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『摩擦係数』MVから見る欲動論

こんにちは、ゆーです。
今回は先日公開された櫻坂46のアルバムリード曲である『摩擦係数』から色々考えたことをまとめてみました。

↓記事を見る前に観てない方はぜひ。


今回はフロイトの欲動論から色々考えました。
そのため以降難しい概要が度々あらわれますが、何卒読んでいただけると嬉しいです。
欲動というものは人間が根元的に持ち合わせているもので、この「~したい」という欲求(リビドー)がすべての人間のすべての状況下で常に存在します。しかしながらそれらは無意識に普段‘抑圧’されています。それはなぜか。超自我(理性)があるからです。この超自我というのは意識・無意識を統制する警官のようなもので、人間が成長する過程で、実生活での体験や親からの躾、社会のルールなどで形成されながら学び、肥大していきます。
フロイトは文明の発展は抑圧が多くなることを示唆しました。現に今の社会では昔以上に多くのものが規制されています。それによって多くのことを‘抑圧’せざるを得なくなりました。根元的にある欲求を抑圧する、その判断をする超自我(理性)が、より厳粛になっているとも言えます。

MV概要

難しい前置きはこのくらいにして、MVの内容を観ていきます。MVでは森田ひかるさんが‘野生’を、山崎天さんが‘理性’を表していることが公式に分かりました(以外敬称略)。「野生VS理性」がキーであるともメンバーは触れています。実際ダンスだけを見てもその表現は真に迫って感じます。個人的には、1番のサビで天ちゃん(理性)がセンターで踊るときに、森田(野生)が気だるそうに踊り始めるのも細かくて素晴らしいと思いました。森田は徐々に野生的な欲を解放し、2番のサビでは1人で踊ります。その後お互いは対立しながらも、最終的には融合していきます。この融合の意味についても後に考えていきます。


フロイト理論を元にした個人的解釈

ここからフロイトの心理学論を踏まえた個人的解釈に移ります。
フロイトの欲動論では、死の欲動(タナトス)と生の欲動(エロス)が存在します。フロイトは人間が持ち合わせる多くの欲動の中でも、これらの欲動がより根元的なものであると考えました。死の欲動は破壊や攻撃欲動が本質的なものとされ、生の欲動は統合し結合させようとすることが主目的とされています。分かりやすいイメージで言えば、死の欲動は人間が戦争や争いを生むこと、生の欲動は恋愛なんかで表されるでしょうか?
この『摩擦係数』では、人間の根元的な死の欲動が導く野性的で攻撃的な側面と、それを統制する超自我(理性)の関係性が、曲や歌詞、ダンスを含めたMVの中で表現されています。大人になるにつれ超自我は大きくなり、プリミティブで攻撃的な欲は抑えられるようになります。この2つは常に相反し対立するものであるが、これらが融合することは次の2つを意味する可能性を考えます。

①理性が優位に立ち、野生的なものは抑圧されて統合された。
②野生的なものが優位に立ち、理性すらも飲み込んで理性の支配を受けなくなった。

はっきり言って答はないので、このどちらかだと言い切れることはないです。
①が正しいとすると、それは「大人になる」ことを意味します。先述のように、多くの人は成長するにつれ超自我が肥大し、内に秘める攻撃的なものは抑圧されていきます。順当に行けばこちらが自然ですが、そうなると歌詞と真逆の位置に落ち着くことにアンヴィバレント(二律背反)なものを感じ大変面白いです。しかしながら欲動論においてアンヴィバレントなものは必然的でもあります。この点はややこしくなるのでまたの機会に触れようと思います。
②が正しいとすると順当ではないですが、歌詞とは合います。野生優位になるということは、争いを生んだり、あるいは他者を傷つけたりすることを厭わないことを意味します。抑圧のシステムもあまり働かなくなるのでこれは極めて危険な状態で、本能的な欲のままに生きることを示唆しますが、純粋にこれはあり得ることなのかと思いました。攻撃的側面を持つ欲動が超自我を飲み込むことは人間的営みから逸脱しており、分かりやすく言えばそれはサイコパスキラーのようなものです。しかしながらこの考えは少し見方を変えると、理想像としても写し出されます。今の社会はフロイトが示唆したような抑圧が蔓延る世の中になってしまいました。結果として多くの人がその抑圧に苦しんできました。だからこそあくまで理想ではあるが、摩擦係数を無視してでも根元的な欲を前面に出して行くべきだという歌詞のメッセージにリンクするのです。
いずれにせよ、僕はこのアンヴィバレントな感じが心理学的にリアルで興味深いです。


さいごに


そこまで考えてMV作ってる訳ないだろ!って人もいると思いますが、例え考えていないとしても、「野生VS理性」の表現がこのような形で表されること自体、無意識的な介入は必然的ですし、イメージで表されるものを理論を通して解釈することは、理論を深め、可能性を見出だすものでもあります。
ここまで読んでくださった方がどれほどいるか分かりませんが、少しでも櫻坂46『摩擦係数』の表現の凄さ、そして僕の愛が伝われば嬉しいです。それでは以上を踏まえてぜひとも最後にもう一度MVを観てください。今までになかった‘気付き’があるかもしれません。なお質問等ございましたら、コメントにお願いします。
読んでくださりありがとうございました。

https://youtu.be/D8piCp9XMKA




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