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語学エッセイ | フランス語も多少知らないとなぁと思いつつ



英語


 私が英語を本格的に学び始めたのは、中学1年生のときでした。小学6年生ときから塾で多少英語は学びましたが、アルファベットの大文字・小文字を覚えただけで、ローマ字すらきちんと覚えないまま中学生になりました。

 中学生になってから現在に至るまで、短い時間とはいえ、ほぼ毎日英語に触れています。ペーパーバックの英語で書かれた小説や古典的名著を数ページ分音読するだけですが。

 それでも一応は、英語で話したり聞いたり読んだり書いたりすることは、一通り出来るかな、と思っています。日本語で表現出来ることに比べれば、かなり限られた範囲ではあるけれども。

 なぜ英語学習をつづけているかというと、小説を原書で読みたいということに尽きます。もちろん流暢に話せたら、それに越したことはありませんが、日本語が通じるシチュエーションならば、敢えて英語を使ってみたいということはありません。

 大学や大学院の講義を除き、専門用語を駆使した英語を聞くこと自体、皆無に等しいですし、たまに英語を使うと言っても、山手線や常磐線で外国人に乗り換えや遅延の理由を説明したりする程度。面倒だから、海外旅行に行きたいとも思いません。

 どんなところかを概要を知るだけなら、ネットもありますし、たとえ行ったとしても大きく印象が変わるとも思えず。とりあえず、英語を読んで理解できればいいし、わからなければ翻訳機能もありますし。

 とはいえ多少英語を学習していれば、原書を原書のまま理解できたほうが楽しいと思うもの。名著の多くは翻訳されていますが、やはり日本語で読むのは異なります。どんな名訳であっても、原書の音や意味を完璧な日本語に落とし込むことは無理です。それに加えて、「わかんないなぁ」と思いながら、一冊の本に触れるのもまた一興だとも思います。

 原書を読めるとなぜいいのかと言えば、18世紀に書かれたものを読めば、あたかも18世紀の空気を吸っているかのような気持ちを家にいながらにして味わうことができるから。いわば、一冊の本はタイムマシンのような役割を果たしています。

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