「結局は金」が資本主義を無責任にする
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」資本主義が今より幾分ましに機能していた時代というのは社会的責任という考え方が今より持たれていたのではないだろうか。
社会主義は知的財産権を否定しない。それを前提とした上で、しかしながら、「身体が資本」という言葉を思えば、知識というのはそれ以上に重要な資本であるはずなのに、産業スパイになってしまうのを恐れてなのか、はたまた値崩れを恐れてなのか知らないが、一般的なことについてすら、共有しようという雰囲気はそういった団体の中にすら存在しない。