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錯視de数学 | なくてもあるように見せること、エッセイの書き方
あなたには見えますか?
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錯視を利用して、「二等辺三角形」「正方形」「円」を描いてみた。
正確に言うと、どこにも上で挙げた図形は描かれていないのだが、脳内で勝手に連想しているに過ぎない。
この記事では「錯視」それ自体について書きたいわけではなく、この「錯視」という現象からエッセイの書き方を考えてみたい。
文章を書くときに、主張の明晰さや正確さというものを意識する。
しかし、きちんと相手(読者)に意思や内容を正確に伝えようとすると、文章が長くなってしまう傾向がある。
「こういう前提条件があるけれど」「こういうケースもあるけれど」… …というように、アレコレと言わなくても分かると思えるようなことまで、書き込もうとしてしまう。
「正方形」をふつうに描きたいならば、4本の「線分」(まっすぐな線)が必要なのだが、上(↑)で描いたように、見る人・読む人は、必ずしも4本の線分を用いなくても、そこに「正方形」があることが理解できる。
「錯視」というものを知ってから、あれもこれもと、何でも書こうとするのではなく、書かなくてもよいことはなるべく書かないということが大切なのではないかと思い始めた。
エッセイというものは、「足し算」の発想ではなく、「引き算」の発想で書いたほうが、読者にとって印象深いものになるのではないか?
そんなことを考えている今日この頃である。
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