたことを知っていたのかどうかは、まだ聞いていない。理由は自分でもうまく説明できない。けれども、それは聞いてはいけないことなのだという直感が働いていた。
それよりも気になっているのは、なぜユウキと私にだけ、あの頃、あの社務所が見えていたのかということだ。あの神社は、なぜ二人にだけ見えていたのだろう?
(2)
「『自分自身の過去ともう一度向き合う』ってどういう意味なのかな?」
私はユウキの顔色を見ながら聞いた。
私は、あの時階段から突き落とされたユウキを目撃していたことを、今さら言うに言い出せないでいた。
「僕が階段から突き落とされた神社の社務所は、僕にしか見えていなかった。その社務所で僕が見かけたカップルは、明らかに時空を超越して僕の目の前に現れたものだ。なぜそのようなことが起こったのだろう?それが1番の不思議だ。もう1つは…」
「もう1つは?」
「もう1つは、僕が坂から転げ落ちるのを見ていた人の話では、僕が階段の途中でつまずいて、転がり落ちたって話だったけど、それはおかしいんだ。僕の記憶では、社務所を出て、これから階段を下り始めようとしたときに、すぐに突き落とされたからだ。僕を目撃した人は『階段の途中』で僕が転がり落ちたと言ったらしい。突き落としたカップルのことが目撃者に見えていなかったとしても、『途中』という言い方は妙だ」
私はユウキの言葉を冷や汗を書きながら聞いていた。『途中』と表現したのは、紛れない私だから。
「で、ユウキは目撃者のことも何か探るつもりなの?」
ユウキはふぅっとため息をついた。
「それが出来れば、今までに見落としていたことが、何かわかるような気がしている。けれども、僕が脳内スクリーンで見ることができるのは、その人の顔貌のイメージが必要不可欠だ。顔がわからない人の過去はそもそも探ることができない、アカネは、どうやったら目撃者の顔を思い浮かべることができると思う?」
私には「私の過去を探ればいいのよ」とは言えるはずはなかった。
「どういうかな?、ユウキ。目撃者を調べても、何も出てこないんじゃないかしら?それよりもカナコさんのことを調べたほうがいいじゃないかしら?」
「それはそうなんだけれども、僕が実際にあのカップルの男に突き落とされる瞬間を目撃した人物は、僕の知らないなにかを知っていると思うんだ」
私は「目撃者も何も知らないんだよ」と言いそうになった。実際に本当に何も知らないから。私だって、あの社務所のことについて知りたい。
あの時『途中』と表現したことには、特別に深い意味をこめたつもりはなかった。ポイントは、そこではない。ユウキも言った通り、なぜすでに取り壊されてしまって既に存在しない社務所が、ユウキと私にだけ見えたという事実だ。それは決して、私とユウキの幻影ではないのだから。
私は言葉を選びながら、ユウキに言った。
「私は予言者であるカナコさんの秘密がとても気になっているわ。でも、ユウキが突き落とされる場面を見た目撃者は何も知らないと思うの」
ユウキは怪訝そうな表情を浮かべながら言った。
「どうしてアカネは目撃者は何も知らないと思うのかな?アカネはもしかして…」
「もしかして?なに?」
「アカネはもしかして、あの時の目撃者になにか迷惑がかかると考えているのかな?目撃者は本当に通りすがりの人で、なにも社務所のことを知らない可能性のほうが大きいからね」
ユウキは、決して、思ってもいないことを言う人ではない。私が目撃者だということをユウキは知らない。まさか自分の彼女である私が、あの時の目撃者だなんて、微塵も思っていないことだろう。
「そうね。目撃者は本当にただの通りすがりの人だと私は思ってるよ。詮索しても、無駄にユウキの体力を奪うだけになると思うわ」
私は私自身が目撃者だということを言えなかったが、決してウソをついたわけではなかった。事実として、私は社務所の秘密について何も知らないのだから。
ただ今の私は、ユウキに対して、漠然とした自責の念を持っていた。
「アカネ、僕はとりあえず、カナコさんの秘密を探ってみるよ。なんとなくなんだけどね、カナコはあの社務所の何らかの秘密を握っていると思うんだ」
それにしても、カナコさんという女性はいったい何者なのだろう?
第5章 | カナコの苦悩
(1)
いったい私とは何者なのだろう?
私の魂は、この身に宿る前は、殺人を犯した彼を持つカナコに宿っていた。しかし、その事の重大さに耐えられなかった結果として、今の体を持つカナコへ乗り移ったのだろう。
もっと過去を遡れば、幼い頃に大好きだったアキラくんを目も前で失くしたときにも、私の魂はほかの人に乗り移ったのだった。
私は出生したときから「魂だけの存在」だったのだろう。
前世まで遡れば、もしかしたら身と心が一体だったのかもしれないが、その頃の私の記憶にはない。いつも決まった身体を持つことなく、魂だけが他人に宿る。私という存在には影も形もない。持つ身体はいつも、かりそめのものに過ぎないのだ。
(2)
身体はいつか滅ぶが、魂は不滅であると言われることがある。ただし、魂は身体無しに単独で浮遊しつづけることは出来ない。
浮遊している魂は、常に魂の抜けた身体を求めつづけるものだ。古来より、魂の抜けた身体のほうが、魂の総数よりも多いから魂は不滅であるかのように思われているに過ぎない。魂とて、ずっと浮遊しつづけていれば、いつかは崩壊する。
大多数の魂は、昔からずっと身体を乗り換えながら生き延びているが、宿るのに適する身体を長期間に渡って見つけられなければ、やはり身体と同様に朽ち果てる運命にある。
私という魂の身体の記憶は、アキラくんと過ごした時の体、神社での殺人事件を目の当たりにした時の体、そして今現在のこの体という3つの身体の記憶から成り立っている。実際には、何百、何千という身体を渡り歩いてきたことだろう。
現在、ユウキと呼ばれる彼は、私が脳内スクリーンで観察したところ、ユウキになる前はアキラくんだったにちがいない。ユウキという人間の映像は、ところどころ不連続な箇所がある。おそらく本人には、自分がかつてアキラと呼ばれていた記憶はないのだろう。
しかし、ユウキは予言者となりつつある。いずれ彼も、彼自身がいくつかの体を渡り歩いてきたことに気がつくのだろう。そして、カナコと呼ばれる私と、お互いに現在とは異なる風貌で出会ったことがあることに気がつくだろう。
私は彼に、彼もまた私と同様に、魂の遍歴を重ねて来たことを、彼がそれと気がつく前に伝えるべきか迷っていた。というのは、私がかつて愛したアキラくんがユウキという男性に乗り移り、今現在はアカネさんという女性と幸せに過ごしている。そのアカネとユウキとの愛情を、私は壊したくはないのだ。ユウキはかつて仲良く遊んでいたアキラくんの魂にほかならないのだから。
第6章 | ユウキの苦悩
(1)
この前に会ったとき、僕はアカネの様子が少しおかしいと思った。
僕が幼い頃、神社の階段から男に突き落とされた時の目撃者について話したとき、アカネの表情が一瞬曇ったような気がした。
アカネが大学に入る前に、どんなところに住んできたのかという詳細は聞いていない。しかし、この前にアカネと話をしたとき、遠い記憶の彼方で、ひょっとしたら僕たちが同じ大学に入る前に、どこかで出会った可能性があるかもしれないと感じた。
大学に入り、はじめてアカネと出会ったとき、なぜか懐かしい気持ちがしたものだ。これが運命なのかもしれないと感じた。
僕には片思いの経験があるだけで、両思いの経験がなかった。だから、僕が勝手に舞い上がっていただけなのかもしれない。けれども、そういう舞い上がった感情を差し引いたとしても、アカネと僕は固い絆で結ばれていると思っている。これほどまで、1人の女の子惚れたことはない。。。
その時ふと、僕は以前、脳内スクリーンに映し出されたコウセイさんとカナコさんの会話を思い出した。
今、生きている女性の中では、間違いなくアカネのことを1番愛しているとことは間違いない。けれども、「もうすでに死んでしまった女性も含めて」と考えるとどうだろう?
