エッセイ | 読書と食事
(1)
Reading is to the mind what food is to the body.
(読書と心の関係は、食べ物と体の関係と同じだ)
高校の頃、英語の参考書かなにかに載っていた例文である。意味するところは、食べたものが体に栄養を与えるように、本を読めば心に栄養を与え育むことができるということだろう。
なんとなく納得してしまう。しかし、「食事と体の関係」と「読書と心の関係」とは、似ているが、やはり違うとも思う。類似点と相違点について、すこし考えてみよう。
(2)読書と食事の類似点と相違点
●
読書が心にとって、何かの「ためになる」ということは、食事が体の「ためになる」ということと似ている。
●
食事はいろいろなものをバランスよく摂取するのがよい。読書にもある程度当てはまりそうだ。しかし、読書の場合、1人の小説家の文章を立て続けに読んだり、ある分野の専門書を立て続けに読むことも悪くないだろう。
食事の場合はどうか?野菜だけを立て続けに食べたり、肉だけを立て続けに食べることは、あまり健康に良さそうではない。
「偏食」はあまりよくないが、「偏読」は、許容されるのではないか?
●
食事を一年間しなければ、体は死んでしまうが、読書を一年間しなくても、心が死んでしまうことはないだろう。食事には代替手段(点滴みたいなものはあるけれども)がないが、読書には、人と語ったり内省するなりして心を育むという代替手段がある。
●
昨日おとといくらいに食べたものは、頑張れば思い出せる。昨日おとといに読んだ本の内容も、頑張れば思い出せる。
一年前の今日に食べたものを思い出すことは困難だが、一年前の今日に読んだものは思い出せる。
10年前に食べたものを思い出すことは、ほぼ不可能だが、10年前に読んだ本の内容は覚えているかもしれない。もちろんきれいに忘れていることもあるだろう。
(3)忘れることは「悪」か?
せっかく本を読んだのに、その内容をすっかり忘れてしまうと、罪悪感や虚しさをもつかもしれない。しかし、忘れてもよいのではないか、とも思う。
食べたものを忘れても、間違いなく体に栄養は行き渡ったはずだ。読書だって同じようなものかもしれない。今は読んだ本の内容を完全に忘れているとしても、少なくても読んでいたときには、何かしら心の栄養になったはずだ。
(4) まとめ
読書した内容を忘れてしまうことは、ある意味自然なことだ。私たちの脳は、基本的に新しく頭に入ってきたことを優先する。だから、昔読んだ本の記憶が徐々に薄れ、完全に忘れたとしても仕方のないことだ。
仮に、読書したことを完全に忘れたとしても、再読するときにはきっと何か思い出すだろう。はじめて読んだときより、理解が早いはずだ。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします