カレー哲学の視点:ビリヤニロードの終着点
今やあえて説明するまでもないくらい日本で浸透した感のあるビリヤニ。日本人生来の米好きというのもあるかもしれないが、今やコンビニでも売られているくらいだ。以前セブンイレブンで販売されていた日本米使用ビリヤニは厳密にはビリヤニではないかもしれないが、今またバスマティライス使用ビリヤニが一部地域でこっそり販売されているらしい。
『インドカレー伝』によるとビリヤニが生まれたのは17世紀のデリーである。ムガル皇帝3代目のアクバルは、絵画や叙事詩、音楽などと同じように料理の分野でもペルシアの文化とインドの土着の文化との融合を進めた。イスラム世界と北インドの各地からやってきていた料理人たちが互いに切磋琢磨し、宮廷厨房においてインド料理の革命が進んだ。
ビリヤニの語源としては諸説あるが、「ビリヤニ Biryani」という言葉自体が「揚げた」「焼いた」を意味する「Beryā(n)」または「Birian」というペルシア語由来という。さらにその源流となっているのはアフガニスタン発祥のプラウである。それについての解説が『チャラカの食卓』に記されていた。
プラウという名前はサンスクリット語の"プラーカ"がもとになっており、最初は米と出来合いのカレーを混ぜるだけの混ぜご飯であった。それが次第に炊き込みご飯に変化してイスラム圏全体に広がりペルシアではポロウ、中央アジアではポロ、トルコではピラフ、インドではプラーオなどと呼ばれるようになった。スペインのパエリヤも中国のチャーハンもその延長上にある。
シルクロードといえば絹織物が伝わってきた道だが、同様にビリヤニが伝わってきた道はビリヤニロードと呼ぶのはどうだろう。
中央アジアで生まれたビリヤニが、ビリヤニロードを通ってやがて日本までやってきた。そしていま日本では和風創作ビリヤニやセブンイレブンでの普及型ビリヤニなど、新たなビリヤニが作られ続けている。ここがビリヤニロードの終着点であり、まだ進化し続けているということだ。
ビリヤニを食べる際、歴史は今も作られているし自分がその目撃者であるということを実感する。
マサラ部室関連ニュース
第二回バキバキビリヤニバトル開催
11月19日(土)、東京マサラ部室にて「第二回バキバキビリヤニバトル」を開催しました。それぞれが戦わせたいビリヤニを持参し、忖度なしにフィードバックをしあうという会です。
今回は7種類のビリヤニが一堂に会し、食べ比べが行われました。
創作的なビリヤニが多くなると思ったので自分はオーセンティックな方向で行こうと思い、マトングツカを煮込んで一本丸ごと乗っけたビリヤニを作りました。パキスタンのstudent biryaniっぽい仕上がりを目指したけどライスの茹で時間をミスって少し固かったかな。
参加者はDUM専と食べ専合わせて20人ほどになり、可能な限りフィードバックシートに記載してもらいました。
11/20 いにしえのインド料理を作る会:第一回
高円寺のカレー屋さんかりい食堂さんと2000年前のインド料理を作る会をやりました。
元ネタは『チャラカの食卓』ですが、クシーラウダナという鶏の醍醐煮とクックタユーシャという乳粥を作りました。また詳細は別途書きます。
ギーの量がものすごく、3時間煮た後には水分は飛んでコンフィ状態となっていました。黒胡椒が効いていて、意外にもケンタッキーフライドチキンのような味わいになっているという不思議。クックタユーシャの方はウラド豆が小豆のような味がして、うっすらおはぎの風味がありました。
第二回は魚料理を作る予定です。興味ある方はご連絡ください。
11/22 牛糞燃料キャンプ
千葉県いすみ市『巡るインド』にて実施予定。インドでは火の位にカーストがあり、牛糞やギーの炎は最も清浄なものとされています。国産グラスフェッド牛糞に藁を混ぜ込んだものを作っていただいたのでそれを燃やして料理に使ってみます。
マサラ部室に関して、更なる情報はメンバーシップ内で情報共有しています。
最近更新した記事
ワークショップの勉強のために『チャラカの食卓』を読み、夜中に1人で感動していたので読書メモを書きました。
近況:イドゥリストにインタビューしている
いただいたサポートは全てカレーの材料費と東京マサラ部の運営資金となります。スキやSNSでのシェアもお願いします。 インド料理やカレーの本を出したいです。企画案がたくさんあるので、出版関係の方、ぜひご連絡ください。