今の今まで、そのようなことを考えたことがなかった。僕の記憶する限り、好きだった女の子が死んでしまったという経験はない。けれども、頭の片隅には、以前、僕が最も大切にしていた女の子とお別れした記憶があるような気がした。いったい、どのようなシチュエーションだったのか、すぐにはわからなかった。
僕は、あの突き落とされた日よりも、ずっと前の自分自身の記憶をたどってみることにした。それが、自分自身と向き合うことだと思えたのだった。
(2)
僕は物心がついた頃の僕自身を脳内スクリーンに映し出すことにした。どこまで辿ることができるのかはわからない。しかし、可能なところまでタップしていった。
社務所でマンガを読むようになった頃から、もっと前の記憶を見ようとしたのだ。
行き着けるところまで、脳内スクリーンを遡っていくと、奇妙なことに気がついた。今までに見たことがないフォルダーを見つけた。
おそるおそる新たなフォルダーを開くと、明らかに僕ではない別人のフォルダーだった。
海が見えた。きれいな海だ。どこの海だろう?
僕は幼い頃、あまり海に行った記憶がないのに、なぜかとても懐かしい気持ちがした。
男の子のそばに女の子が見えた。
「あっ、カナちゃんだ!」と僕は思わず叫んだ。しかし、その一瞬後には、なぜ初めて見るはずの女の子を名前を僕が知っていたのか、ということに我ながら驚いてしまった。
僕は徐々に思い出し始めていた。僕はもともと、ユウキではなく、アキラだったことを…
そうだ!僕はあの日、突風に煽られて海に落ちてしまったのだ。何事が起こったのか考える間もなく、どんどん息が苦しくなって、そして僕は真っ黒な海にどんどん呑みこまれてしまったのだ。
アキラの体は、あの時に死んだのだ。僕は魂だけの存在になって、次の瞬間、気がついた時には、ユウキになっていた。
僕は何もかも思い出した。なんて遠回りをしてきたのだろう?
僕がアキラの頃に1番好きだった女の子はカナちゃんだった。そして…
そして、あのカナちゃんは、きっと、右胸に蝶々のタトゥーがあるカナコさんに間違いないことだろう。
出会ったはずのない人の過去を探ることができたのは、僕の特殊能力によるものではなくて、僕の遠い記憶の底に沈んだ僕自身の履歴だったのだろう。
第7章 | 最終章へのプレリュード
「アカネ、僕はカナコさんにもう一度会いたいと思っている。わがままだけど、カナコさんと僕の2人だけで会ってみたい。許してくれるかな?」
アカネは寂しげな表情と、疑いを持った表情を同時に見せた。
「ユウキがそうしたいと言うのなら、私には止める権利はないわ。ただ…」
「ただ、なんとなくなんだけど、ユウキとカナコさんが2人きりで会ってしまったら、ユウキはもう二度と私の目の前に姿を現すことはないんじゃないか、っていう不安はある。私もユウキと一緒に行っちゃダメかな」
アカネは哀願するように言った。僕はアカネの純粋な瞳の力に抗することが出来なかった。
「わかった。一緒に行こう」
僕はカナコさんのことを脳内スクリーンに映し出した。
カナコさんが、踏み込んでほしくないと思っているであろう過去の場面を映し出そうとすれば、きっとカナコさんは僕が呼んでいることに気がつくだろう。
「あら、ユウキさんね。やっと私とあなたとの過去の記憶を思い出したようね」
まさかこんなに早くカナコさんと話すことが出来るとは思っていなかった。
「ユウキ、どうしたの?」
「今、カナコさんと脳内スクリーンを通して、話をしている。ちょっと待ってて」
その時、カナコさんの声が再び脳内に響いた。
「アカネさんもとなりにいらっしゃるようね。ちょうどよかったわ。あなたと私が、アキラくんとカナちゃんと呼び合う関係だったことは、アカネさんはご存知ないでしょう。けれどね、ユウキさんが、あの日社務所の階段から突き落とされたとき、アカネさんはそれを目撃していたのよ」
僕はここで「えっ?!」と思ったが、と同時に、謎が1つ解けたように感じたのだった。
カナコさんと僕のやり取りを聞くことができないアカネは、不安そうな表情を浮かべていた。
「ユウキさん、じゃあ、この前出会った場所で明日、会いましょう。もちろん、アカネさんも連れてきてください。その方が話が早いですから」
そこで脳内スクリーンは遮断された。
「カナコさんはなんて言ってたの?」
「明日、アカネと僕とカナコさんで会うことになった。アカネは、僕が突き落とされたのを見ていた目撃者だったんだね」
アカネは少し驚いていた。
「カナコさんは、その事をご存知だったのね。ユウキ、ごめんね。ユウキに言わなくちゃと思っていたのに、なんだかこわくて伝えられなかったの」
僕にはアカネを責めるつもりなど、全くなかった。
「いいんだよ。怖い記憶だろうから。言えなくて当然だと思う。明日は、アカネも一緒についてきてくれるね?」
アカネはコクリと頷いた。
最終章 | 運命の日
この日は運命の日になるという確信に近いものがあった。
今日は、あの日の神社にいた3人が集う。すべての謎が解けるだろうという期待と、何か思いがけないことが起こるかもしれないという2つの気持ちが入りまじっていた。
アカネと僕は、カナコさんに出会う前に合流することになっていた。
「アカネ、おはよう。いよいよだね」
「そうだね」
アカネは暗き表情を浮かべていた。
「ユウキ、やっぱりカナコさんと会うのは、やめにしない?私ね、なんとなく不吉な予感がするの。あの神社の謎が解けたとして、いったい何になるんだろう?っていう頭もあるの」
僕もアカネの言わんとすることは分かる。けれども、このままあの日のことを謎にしておきたくはなかった。カナちゃんと同じ魂を持つカナコさんが事件にどれほど関与しているのか、知りたい気持ちもあった。
「アカネの言うことは分かる。けれども、この過去はこのまま封印してはならないという思いもある。それと、僕が落とされる瞬間を目撃していたアカネが、大学で再会を果たしたというのは、単なる偶然だとは思わない。なんらかの力が働いたような気もしてるんだ」
「そうだね。ちょっとこわい気持ちもあるけど、私たち自身のことだものね。もしかしたら、なにかつらい過去があるのかもしれないけど、ここまで来たらね」
僕たちは、お互いに励ますような会話を重ねながら、カナコさんの待つ映画館近くにある公園に向かった。
いよいよ公園が見えてきた。
「ユウキ、いよいよだね」
「そうだね」
公園に視線を向けると、青い服を着たカナコさんが見えた。
僕たちは、二人一緒にカナコさんに近づいていった。
「こんにちは、カナコさん」
カナコさんがこちらを向いた。
「こんにちは、アカネさん、ユウキさん、ここでそのままお話しましょうか?単刀直入に私の知っていることを話しましょう」
「私とユウキさんが最初に会ったのは、ユウキさんがアキラくんと呼ばれていた頃のことでした。二人で海に行った私たちは、楽しく一緒に遊んでいました。ところがそろそろ帰ろうとしていたとき、アキラくんは突風に煽られて、海に転落して、そのまま帰らぬ人になりました。ここまでは、ユウキさんも気がついたことですね」
「はい、カナコさん。このあいだ、脳内スクリーンで、過去を探っていたとき、別のフォルダーを見つけました。最初はなぜ赤の他人の記憶フォルダーが、僕の記憶フォルダーに紛れたのかと思いました。しかしそれは、僕がユウキになる前、つまり、アキラと呼ばれていた頃のものでした」
「そうですね、ユウキさんと私の脳内スクリーンは、同じ仕様になっているようですね。私も最初は、なぜ他人の記憶が私の頭の中に保存されているのが不思議でした。アキラくんが失くなったあと、私の魂は、あの神社の神主を殺した男の彼女へと乗り移ったのです。アキラくんを失った悲しみが強かったのでしょう」
「僕はカナちゃんの前で溺死して死んだあと、魂は今のユウキに移りました。それ以来、今もユウキのままです。カナコさんに聞きたいのですが、僕があの神社に通っていた頃、ユウキである僕を見て、かつてのアキラだと気がついていましたか?」
「いいえ、気がついていませんでした。けれども、男があなたを階段から突き落としたとき、ひょっとしたら、アキラくんなのかもしれないと思ったんです。でも、次の瞬間、私の意識は今のこの私へと変わったのです。これが記憶しうる限りのすべてです」
アカネもここで口を開いた。
「当時は名前も知らず、面識もなかったユウキが、神社の階段から転げ落ちてくる場面に遭遇しました。人を呼んで救急車を呼んでもらいました。ただ、こわくてすぐにその場を離れました」
