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エッセイ | 耳できくこと、目でみること。

 耳で聞く言葉と目で見る言葉。同じ言葉でも、聴覚に頼るときと、視覚に頼るときとでは違う。

 トランプ大統領の政権のとき、
「ぐんたい」が出動したことがあった。
耳で「ぐんたい」と聞いた人のほとんどは「軍隊」を思い浮かべるのではないだろうか?海外派兵か、戦争かな?、と思う。
 でも、実際にニュースが伝えていたのは、「郡隊」。これだと内部紛争かな?、と思う。

 よく指摘されるように、日本語には同音語が多い。
 同じ「こうぎょう」でも、
「工業」「興行」「興業」「鉱業」「鋼業」「航業」「功業」…とたくさんある。

 耳で聞く場合、文脈に頼りながら、どの「こうぎょう」なのか判定しなければならないが、それでも判定しにくいことはある。

 今回の記事のテーマは、たまたまラジオで聞いた話だが、アナウンサーに限った話ではない。
 例えば、英語その他の言語の通訳者も考えてみればたいへんだ。
 industrialならば「工業の」だが、
miningならば「鉱業」だ。
 一般的に「こうぎょう」と聞いて大多数の人が真っ先に思い浮かべるのは「工業」だから、「こうぎょう」と訳せばよいが、「鉱業」のときにはただ「こうぎょう」と訳したままだと、誤解をうむ可能性が大きい。
 ある通訳者は英語を聞いて「こうぎょう」と言ったあとに、間髪いれず「こうぎょう、かねへん」と言ったそうである。

 アナウンサーでも、通訳でも、言葉に精通していることはもちろん大切だが、聞いている人あってのアナウンサーであり、通訳である。
 「こうぎょう」という音を聞いたときに、一般の人はどの「こうぎょう」を最も想起しやすいだろうかということ、誤解を避ける別の表現は何かということを判断しなければならない。こういったことを瞬時に正確にとらえる能力が必要である。
 単に英語ができれば通訳ができると思うことは大きな間違い。日英の通訳ならば、日本語と英語の両方の言語に精通していなければ、その役割を果たすことはできない。
 母語だからといって、日本語を粗末にすると、英語を十分に生かすことはできないのではないだろうか?
 

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