重版出来! | 全集を読む意義について
小林秀雄のエッセイに「読書について」というものがある。以前記事に引用したことがある。
上の記事(↑)で紹介したのは抜粋なのだが、簡単に全体を要約すると、「『文は人なり』という意味を真に理解するためには、全集を読め」ということである。経済史家の内田義彦も同じような主張をしている。
基本的に、古典と呼ばれるような名著を読むときには、「信頼」が必要である。
批判的であることを良しとする風潮があるが、批判するにしても、信頼がないと批判もできない。
名著を読むと、一見矛盾することが書いてある時がある。浅薄な読み方をする者は、あっちに書いてあったことと、こっちに書いてあることは違うじゃないか!、と表面的な違いをあげつらい、自らの読みの浅さを「批判できた!」と勘違いして悦に入る。
名著の読書において「あれっ?何か矛盾する!」と思った時には、「間違いだ!」と批判するのではなく、なんとか整合性のある解釈はできないものか、と考えたいものだ。
「矛盾だ!」「間違いだ!」と言うためには、少なくても1冊全体を読む必要がある。それでも足りなければ、全集を読んでみる必要がある。そうすると、その著者の表現方法のクセが分かるようになる。
作品群というものは、同じ人間が書いたものである。ふだんの人間観察をしていても、徹頭徹尾なんの矛盾もない人間などいない。完璧な論理的一貫性をもつ人間など見たことがない。それは著作物でも同じことだ。
人と長く付き合っていると、「こういう場合はA」だが、「ああいう場合はB」だということがわかってくる。
本を読むのもそれと似ている。その人の前提とすることが、第一印象と違うと思うようなときには、最初の時には読み解けなかった、もっと別の前提がある。
作者の思考を理解するためには、最初にまず「信頼」がなくてはならない。その上で、どうしても矛盾だと思うなら、批判する前に、「全集をもう一度読め!」と言いたい。きっと自らの勘違いに気づくはずだ。だてに古典となっているわけではないのだ。古典には必ず徹底したものがある。古いとか新しいということを超越する徹底したものがそこにある。
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