それに対してカナコさんが答えた。
「その時、私は当時の彼と社務所で話していました。ユウキさんが階段から転げ落ちる場面を、私は上から、アカネさんは下から眺めていたことになりますね」
「カナコさん」
僕は前から思っていた疑問をぶつけてみた。
「僕は、自分自身もアキラからユウキへと乗り移る経験をしているようです。不思議なことですが、それは間違いのないことでしょう。カナコさんにも、魂が人から人へと乗り移ることがあっても不思議ではありません。けれども…」
「けれども?ユウキさん、なんでしょう?」
「僕は、そもそもあの社務所の謎が解けません。アカネもカナコさんも社務所に出入りしていました。しかし、母の話では、神主さんが殺害されたあと、社務所は取り壊されているんです。実際に、母と一緒に行ったときには、社務所は見ることはできませんでした。ひとり行く時にだけ、社務所が再び現れるのはなぜでしょう?カナコさん?」
カナコさんはふぅっとため息をついた。
「その件については私にもよくわかりません。社務所の中と社務所の外の時間がズレていますよね。どういうことなんでしょうね?」
その時、1人の男が現れた。カナコさんはとても驚いていた。僕もその顔を見たとき、「あっ」と声をあげそうになった。間違いない。この人はコウセイさんだ。
「その件については私が答えましょう」
コウセイさんは挨拶もすることなく、いきなり話し始めた。
「時間がズレたのは、というより、時間をズラしたのは、殺された神主のせいです」
「神主のせいとは、どういうことなのでしょう?」
僕は初対面であるにもかかわらず、コウセイさんに質問をぶつけてみた。
「神主はね、自分が殺されたことを納得していなかった。だから、誰かに本当の犯人のことを知らせたくて、怨念を社務所に残したのです。もちろん、死後、取り壊されてしまった社務所を本当に復元することはできません。魔法をかけたんです。誰かひとりにでも、現世の人に、自分の死の真相を伝えたかったのでしょうね」
僕には1つ疑問が残った。コウセイさんの言うことが仮に本当だとして、なぜそれをコウセイさんが知っているのかという疑問だ。僕は単刀直入に尋ねた。
「なぜ神主さんの仕業だということを、コウセイさんは知っているのですか?」
その瞬間、コウセイさんがニヤリと微笑んだ。
「それは簡単な話です。私は殺された神主だからです」
1番驚いていたのは、カナコさんだった。
「えっ?なんで?私があなたを殺した男の彼女だったと知っていて私に近づいてきたの?」
「あぁ、そうだ。けれども君になにか恨みがあったわけじゃない。あの時、なんとかあの男をなだめようとしていた君に、恋心を持ってしまったんだ。不思議なものだね。人間の感情というのは。自分を殺した男の彼女に惚れてしまうなんてね」
カナコさんは泣いていた。
「あの時はごめんなさい。彼のことを制止できなくて。なんとかなだめようとしていたけど」
「ずっと僕と一緒にいてくれるかい?カナコ。もう他の誰かのもとへいくことはないよね?」
「ええ、お気持ちが嬉しい。私はこのままの自分でいたい」
全く予想していなかった展開になった。
「ユウキ、もうお暇しましょうか?」
アカネが僕にはささやき声で言った。
「そうだね、もうこれ以上、話すこともない」
アカネと僕は、カナコさんとコウセイさんに別れを告げた。
人間はときに豹変することがある。魂が様々な人を往き来した結果なのかのしれない。
人生は、別れと出会いを繰り返しだ。
しかし、魂と魂が求め合うとき、その動きをとめるものなのかもしれない。
「アカネ、これからどこか行こうか?」
「私は、どこにも行かない。ずっとユウキと一緒にいたい」
~青い服の予言者(完)~
(30,187字)
この作品は過去に書いた長編小説を、加筆修正して、再構成したものです。
後書き
中途半端なままになっていた作品を書き終えることが出来たのは、ももまろさんのおかげです。
叱咤激励してくださったことに感謝申し上げます。
いつもありがとうございます😊💓
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